前回の「平成の蔵屋敷 in 中央区」(/archive/2015/08/-in-5.html)では、中央区にある地方銀行についてご紹介しました。3回目となる今回はそれから5か月ぶりとなりますが、今回は中央区に進出している外資系金融機関としてHSBCグループ/香港上海銀行を取り上げたいと思います。
東京駅前から八重洲通りを真っ直ぐ歩き、昭和通りと交わるところに、16年4月に地銀最大手の横浜銀行と経営統合することが決まっている第二地銀、東日本銀行の本店があります。その昭和通り沿いの北隣には、ガラス張りのビルが屹立しており、上部に赤地の6角形(Hexagon)に白抜きの蝶ネクタイのような形を合わせたマークの隣に、大きくHSBCの4文字が描かれています。こちらは、その香港の本部と似たガラス張りのデザイン、そしてマークからわかるようにHSBCグループ/香港上海銀行の東京拠点です。
【HSBC東京支店ビル】⇒八重洲通りと昭和通りの交差点の近くにあります。
HSBCといえば、香港をはじめとするアジア地域、ロンドンやパリなど欧州では街中で普通に見かける銀行ですが、日本ではあまり見かけません。
日本ではもともとリテール事業を行っておらず、一時(2008年以降)展開したプレミアバンキング(プチ富裕層向けサービス)もプライベートバンキングとともに2012年に撤退しており、現在、日本においては貿易金融などをはじめとする法人向け商業金融サービス(香港上海銀行)、アセットマネジメント事業(HSBC投信)、証券会社ビジネス(HSBC証券)といった限定された範囲でのサービス提供となっています。
しかしこの銀行、実は日本とのゆかりは非常に深い銀行です。一般に、東京における外資系の銀行(投資銀行、商業銀行)は、赤坂や丸の内周辺に立地するケースが多く、中央区に拠点を設けている有力な銀行では、このHSBCのほかには、アメリカ銀行・メリルリンチ(@コレド日本橋)が有りますが、今回あえて香港上海銀行/HSBCグループをお題に選んだのは、日本とこの銀行のゆかりの深さによります。
【1930年頃の香港上海銀行上海支店】⇒現在は、上海浦東発展銀行の外灘12号ビルとして使われています。
香港上海銀行は、1865年にスコットランド人のトーマス・サザーランドにより、香港にて設立されましたが、香港上海銀行が最初に日本へ進出したのは、設立の翌年の1866年です。それは、今を遡ること150年前、明治維新の前ですが、既に居留地があった横浜に最初の拠点を設けたのを皮切りとして神戸(1869年)、大阪(1872年)、長崎(1896年)と支店を開設していきます。明治以降の日本政府の富国強兵政策にも対応し、日本国内の鉄道、水道、港湾等のインフラ整備のために、2億5千万ポンドを貸付け日本の経済成長を支えました。
1923年の関東大震災により、横浜支店が倒壊したのをきっかけに、翌年東京支店を開設し、第2次大戦後も1947年以降、東京と神戸で営業を再開し、その後も日本において貿易金融等の分野を中心に日英間のビジネスをサポートした、まさに英国の在東京蔵屋敷のような役割を果たしてきた金融機関といえるでしょう。【HSBC 香港本部ビル】
香港にあるHSBC本部ビルは、全面ガラス張りで更には風水を考慮した設計となっています。こちらについては預金、両替などのリテールバンキングも行っているので内部の見学も可能です。日本橋にある東京支店も、香港本部同様モダンなガラス張りのビル(1998年竣工)となっており興味をそそられますが、こちらについては、残念ながら現在リテールビジネスを行っていないため預金などこちらでは行うことはできず、従って一般には内部見学の機会は有りません。
なお、旧香港上海銀行長崎支店は、記念館として一般開放されており内部の見学も可能です。こちらはガラス張りではなく、明治の銀行建築ではありますが、長崎への旅行の際には見学のため訪れてみるのも一興です。
【旧香港上海銀行長崎支店記念館】
【香港上海銀行東京支店】
所在地:中央区日本橋3-11-1(昭和通り沿い)
*文中説明の通り、東京支店ではリテールビジネスは行っておらず、基本的にビル内部には入れません。見学の場合は外部から見ることに止めましょう。