先日、ロイヤルパークホテルのランチビュッフェに行った帰りのこと。
(その時の記事はこちら → /archive/2017/04/post-4276.html )
一緒に行った友人とおしゃべりしながら彼女の勤務先の近くまでおさんぽ。
せっかくなので、いつもは行かないその近くの公園で
娘・あずきを遊ばせていこう・・・と思って
「箱崎公園」までやってきました。
こいのぼりがいっぱい飾ってあって、季節を感じますね。
時間帯もちょうど小さい子はお昼寝タイム?だったからか
同年代の子たちはあまりいなくて滑り台で遊び放題のあずきでした。
・・・ふと見つけたのが
こちら。「吉田松陰像」です。
一瞬頭の中には「?」が。
「松陰先生ゆかりの地、っていうと小伝馬町の十思公園だよね?」って思ったので。
小伝馬町の牢屋敷が最期の地ということで
その跡地の十思公園には記念碑がいくつか建っていますよね。
/archive/2016/06/post-3419.html
(↑過去の先輩特派員さんの記事にも取り上げられています)
どうしてここに??と思っていたら傍に説明板、ちゃんとありました。
それによりますと・・・
昭和12年(1937年)の末、この地にあった箱崎尋常小学校の6年生
岩井光子さんが病気で亡くなりました。
成績優秀な光子さんは特に吉田松陰の生き方に感銘を受けており
亡くなる前に自分の貯金で学校内に吉田松陰の銅像を建ててくれるように両親に遺言をしたのだそう。
(・・・そういう時代、だったのかもしれませんが
今時の子どもではなかなか出てこない発想かもしれませんね。)
両親は生活が苦しい中でもこの願いを実現し、昭和13年(1938年)3月22日に
盛大に除幕式が行われました。
当時、この話は「教育美談」として東京日日新聞に表彰され
除幕式には当時の文部大臣や東京市の関係者などが多数参列しました。
像は竹山蘭山が制作、「松陰先生」の文字はこの話に感銘を受けた
海軍大臣高橋三吉が揮毫したものです。
昭和19年に小学校は戦火を逃れるため疎開した後に廃校となりました。
しかしこの像はずっとこの地で箱崎町を見守り続けています。
母となった身としては
「光子ちゃん、悔しかったろうな。お母さんもつらかったろうな。」
という感想が先に立ってしまうのですが。
彼女の想いがこの地域の子どもたちを守ってくれますように、と
願わずにはいられないのでした。