『ギフト、そして自分も楽しむ』をフォーマルに取材します、rosemary sea です。
先日、佃煮の老舗・日本橋鮒佐(ふなさ)さんのお店のお品につきましてご紹介しました。
前回の記事はこちらです。
⇒ /archive/2019/02/post-6101.html
今回は、日本橋鮒佐さんの歴史・由来につきまして述べさせていただきます。
株式会社日本橋鮒佐 統括本部長 宮内悠(みやうち ゆう)さんにお世話になりました。
それでは・・・
日本橋鮒佐さんの創業は1862年(文久2年)、江戸時代の終わりの頃。
初代佐吉さんはもともと武士でした。北辰一刀流、免許皆伝の腕前。
趣味の釣りが高じて、釣った小鮒を串刺しに、醤油の付け焼きで「鮒寿々め焼(ふなすずめやき)」として販売していました。
ある日釣り船を出し、時化に遭いました。流れ着いたのは佃島。
そこで地元の漁師が雑魚を塩煮にしているのにヒントを得、小魚を煮込み売り出しました。この時の醤油煮が現在の佃煮の原型を創った、と云われています。
佃煮は日清・日露の戦いで注目されるようになりました。
保存性の高かった佃煮が戦時食とされ、帰国後の兵隊さんがこぞって佃煮を買い求められるように。
お店の名前は「鮒屋の佐吉」さん、そこからのネーミングですが、「金鮒佐(きんふなさ)佃煮」を商標登録されています。
それは3代目・大野金盛(かねもり)さんが、受け継いだ秘訣の味に更に工夫を重ね、江戸名物の佃煮を生み出した記念に由来します。
江戸の食通より評判の日本橋鮒佐さん、現在は4代目の宮内隆平(りゅうへい)さん、5代目の宮内悠さんがみずから佃煮などのお品を創られています。
ところで、日本橋鮒佐さんにつきましては以前、ロズマリの記事にも引用したことがあります。
それは2017年3月9日アップの「神茂(かんも)さんの歴史について語ります ②」。
その際の神茂さん、井上社長の談。・・・
『平成24年8月放送のTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で日本橋を俳優の勝村政信さんが回ったとき、うちの母もお店とともに出ました。
勝村さんのお父さん、佃煮の鮒佐さんの職人でした。・・・』
・・・そうです、勝村さんのお父さんは日本橋鮒佐さんの製造部長をされていたそうです。
蒲鉾の老舗・日本橋神茂さん、鮒佐さんとは道を挟んだ斜め向かいです。
どちらも「東都のれん会」さんに加盟しています。
東都のれん会さんは・・・
江戸・東京で3代、100年以上同業で継続し、現在も盛業、の条件を満たす、古いのれんのお店の集まり。
50余店の加盟があり、ロズマリ記事でも榮太樓總本鋪さん、黒江屋さん、千疋屋総本店さん、榛原さん(順不同)が登場しています。
更にこれから記事を書かせていただく日本橋弁松総本店さんも、加盟されています。
日本橋室町1-12-13
東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅 A4出口より徒歩3分です。
03-3270-2735
祝 日 11:00~16:00
定休日 日曜日(12月の日曜は営業します。)
日本橋三越 支店
日本橋室町1-4-1 三越日本橋本店
03-3241-3311(大代表)
営業時間・定休日 百貨店に準じます。
日本橋鮒佐さんのホームページはこちら
⇒ http://www.ganso-tsukudani.com