[達磨]
2016年10月16日 18:00
大川端の俗称からつけられた浜町、新宿線浜町駅下車 A2番出口、「明治座」から清澄通りを歩いて、久松町交差点を人形町方面へ左折すると、日本橋七福神の一つ、寿老神「笠間稲荷神社」。ここから久松警察署先を右折すると"1升餅の張り紙"和菓子「三廼舎」さんです。
季節感を大切との思いで、和菓子作りをするご主人の旬のお奨めは「栗蒸し羊羹」。パンケーキ風な「どらやき」をいただきました。江戸時代は鳶沢氏の古着市として繁栄した、ここ富沢町を後にして、人形町を目指します。
三廼舎
人形町駅A2番出口、人形町通りを堀留交差点に向うと、道路隔てて明治維新の時から現在の人形町で刃物を商う「うぶけや」の看板。その先「三光稲荷神社」のぼりを見て、左折して少し歩くと、堀留児童公園。手前に老舗和菓子「清寿軒」さん。少し先には、ビル谷間に元和3年(1617)創建したと伝えられ、初代・団十郎が日参し名をあげた「出世稲荷神社」があります。
「清寿軒」 文久元年(1864)、日本橋堀江町(現小舟町)で創業。現在の営業は堀留町のビル1階の粋なお店。7代目店主が、140年以上の暖簾を守っています。評判の「どら焼き」は生地の香ばしさ、口当りのいいボリュームある餡で、昔ながらの手技と新しさを感じます。「栗まんじゅう」も上等の味わい。
出世稲荷
小舟町に向います。江戸時代の小舟町は堀留川の間にあって、江戸有数の問屋街と言われ、昭和期には商社、繊維、医薬会社の進出がありました。昭和通り本町2丁目交差点から堀留町交差点に向うこの街の通りには、天正18年(1590)創業、団扇・扇子の「伊場仙」、明治8年(1875)創業「鰻・高島屋」、明治44年東京進出の「長瀬産業」、隣は老舗和菓子「日月堂」さんです。小舟町となり町......堀留町には、恵比寿神の「椙森稲荷」、本町(旧大伝馬町)には、創業から360周年を迎えた「小津和紙」。すぐ近くに商売繁盛の「宝田恵比寿神社」があります。
「日月堂」 明治10年創業。季節の生菓子、紅白まんじょう、正月用鏡餅、のしもち、定番どらやきは、江戸の商業地の真ん中で、地域の人々に愛されてきました。...最近は、TVでも紹介されたコーヒー生大福・黒なまどら・くりきんとんなど、新しい味の菓子も創られています。 なお、べったら市では宝田恵比寿神社門前のとなり露店で、恵比寿講のお供えとして伝わる縁起物「切山椒」と(栗蒸羊羹)が販売されています。 切山椒の由来山椒は昔から種々効能が知られていますが、辛さあるため、新粉の甘い菓子にして子供にも食べやすくしたとの伝えがあります。(日月堂先代女将談)
日月堂
10月19日、20日は、秋の風物詩「日本橋恵比寿講べったら市」です。旧大伝馬町一帯(本町三丁目、大伝馬町、堀留町)で行われます。べったら漬けを売る店を中心に、400~500軒の露店が連なり、夜になると年を追って、縁台や空地などで、宴会の賑わいです。
以上
[達磨]
2016年10月 9日 09:00
「霊岸島」の名で呼ばれる現在の新川1,2丁目付近。江戸時代は「運河・新川」の開削により分離した地域だが、河岸には下り酒を扱う問屋や白壁造り酒蔵が並んで繁盛の様子が「江戸名所図会」に描かれている。戦後23年新川は埋め立てられた。ここ新川エリアには和菓子の歴史に触れるお店に出会います。
一軒目は茅場町駅から「霊岸橋」を渡って暫らく、左折した処、古い木彫看板の新川1丁目「田川堂]さん。店内はレトロ、ご高齢のご主人とやさしい女将で、明治後期の創業の味を守っています。「をぐら大福」「ワラビもち」「むし鹿の子」それぞれが匠の味を持っていて、ほどよい甘さ、昔を感じます。
田川堂
もう一軒は新川2丁目「梅花亭本店」 嘉永3年(1850)大伝馬町に創業の老舗です。茅場町駅1番口を出ると、地図御用所跡の碑。八丁堀方面に向って左折すると「戦災遭難死者慰霊碑」(大空襲)「大震火災遭難追悼碑」(関東大地震)があります。新亀島橋橋上で亀島橋を望む。橋の袂そばが「梅花亭」さん...長崎帰り蘭学者宇田川興斉の話しにヒントを得て、栗饅頭の祖と称されている「あめりか饅頭」を出して大ヒット。2代目は、明治初年に銅鑼焼き(餡と皮が一体化した厚一枚皮の大きなどら焼)を創案、平成十年に再び復元。次いで若草餡の「三笠山」を考案、命名は九代団十郎と伝わる。昭和期の6代目は梅の形3種の餡の「梅もなか」を工夫。べったら市の時だけ切山椒と喜利羊肝を製作しているとか。<.同社HP、江戸東京幕末グルメより>「お客様に快いゆとりを味わって頂くことを第一と心がけ、庶民性の中に上品さ...」 とのお店の伝えをそのまま味わえる老舗店です。
梅花亭
因みに、どらやきの起源は「江戸初期に麹町に開店した助惣焼がはじまりであったが、幕末に店をたたんだ」 変わって「明治初年大伝馬町で梅花亭の創案による丸型一枚どらやきが登場」 現在のどらやきは編笠焼という焼菓子で、大正3年上野黒門町に開店したうさぎやが始祖。<事物起源辞典による>
[達磨]
2016年10月 6日 14:00
「リオ五輪・パラ合同の凱旋パレード」が10月7日、銀座8丁目交差点から日本橋室町までの中央通り約2・5キロで行われる。再び熱狂大観衆が沿道に。秋雨の続いた、幾日か前、静かな銀座通りを歩きました。この中央通りの起点近く、中間点、終点には、喫茶室を併設した匠の技が味わえる和菓子の老舗があります。
銀座6丁目『銀座風月堂』 上野・東京などの風月堂とは系統が違う130年以上の和洋菓子老舗店です。みゆき通りと並木通りの角地(目の前は空也)にあって、併設の喫茶室は待合わせや銀ブラの後のスポットです。みゆき通りを眺めながら、季節の和菓子セットなどが楽しめます。店売りの和菓子では、今が旬!大きな栗がしっかり、甘さ控えめで口あたりよい「栗蒸し羊羹」は上級のおもてなし品です。
銀座風月堂
花椿通りを築地方面に向かって、中央通り・昭和通りを越えて、木挽町通りを左折すると、『清月堂本店』です。 明治40年(1907)、現在の銀座7丁目(旧京橋木挽町)に創業。初代は、「水羊羹と葛桜」を売り出し大評判になりました。代々「四季折々の季節の和菓子を楽しんでいただくこと」を心得とし、創業者は「一代一菓」という言葉を残し、3代目創作のきみしぐれ「おとし文」は現在の看板人気商品です。...HP)水羊羹、葛桜もいただきましたが、人気の「豆大福」は豆、餅、適度の甘味のバランスが最高!豆大福の御三家です。茶房があります。
清月堂
中央通り銀座2丁目「東京風月堂」 歴史は風月堂の暖簾分けで明治5年両国若松町に開業の米津風月堂。昭和58年に銀座通りに東京風月堂開店。ここ1階フロアでは昔ながらのゴーフルをはじめ、焼き菓子やケーキが売られ、2階のティールームでは、銀座の街並みを眺めながら、スイーツ、軽食が楽しめます。<写真なし>
京橋を越えて日本橋を渡ると、以前「木屋」があった"COREDO室町3"1階に『鶴屋吉信室町店』があります。享和3年(1803)創業、昭和35年東京に進出。代表銘菓は富岡鉄斎が愛好したという「柚餅」と「京観世」ほか京菓子がきれいに並び、人気の店内甘味処では抹茶と季節の生菓子が楽しめます。<写真なし>
ここコレド室町/福徳の森周辺では、9月28日~10月9日、伝統文化フェスティバル「日本橋 熈代祭」が開催
この日本橋室町1丁目『文明堂日本橋本店』(文明堂東京HD) 文明堂は明治33年(1900)に長崎で創業。昭和8年新宿店設立、昭和10年に電話帳に「カステラは一番、電話は二番」の大きな宣伝を出す。昭和26年日本橋本店設立。リニアルオープンしたお店のショーケースには定番名品の「カステラ」「三笠山」「カステラ巻」「季節の和洋菓子」に並びます。併設のェ"BUNMEIDO CAFE"では評判の焼立て三笠パンケーキが楽しめます。...HP)
以上