[ゆりかもめ]
2009年8月20日 09:00
お盆休みも終わり俳句の世界では秋になっています。
久し振りに浜離宮に行きました。
浜離宮は国指定の特別名勝及び特別史蹟と云う事になっています。
小石川後楽園は国指定の特別史跡及び特別名勝になっています。
東京ではこの二つの庭園だけが特別に史蹟にも名勝にも選ばれているのですが、浜離宮は史蹟よりも名勝の方に重きが置かれ、小石川後楽園は名勝より史蹟に重きを置かれている為にこのような表現をするそうです。
どちらかと云うと浜離宮は洋風で平面的な庭であり多彩な色彩の美があり外国の方々が好む庭なのだと思います。
キバナコスモスが真っ盛りですがその他の花も紹介します。
サンセット(メキシコ産)
サニーイエロー(日本産)
下記は9月に入りキバナコスモスが終わる頃から咲き始めるコスモスの早咲きです。
10月終わり頃までいろいろな種類のコスモスが咲く予定です。
スイフヨウ・・・・1日だけ咲く花です。
朝は白い色ですが昼頃にはピンク色になり夕方には濃紅色になります。
ムクゲ・・・・韓国の国花です。
ノウゼンカツラ
ヤブミョウガ・・・・花が終わると実がつくのですがその実が最初は翡翠のような色をしています。 それがターコイズブルーに変わり黒い実になります。
その変化の様子を 大変美しく思います。
サンゴジュ・・・6・7月に多数の白小花が密集して開きますが 私は楕円形の実の頃が好きです。
9・10月には この赤い実が 青黒色に変わります。
オミナエシ・キキョウ・ミソハギ・タマアジサイも咲いていましたが 写真が多くなり省きます。
でも ミソハギの近くで 珍しい蝶も見かけました。
手の届く所を飛んでいるのですが カメラに収める事は出来ませんでした。
蝶・・・・・・・褄黒豹紋(ツマグロヒョウモン) アオスジアゲハ
トンボ・・・・・・蝶トンボ シオカラトンボ
アキアカネが数多く飛び交い 秋である事を知らせているようでした。
[ゆりかもめ]
2009年8月11日 09:00
写真は住吉神社の本殿です。
住吉神社の例祭は毎年8月6・7日に行われました。
今年は3年に1度の本祭りではなく陰祭りでしたが6日には大祭式が本殿で行われました。
7日は神楽殿で午後2時半・4時半・7時より江戸里神楽として3つの物語が若山胤雄社中により
奉納されました。※陰祭(かげまつり)の時のみ奉納)
江戸里神楽とは御能、歌舞伎、狂言の要素を取り入れて古くから神社に奉納する音楽と舞です。
物語は遠い昔の神話に基づいています。
台詞もなく伴奏は情景描写、心理描写です。
大太鼓、大拍子(鼓に似た大きな物)、能管、竹笛に合わせて御面をつけて舞います。
高い芸術性を持ち江戸文化の神社芸能として伝承されています。
江戸里神楽の若山胤雄社中は国指定重要無形民族文化財に指定されています。
住吉神社の御祭神
伊邪那岐大神(いざなぎのみこと)の御子である底筒之男命(そこつつのおのみこと)中筒之男命(なかつつのおのみこと)表筒之男命(うわつつのおのみこと)の3柱の神は海路守護の神様です。
それに この3神を遥拝なさった 息長足姫命(神功皇后) 東照御親命(徳川家康)の御神霊も
奉還祭祀されています。
佃島は江戸湊の入口でもあり海運業、各問屋組合はじめ多くの人々の海上安全の守護神として
信仰され その後は月島、勝鬨、豊海、晴海も加わり産土神(氏神)としても信仰を集めています。
8月7日、住吉神社の神楽殿で江戸里神楽が若山胤雄社中(国指定重要無形民族文化財)
の方々により奉納された時の写真です。
伊邪那岐大神(いざなぎのみこと)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
住吉神社の龍虎と黒駒(区民有形民族文化財)が1対づつ展示され 御神酒が供えられている。
本祭りの時は獅子頭の鼻先を掴むと縁起が良いとされる事から、宮出しは区民無形民族文化財に指定されている。
平素は一般には公開されていない。
神輿(区民有形民族文化財)天保9年(1838年)に奉納された。
天皇の即位に用いられる高御座を模して八角形にしたと云う伝承から八角神輿とも呼ばれる。
ガラス張りの外から撮ったので外光が反射して良く撮れなかった。
平素は一般公開していない。
[ゆりかもめ]
2009年8月11日 09:00
8月8日(土)東京湾大華火祭が行われました。(19時~20時20分)
晴海埠頭の特別席(晴海埠頭公園の北側)には2日前より観覧席用のブルーシートが整然と敷かれ、前日には花火打ち上げ用の作業船も並びました。
当日は曇っていましたが適度の風で 絶好のコンディションでした。18時頃には屋形船が数多く集まり 花火の打ち上げ前の水面を美しく彩っていました。
7年後のオリンピックを意識してか??・・・・・五輪マークの花火も登場し未来に夢を託しました。
そして今年も例年通り 12000発の花火が打ち上げられ夏の夜空を飾りました。
江戸の納涼花火の起源
第八代将軍 吉宗の時に御浜御殿(現 浜離宮)で幕府の鉄砲方が狼煙(のろし)を上げるのを
鍵屋弥兵衛が見て 玩具の花火を工夫したと云われています。
1717年に悪病退治と死者の慰霊を祈願する水神祭の夜、 余興として献上花火を隅田川で
打ち上げたのが 後に納涼花火の起源となりました。
両国川開きの際は 橋より下流で花火を打ち上げていたそうです。
花火が終わった後の余韻を楽しんで居る屋形船群