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2017年10月 4日 18:00
自分の能力もわきまえず(ペーパー通訳案内士です)、ついついインバウンドのまち歩きツアーのガイドを引き受けてしまったので、人形町まで、その下勉強に行ってきました。
大観音から「ちどり屋」へ向かうあたりで外人の団体に出会い、ガイドの女性(日米のハーフのよう)に、聞いていてよいかと訪ねたら、「料金をいただくわよ」と笑いながら言われました。まあ、冗談であることは明らかでしたから、そのまま追いていこうかとも思ったのですが、遠慮しました。
その後、からくり時計の所では、中国語のガイドが説明していました。その他、人形町通りにはかなりの外国人が見られ、インバウンド隆盛のようです。
「ちどり屋」(東京都中央区日本橋人形町1-7-6 HSビル1階)は手ぬぐい専門店であり、「取り扱っている手ぬぐいは、全て『注染(ちゅうせん)』と呼ばれる染色方法で染められています。熟練の職人達による手染の『注染』は、伝統工芸にも指定されています」ということです。
「注染」とは、あるサイト(http://www.suzukine.co.jp/blog/2015/10/23/118)によると「明治時代に考案された日本独自の染色方法です。裏表なく染められた手ぬぐいや風呂敷、さらに浴衣などは注染の技法で染められています。細かな柄もきれいに染め上げることができるうえ、一度に数十枚を染められるので当時としては画期的な染色法だったのです。
同じように細かい柄を染める方法として染色プリントがあります。しかし、注染は糸を直接染め上げるので、布の伸縮性や通気性を損ないません。また、使うほど柔らかい風合いが増し、味が出てくるのです。ですから、洗濯をくりかえす手ぬぐいや木綿の浴衣を染めるには、ぴったりの方法といえます」ということです。
「ちどり屋」は「"手ぬぐい"の販売を通して日本の文化と職人さんを守る手助けが出来る事を誇りに、全国に店舗を展開していくべく「人形町本店」を、その第1号店として開店いたしました。手ぬぐいのほか、気づいたときにささっとお掃除ができる「箒(ほうき)」や「風呂敷」といった日本の良品もお取扱させていただいております」ということです。
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2017年10月 1日 16:00
天気のよい日には、ばあやは私を背中に負ぶって方々の縁日へ連れて行ってくれた。浜町の家から一番近いところにある清正公、人形町の水天宮、大観音、牢屋の原の弘法大師、時には日本橋通りを越えて西海岸の地蔵などへも行った。中でも大観音は活版所と同じ町内にあったので、頑是ない時から最も馴染が深かった。今は彼処がどんな風に変っているか知らないが、昔は表通りからちょっと奥へ入り込んでいて、石甃の道の両側に、浅草の仲見世を小さくしたような玩具屋の店が並んでいたので、私は必ずその前を通ると何かしら玩具をねだって帰った。 (50)
When the weather was fine, Granny often carried me piggyback to various temple fairs and markets - to the Seisho-ko, which was closest to our house in Hama-cho; to the Suitengu in Ningyo-cho; to the O-Kannon, and the Kobo Daishi Temple in Royanohara; and sometimes as far as the Nishigashi Jizo beyond Nihombashi Avenue. Of them all I felt most at home at the O-Kannnon, since it was right in our neighborhood. I have no idea what it looks like now; but it used to be set back a bit from the street, and numerous toy shops lined both sides of the flagstoned path that led to the Main Hall - like a smaller version of the celebrated Nakamise arcade in front of the Asakusa Kannnon Temple. (39)
清正公(清正公寺;浜町公園内にある加藤清正公を祀る寺)
水天宮(安産・水難・水商売に御利益のある神様で、福岡県久留米市にある水天宮を総本社とする)
大観音(大観音寺;明治13年当地に創建。本尊の銅仏は、北条政子が井戸から掘り出した古鉄の正観音の御髻から霊験を得て、鎌倉に創建した新清水寺に祀られていたものだという)
牢屋の原の弘法大師 (大安楽寺;伝馬町牢屋敷跡であったことから誰も住み着かなかったため、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建された。高野山から弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山と号した)
西海岸の地蔵 (日本橋西河岸地蔵寺教会;奈良時代の僧・行基が彫ったとされる地蔵菩薩を安置する)