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2016年8月23日 18:00
残暑の厳しい暑い日照りにもかかわらず、大勢の人たちがいっぱいでびっくり。
屋台も沢山出て、賑わっていました。
初めて「綱引きを生で観覧」、力強い動きに引き込まれました。結局決勝まで見ることになりました。
浜町公園入口
中央区観光協会テント、綱引会場の様子
綱引ジュニアの部、綱引選手権の部・競技風景
全日本綱引フェスティバル・決勝トーナメント結果
選手権男子、選手権女子、一般、ジュニアの各部門
中央区観光大使・ミス中央の方々と、けん玉イベントの様子
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2016年7月30日 09:00
「弾正橋と元弾正橋の概略」以下の通りです。
弾正橋(だんじょうばし)::所在地は京橋2、3丁目の鍛冶橋通り。大正2年(1913)に元弾正橋の上流(楓川)に架設。
元弾正橋(もとだんじょうばし) :橋名は寛永図、承応図、明暦図には無名橋として記載、元禄13年(1700)の図に「とごえはし」、後に弾正橋となった。この橋の東の八丁堀(旧松屋町)に邸宅のあった島田弾正小弼に由来。大正2年(1913)元弾正橋の上流に弾正橋が架設されたので元弾正橋と改称され存続されたが区画整理で、廃橋。東京市では、この橋が我が国最初の国産橋梁であることから、昭和4年(1929)5月、現在の位置(江東区)に八幡橋として移築、保存。明治11年(1878)に日本で最初に国産の鋳鉄と錬鉄を併用して作られた橋。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定。平成元年(1989)米国土木学会の栄誉賞を日本で初めて受賞。菊の紋章入りの橋。橋長15.1m、幅員9.0m。(注)中央区の橋・橋詰広場・中央区教育委員会編から抜粋
ウオーキング概要:
鍛冶橋通り、永代通りを東に向かう目的地までのウオーキング(最寄駅:出発は都営浅草線宝町駅下車で歩きはじめ、終点は東京メトロ東西線・都営大江戸線門前仲町駅となります)
都営地下鉄宝町駅から鍛冶橋通りを東へ進むと、現在の弾正橋。左手(北側)の公園に旧弾正橋の象徴化された模型、右手の公園に中央区が設置した弾正橋の碑があります。
まもなく左手、京華スクエアの角に「ものしり百科」p59⑭八丁堀の与力・同心組屋敷跡の説明板があります。直進し、新川2丁目で八重洲通りと交差します。ここはかつての越前堀の西南側のあたりと思わます。鍛冶橋通りの右側(中央大橋方向)へ渡り、永代橋に向かって進みます。
「永代橋西信号」の少し手前、右手最初のガソリンスタンドとその手前のビルとの間の細い道、これが新川の跡のようです。突き当りに新川の石碑p57⑦が遠くに見えます。さらに、鍛冶橋通りを永代橋へ進みます。橋詰にp56⑤船員教育発祥之地碑があります。
永代橋(重要文化財:現在長寿命化工事中で歩道が狭くなっています)を江東区側に渡ります。橋のうえから隅田川下流方向に、石川島の高層住宅、中央大橋が美しくそびえています。東岸の橋詰に永代橋(重要文化財)の説明板があります。
永代通りを東に向けて歩き、途中の信号で、永代通りの北側へ歩道を変えて、東へ進みます。門前仲町駅を横目で確認しながら清澄通りを横断し、さらに直進し、富岡八幡宮・正面の東側の側道を東門まで北へ進み、右折し少し行くと左に八幡堀遊歩道の入口があります。遊歩道に入ると前方に八幡橋が見えます。橋の近くに説明の碑があります。
八幡橋を見て、気が付いたことは幅が狭いことです。出発点の弾正橋にある中央区の碑には幅9.0mとなっています。しかし、現地の説明板では2.0m(実物も)となっています。(長さも少し違いがあります)これらについては「郷土室だより」の119号、120号で鈴木理生氏が書かれております。現在地に元弾正橋を八幡橋として設置する際に、改修が行われたようです。
初めて八幡橋を見たその日、元気な小学生たちがが渡っていく下校姿を見て、130年以上も前の東京最古の鉄製の橋(重要文化財)が現役でひっそりと使われている素晴らしさを感じました。
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2016年7月 1日 14:00
ゆかた[浴衣]は広辞苑によると"「ゆかたびら」の略。おもに白地に藍色で 柄を染めた、夏季に着る木綿の単衣(ひとえ)。夏の季語。"とあります。
「ゆかた博物館」は人形町駅の近くにあります。見学を通じて、 あらためて昔の人々(着る人、創る人、売る人)のゆかたに対する思いが 伝わってくるように感じました。
「ゆかたや三勝」向かい側「ZOME・2階」の博物館内の展示を説明をして 下さったのはゆかた博物館館長の清水敬三郎さんで、人間国宝・清水幸太郎 さんの三男の方です。清水さんが入社されたころは「三勝染」といえば 高級ゆかたの代名詞で、手の込んだ精緻な柄を出せば、お客さんは価値を 認めて対価を支払ってくれたものだと伺いました。清水幸太郎さんは 長板本染の職人でその熟練の技は重要無形文化財に指定されたそうです。
社名の三勝は創業の志を社名にしたとのことですが、創業者初代・天野半七の 名前と関連して、歌舞伎「艶容女舞衣」(はですがた おんな まいぎぬ)の 主人公の「半七と三勝」の話も伺いました。
社屋のあるあたりは、江戸時代の堺町・葺屋町で、中村座、市村座が天保の改革で浅草猿若町へ移転させられるまで200年ほど存在した地域でもあります。人形町通りの西側には堺町・葺屋町の芝居町跡の説明板、東側には歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)のモデルになった玄冶店(げんやだな)の碑、説明版がある。春日八郎の「お富さん」でも有名。
毎年7月7日は「ゆかたの日」です。
「中央区まちかど展示館一覧」の"概要欄"に人間国宝清水幸太郎の作品、ゆかたの染工程、染色道具類、相撲のゆかたなどと記載があります。見学には、電話で予約が必要です。
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2016年6月 1日 14:00
歩いてわかる「中央区ものしり百科」p110のコースに沿って、一部は少し寄り道しながら進みました。晴海のオリンピック選手村予定地の現状は?p112の「晴海見本市会場」記念碑の所在地は?二つの疑問を持っての散策です。
勝どき駅前をスタート、隅田川テラスへ。右手に勝鬨橋、左手に築地大橋が見えます。
①十返舎一九墓、工事中の新島橋を渡り、高層マンションの角を左折し ②朝潮小橋。中央地区清掃工場の裏側の通り(黎明橋公園通り)を右折、まもなく左手に ③ホットプラザはるみ。そしてp110のコースを外れ黎明橋公園通りをさらに南の方向へ進むと晴海埠頭公園。
そして晴海埠頭(客船ターミナルへ)。展望台へ上ります。選手村の参考イメージ図があり、眼下にその敷地の現状が見えます。1階に降りて、バス道路を歩いてほっとプラザ方向へ向かいます。ほっとプラザ晴海を左手に、さらに、中央地区清掃工場正門を左手に見ながら進みます。当該敷地の北東角に散策路入口があり、入ってすぐ右側の植え込みに「晴海見本市会場」記念碑があります。この清掃工場前の広い道路名は補助第314号線だそうです。この道の次の交差点が環状2号道路で、右折するとすぐ豊洲大橋で渡って右手が豊洲新市場です。左折(月島警察署)すると築地大橋を経て虎の門ヒルズの方向へ。どちらの方向も未開通(環状2号)です。
左折せずに補助314号線をさらに北へ進むと「幻の万博」事務局棟跡説明版が歩道上に立っています。晴海3丁目の信号を右折すると有明通りで晴海大橋の手前左側にふるさと晴海資料展示館があります。次に来た道を引き返し晴海3丁目信号(交番右折前)を右折しまもなく、④晴海アイランド トリトンスクエアに入るエスカレータで上り、朝潮運河方向へトリトンスクエアを横断します。運河脇の歩道へ出て左へトリトンブリッジ方向へ。途中混雑緩和のための歩行者用の新しい橋(建設中)を横目に動く歩道橋を渡って勝どき駅へ。
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2016年5月 4日 14:00
入船2丁目にある「ミズノプリンティングミュージアム」を見学させていただいた。予約が必要なので、ちょっとためらっていたが電話で簡単に予約できた。見学当日はまず印刷関連のスポット「築地・明石町エリア」の「活字発祥の碑」を、さらに「慶応義塾発祥の地・碑」を見て、「居留地中央通り」を通り「ミズノプリテック(株)」ビル着。忙しい中、総務の方が親切に案内、説明して下さいました。平野富二の活版印刷機、百萬塔陀羅尼経、西欧の印刷機械など貴重な展示品であふれていました。印刷会社会長の水野雅生さんの個人のコレクション、「印刷機の遺産収集」のようです。
「活字発祥の碑」
平野富二の名前があります。
「慶応義塾発祥の地・碑」
平野富二は福沢諭吉と交流があったようです。
「ミズノプリテック(株)ビル」 このビルの上層階にミュージアムが有ります。
平野富二の活版印刷機を見てから
近くの鐵砲洲稲荷神社へ。
以前通った時は解体工事の真っ最中でした。富士塚もちゃんと復旧しますよと関係者の方からの説明あり。
「鐵砲洲稲荷神社」前の看板。 来年(平成29年3月頃)竣工予定との記載有り。
隅田川の向こう側、石川島公園内には、水戸藩が造船所を設立、その後、平野富二が日本初の民営洋式の造船所として再スタートさせた旨の「日本初の民営造船所 発祥の地・碑」がある。
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2016年4月 4日 09:00
今日(31日)はお天気が良く、気温も高くなり都心の桜が一気に満開になりました。
皆さん銀座桜通りがどこにあるかご存知ですか?
答は銀座一丁目です。外堀通りから東京高速道路(旧京橋川)の南側に沿って昭和通りまでのようです。
今日は銀座桜通りを直進し、水谷橋公園、そして昭和通りを横断し直進、新金橋児童遊園の満開の桜も横目で見ながら
入船一丁目の信号を北に折れて桜川公園の桜を見てきました。
もちろん満開でした。まだ一日二日は楽しめそうな感じでした。