[達磨]
2017年12月31日 09:00
三越日本橋本店から堀留交差点に向って昭和通りを越えると・・・新しさの中に歴史を包み込んだ日本橋『小舟町』です。江戸~明治期には日本橋川に入り込む東堀留川沿いに土蔵か並び、繊維問屋、団扇問屋や鰹節問屋等がひしめく街だったといいます。余談ですが、浅草宝蔵門には小舟町内からの奉納提灯大提灯が掛っています...今は老舗会社、有力会社の新しいビルが立ち並ぶ小舟町です。飲食店やホテルも出来て、きれいになりました。大通りは昔から名無しでしたが、ネーミングを検討中とのことです。この通りの左右には、重厚感のあるビルに建替えられた【小倉ビル】【長瀬産業ビル】が目立ちます。
新しい年の飾付け!小舟町にある老舗の佇まいです。
【伊場仙】 なんと400年以上の歴史を持つ「団扇、扇子屋」です。店内は浮世絵柄の商品が豊富に陳列されています。犬の絵柄のかわいい飾り扇を購入しました。
【高嶋家】 創業明治8年の「うなぎ専門店」です。140数年間を守り続けた味、さらに若女将のおもてなしに感激しました。
【日月堂】創業明治10年、昔からの「上生菓子」「栗どらやき」「切山椒」「鏡餅」「紅白饅頭」など老舗の味を守っています。
【小舟町八雲神社天王祭】
平成30年9月、4年に1度の大祭が開催されます。
小舟町八雲神社は、神田明神の境内にある摂社の一つで、
祭礼を小舟町が施行するようになったのは江戸時代初期~、
大祭の際には堀留児童公園にお仮屋が建てられ、神輿が渡御されます。
戦前と思われます神輿渡御の写真(亡き親父の晴れ姿?)です。⇒⇒⇒⇒
天王祭は庶民による荒々しい神輿祭りで、現在は小舟町だけが同祭りを受け継いでいるといいます。
[達磨]
2017年12月 6日 14:00
12月2日(土)、「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」(GINZA SIX 地下3階)での「東大観世会・東大観世OB会合同自演会」を楽しく観てきました。東大観世OB会は戦前戦後を通じて活動されて、昭和24年(1949)には「東大観世会」を新発足、世界に誇る「能」に息の長い取り組みをされています。(ホームページご覧ください)
江戸の文化の中心であった中央区、今、この真ん中で、能を鑑賞できることは嬉しいことです。来年度の東大合同自演会は2018年12月23日(日)「観世能楽堂」に於いて開催予定。
※観世能楽堂のHP;http://kanze.net/
※東大観世OB会のHP ; http://todaikanzeob.main.jp/
[達磨]
2017年12月 5日 12:00
富くじ(富突・突富・富)は文化文政期(1804~30)に大流行。中央区内では白旗稲荷(本石町)・福徳稲荷(室町)・椙森稲荷(堀留町)・薬研堀不動院(東日本橋)・茅場町薬師・新川大神宮などでも興行されたようです。(中央区内文化財HP、福徳神社富籤HP参照)。富札の値段は、1枚1分から2朱ほどだったとか。1両を10万円位に仮定すると、1枚は1~3万程度でかなりの高さです。人心や内部不正のため,天保の改革(1842)によって富くじ興行は禁止されましたが、落語の中では、「湯島天神」と「椙森神社」が主な舞台となって、富くじでの人々の動きが、平成の寄席、ホール...落語会の高座に引き継がれています。
↓〈知泉院茅場町薬師〉 ↓〈新川大神宮〉 ↓〈白幡神社〉
↓〈薬研堀不動院〉 ↓〈福徳神社〉家康公も参拝
↓〈椙森神社-べったら市前日-〉 ↓富落語2席のあらすじです。
三代目小さん(1857-1930)が大阪から持ち帰りの落語「宿屋の富」・・・馬喰町の汚い旅籠に貧乏くさい男が泊まった。「副業でやっている椙森神社の富札が一枚売れ残っている。」「これ以上金を増やしたくはないが、まぁいいだろう。」千両富が当たった!・・・貧乏宿の主人が祝いをしようと客の布団をはぐと下駄を履いていた...と。(笑い)
初代圓朝(1839-1900)が実話から落語化したものと伝えられる落語「富久」・・・酒でしくじってばかりの幇間の久蔵、なけなしの一分で椙森神社の札を買って、大神宮さまの神棚にしまいこんだ。――中略―――火事で久蔵の家は丸焦げ。椙森神社を通ると「一番、鶴の1500番」の声。「あ、当たった!」久蔵、卒倒した。当たり札がなければダメだ!帰る途中、鳶の頭「さすがに芸人だ。立派な大神宮様のお宮だな。家にあるよ。」「ど、泥棒!と半狂乱」「運のいい男だな~。」「へえ~、これも大神宮様のおかげです。近所にお払いをいたします。」...人情味豊かな噺です。//幕