子連れ特派員のえだまめです
前回に引き続きまして、
2月3日実施の「第11回中央区観光検定」から
えだまめが気になった問題をピックアップしてみたいと思います。
問50 海運橋は、楓(もみじ)川に架かっていた橋。
川は埋め立てられて高速道路になったため、橋は撤去され
現在は2基の親柱だけが残されています。
1本の親柱には「かいうんはし」の文字が刻まれていますが、
もう1本の親柱に刻まれている文字は次のうちどれでしょう。
ア.しょうげんばし イ.開運橋 ウ.坂本町 エ.紀元二千五百三十五年六月造
言い訳しますと・・・。
確かにえだまめ、特派員になる少し前、
試験勉強に中央区を公式テキスト片手に歩き回っていた時に
海運橋も間違いなく来ていたんです。
が。
テキストにはちゃんと「2基の親柱」って書いてあったのにもかかわらず
こちらの「かいうんはし」と書かれた方の親柱と
教育委員会設置の説明板を見て満足しちゃってたんですよね・・・たぶん。
だから「もう一つの親柱」についての記憶がなくて・・・。
※公式テキストには、ちゃんと「何と書かれているか」についても記載があります。
ちゃんと読んで勉強しましょう。
で、どうして気付かなかったのかというと。
↑赤い大きいマークで書かれた「かいうんはし」の親柱&案内板の
元・楓(もみじ)川であった高速道路を隔てて反対側の元・川岸(?)の方に
「もうひとつの親柱」はあったのです。(地図上の青丸のところです)
なのですが、高速道路の高架下の陰に隠されて、
私はその存在をちゃんと認識できていなかったのです。
というわけで・・・ちゃんと見に行きましょう。
正解は・・・
こちら。
エ.紀元二千五百三十五年六月造
でした!!
ちなみに・・・「紀元2535年」とは?
神武天皇の即位を元年とした「皇紀」によるものですね。
紀元(皇紀)2535年=明治8年=西暦1875年、です。
海運橋がアーチ型の石橋にかけ替えられた、その年です。
「紀元二千五百三十五年六月造」の方の親柱のすぐ近くには・・・
「みずほ銀行兜町支店」があります。
そうです。ここが
「銀行発祥の地」です。
明治6(1873)年、「第一国立銀行」ができたのがこの地でした。
文明開化期には「新しく素敵な洋風建築の銀行」の存在もあり
東京の金融の中心地となったこともあり
この界隈は「東京の新名所」となっていたそうです。
株式の電子取引が主流となってきており
いわゆる「場立ち」もなくなって
以前ほど兜町が賑わいを見せなくなっている、と言われる昨今です。
しかし、日本橋に隣接するエリアであるということもあり
徐々に街の再開発計画も進められているようですよ。
再び「東京の新名所」となる兜町の姿を楽しみにしたいものですね。