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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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あかつき公園・シーボルトの娘いね

[O'age] 2017年2月28日 18:00

公園には、雪まつりの雪が残る肌寒い日に下記写真を撮りました。

 
 シーボルト(1796~1866)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(1823)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。
 同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(1859)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。
 彼の江戸における指導は、江戸蘭学発展のために貢献するところが大きかった。この地が江戸蘭学発祥の地であり、且つ彼が長崎でもうけた娘いねが築地に産院を開業したこともあり、また明治初期から中期にかけてこの一帯に外国人居留地が設けられていたことから、ここに彼の胸像を建て、日本への理解と日蘭の橋渡し役としての功績に報いるものである。
 中央区教育委員会

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上記シーボルトの説明板に、胸像がここにある理由の一つとして、シーボルトが長崎でもうけた娘「いね」が築地に産院を開業したことがあげられている。

 

具体的な住所を探したが、分からなかった。小説を少し読んでみる。「いね」は幕末から明治という激動の時代を医師として、母として生きた人だということが分かる。また、多くの歴史上の著名な人物を登場させたり、作家により、描写が異なったり、興味深いものがある。

 

「いね」は文政10年(1827)長崎生まれ。産科・蘭学を学び、明治3年(1870)築地で産院を開業(明治8年には閉鎖)。明治22年(1889)いねは長崎より再び上京、娘高子と共に麻布に居住。明治36年(1903)いね死去、76歳。

 

 

 

初音森神社

[O'age] 2017年1月23日 18:00

日本一の繊維問屋街に鎮座する商売繁盛の神、地域の産土神(馬喰町・横山町・東日本橋の鎮守)として信仰を集めている初音森神社にお参りしました。1階には総武快速線建設時出土の浅草御門の門柱などが展示されております。以下「ものしり百科のP95~96」より。

 

初音森神社
ビル内に組み込まれた鎌倉時代創始の神社
鎌倉時代の創始と伝えられ、この地に祀られていたが、現在の馬喰町付近に郡代屋敷を建てる際、隅田川対岸の本所(現在の墨田区)に遷宮させられた。昭和23年(1948)、現在地に再建された本殿は、ビルの2階に組み込まれており、ビル前に鳥居がある。(東日本橋2-27-9)

 

上記関連写真とその説明
現在の東日本橋の初音森神社

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浅草御門の門柱などの展示

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浅草橋・南西橋詰の「郡代屋敷跡」の中央区教育委員会説明板

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隅田川対岸の本所(現在の墨田区千歳)の初音森神社・本社

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地図御用所跡

[O'age] 2016年12月28日 09:00

ものしり百科に載っていない説明板をご紹介します。IMG_7222.JPG

所在地 中央区日本橋茅場町二丁目十二番付近

 
地図御用所は、実測による初めての日本全図を作製したことで知られる伊能忠敬(1745~1818)の住居に設けられていました。伊能忠敬は、51歳の時に下総国佐原(現在の千葉県佐原市)から江戸深川黒江町(現在の東京都江東区)に居宅を移し、幕府天文方高橋至時の門に入って天文学を学び始めました。寛政12年(1800)からは本格的に日本全国の測量をはじめ、以降17年間にわたって日本全国の沿岸を測量し、その総距離は約4万kmにも及んだといいます。文化11年(1814)、九州地方の測量から帰った伊能忠敬は、深川黒江町から八丁堀亀島町と呼ばれていた現在地付近へ転居しました。この屋敷の敷地は150坪ほどでしたが、伊能忠敬の居住地としてだけではなく、測量図を作製するための地図御用所として利用されていました。伊能忠敬は地図が完成する前の文政元年(1818)に亀島町の居宅で死去してしまいましたが、その後も伊能忠敬の居宅は地図御用所として使用され、文政4年(1821)門弟や天文方の下役等の手により「大日本沿海與地全図」が完成しました。平成17年3月 中央区教育委員会

 

伊能忠敬の深川黒江町(現在の江東区門前仲町付近の歩道上)住居跡の碑

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伊能忠敬のお墓台東区源空寺にあり、師であった至時の墓と並んでいます。

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稲荷堀(とうかんぼり)跡

[O'age] 2016年11月30日 14:00

新大橋通りを歩いている時「とうかん堀通り」の表示を目にしたので、後日、昔の堀跡の表示探し。なんとか「稲荷堀跡」の説明板をみつけた。近くには「行徳河岸」の説明板もあった。ものしり百科には載っていませんので、以下の写真でご紹介します。

 
とうかん堀通り

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稲荷堀跡(とうかんぼりあと)の説明板(中央区教育委員会)

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行徳河岸(中央区教育委員会)

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この辺り頭上の高速道路を見上げると数十年前に、付近でチェックインしてバスで成田空港に行った時代を思い出します。広重はこの辺りを「みつまたわかれの淵」で描いています。

  

また、付近(北西方向)にある説明板「メイゾン鴻之巣創業の地」があります。カフェー「メイゾン鴻巣」(ものしり百科p26に掲載)と比較すると、ここでは「バーを兼ねた西洋料理店」という説明文になっています。多くの著名な文士が集ったところだったようです。

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千葉定吉道場跡:ものしり百科に載ってない説明板

[O'age] 2016年10月27日 09:00

千葉定吉道場跡

北辰一刀流の開祖・千葉周作の弟の道場の跡。

 
この説明板(中央区教育委員会)の記述はテキストにはありませんが、第九回・中央区観光検定ではテーマが京橋エリアになっています。鍛冶橋通り南側歩道上(八重洲2-8先)にあります。

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また、同じ歩道の近くにある京橋の歴史など、写真や図入りの説明の碑、これも街歩きでは見逃せない対象ではないでしょうか。(教育委員会のものではありませんが)

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「普通救命講習Ⅰ」を受講して

[O'age] 2016年9月20日 16:00

ボランティアガイドする際に少しは役に立つはずという観点から、AEDの使い方を覚えておきたいと、参加しました。普通救命Ⅰを消防署で受ける機会が有りましたので報告させていただきます。

 

費用は講習代1400円、認定証の郵送切手代82円、時間は約3時間でした。講師は防災協会の方2名。受講者は40~70代の男女(7+8)人。

 

受講してみて初めて、単なるAEDの使い方を知るだけではだめということが判りました。受講前はAEDは音声ガイドが有りその通りやればいいぐらいに考えていましたが、それだけでは不十分と思い知らされました。

IMG_5816.JPG 後日届いた認定証

 

内容を理解するには、講習を受けられるのが一番良いのですが一部分を下記に記載します。

 

1.応急手当の重要性 傷病者が発生した場合のバイスタンダー(その場に居合わせた人)が応急手当を行えば、救命効果が向上し、治療の経過にも良い影響を与える。

2.バイスタンダーは救命の手助けのうち最も重要な、心肺停止を①消防への早期通報、②一次救命処置(早い心肺蘇生とAED処置)の二つの重要な役割を担っている。

3.救命処置とは傷病者の命を救うために行う 「心肺蘇生」「AEDを用いた除細動」「気道異物除去」の三つの処置

 

ポイントは

①周囲の安全確保:傷病者及び自分自身。

②周囲の人に大声で助けを求め、119番通報とAEDの搬送依頼をする。

③胸骨圧迫は強く速く絶え間なう。AEDで処置する。

と理解しました。

 

講師の方は、デパートのように人が多数集まる建物に勤務される方々の受講が多いとの話をされておりました。興味のある方は受講されてはいかがでしょうか。人形を使っての訓練も良い経験となりました。