[巻渕彰/写楽さい]
2009年6月19日 10:00
「一番高いところ」といっても「地価」「建物高さ」にあらず、「標高」の話。
中央区の地形は山なし谷なし坂もなく平坦で、自転車走行やまち歩きには比較的楽なところである。
千代田区や港区を歩くと坂道が多いのがよく分かる。中央区の大半が埋立地であったことが実感できるのだ。
そもそも、全国の標高をはかる基準になった場所が
中央区で、霊岸島量水標であった。ここで明治初期に潮位観測して零位(A.P.)を決め、これをもとに東京湾平均海面(T.P.=標高0m)が定められて、「水準標石」が設置された。
この歴史的な水準点から国会議事堂前の憲政記念公園内にある現在の日本水準原点(24.4140m)が測量決定されたのだった。
区民史跡の霊岸島検潮所・量水標跡はよく知られたところであるが、見逃せないのが、そこからやや離れた位置に存在する「一等水準点『交無号』」(写真上)である。平成18年(2006)、現在地に移転したもので、平成21年(2009)2月に説明板が設置された。ここの標高は3.24mとある。
ところで、
中央区で標高の一番高いところはどこだろうか。
資料(「水準基標測量成果表」平成20年(2008)7月、東京都土木技術センター)によると、中央区には20地点の標高(東京湾平均海面(T.P.))が載っている。
標高の高い地点は日本橋本石町三丁目で4.7619m。つぎは銀座五丁目4.7562m、銀座八丁目3.8337m(写真下=銀座八丁目の水準基標)とつづく。やはり、銀座は「地価」も高いが、「地盤」も高いようだ。
一方、低い地点の標高は0.7360m。よって区内標高の高低差は約4mで、ビルの1階分ほどの高さだ。
標高の高い地点をたどっていくと、古来の本郷台地延長線から江戸前島と呼ばれた稜線に沿っているように思える。かつての東海道筋もここに通されたようで、地形を生かした都市づくりがあったのだろうか。
■「中央区 ここに歴史あり」シリーズ
第1回 「今もある、霊岸島」 こちら>>
第2回 「交差点に残る、今なき橋」 こちら>>
[巻渕彰/写楽さい]
2009年6月 3日 09:00
前回(第1回)は歴史地名の霊岸島を取り上げたが、今回は、今はもう存在しない橋が交差点名称になっているところを紹介したい。
中央区は現在でも
東京都区部で水面率第1位であり、水の都と呼べる。かつてはほとんどの地区が堀割・河川に囲まれた地域であった。戦争直後を知っている方はもちろん、東京オリンピック直前まではあちらこちらは水辺であった。そこには橋が架けられ、人、車が行き交っていた。その後、首都高速道上に変身した橋は今もいくつか存在するが、埋め立てられた川に架かっていた橋はその姿を消していった。
ところがどっこい! 歴史の橋名が残っている。どなたでもご存知の数寄屋橋、鍛冶橋、呉服橋などは交通の要衝であり、交差点名称になっている。
では、写真の、今はなき橋名のついた交差点はどこにあるのでしょうか?
もちろん、設置場所はすべて
中央区内で、高速道路上に架かる橋ではない。これらの橋の由来を調べるのもいいかもしれない。
(1) 蓬莱橋(「らい」は異体字で別字)、(2)鞍掛橋、(3)土橋、(4)有楽橋
*ついでながら、「土橋」の右端の交通標識をご存知だろうか? 今の時代、大八車の印がなぜか懐かしい。この交差点に設置されている事由はどうしてなのか? この標識は「自転車以外の軽車両通行止め」だが。*写真はすべて2009年5月撮影。