[杏葉牡丹]
2013年2月26日 08:30
今ではもう、すっかり2月の東京の風物詩となった「東京マラソン」。
都内の名所をまわるコースは、見る側にとっては大変楽しいものですが、市民ランナーの方たちにとっても、銀座や日本橋を走れるなんて滅多にない機会なので、大変に人気があり、今年の申し込みは10倍もあったとか。
そんな中で、幼稚園から中学まで一緒だった同級生が、幸運にも抽選に当たり、走ることになりました。
子供時代からは想像もつかなかったのですが、これまでに数々のフルマラソを走り、東京マラソンも2回目とのこと。
とは言うものの、昨年末に病気をしたばかりで、とても心配だったので、地元の同級生たちで、応援に行くことにしました。
ランナーも応援する側も、一番見つけやすいのは、築地の本願寺を過ぎてから佃大橋に向かうために曲がる、入船橋の交差点。
ちょうど地下鉄新富町駅の出口の辺りです。
この場所はコースの2/3位で、和太鼓のパフォーマンスや給水ポイントが有ります。
ここまで来られたとホッとすると同時に、ここから先の佃大橋の超急角度のアップダウンを始めとする最後の難関に備えるために、気合いを入れる場所でもあると言えます。
<築地本願寺前> <佃大橋>
本人から通過予想時間を聞いていたので、寒いからちょっと前に行けばいいや~と思っていたら、区役所の先を歩いていた時に、早めに行っていた同級生から「今通過したよ!」との連絡が!
タッチの差で間に合わず残念でしたが、集まった同級生たちと「この調子だったら結構いいタイムで行くんじゃない」などとしばらくダベってから解散。
後でホームページで確認したら、タイムは4時間53分。
本人からは「入船橋までは頑張ったのですが、後はずっこけました。ヤッパ年だね。」というメールが届きました。
とはいえ、無事に終わってホッとしました。
レース中は、銀座や日本橋の中央通り、晴海通りに、新大橋通り、そこに通じるあちこちの通りが通行止めになっていて、すぐ目の前に行きたいのに大回りしなければ行けなくて、ちょっと不便ではありましたけれど、クイズの様に通れる場所を考えながら、普段とは違う経路を通るのも、面白いものでした。
<入船橋前> <幼稚園からの同級生>
来年ももしエントリーできる様だったら、皆で応援に行くからねっ!吉野君っ!
[杏葉牡丹]
2013年2月 6日 14:00
地下鉄大江戸線の築地市場駅の階段を上がれば、すぐ目の前に見えるのが、朝日新聞社です。
入り口には警備の人が立っていて、関係のない人間は入っては行けないような雰囲気ですが、実はこの建物は、コンサート等がよく催される「浜離宮朝日ホール」への通り道にもなっていて、ホールへ抜けるための2階のコンコースには、レストランやカフェ等一般の人でも利用できる施設が入っています。
その中にある書店が、BookCumu(ブックキューム)です。
店長の渡邊さんによれば、来店客のほとんどは、やはり朝日新聞の関係ということで、入ってまず目につくのは、政治・経済・時事問題の本。
20坪も無いくらいの狭い店なのに、八重洲ブックセンターのような超大型書店でなければ置いていない、岩波書店・みすず書房・藤原書店などの人文科学系の本がずらっと並んでいます。
さらに、文庫・新書では、近藤書店や旭屋書店が無くなった後の銀座エリアでは、教文館くらいにしかない岩波文庫・新書の他に、日本の古典文学を多く収録する角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫と、知的好奇心をかきたてるような本が平積みされています。
中でも、「マスコミ・ジャーナリズム」というコーナーには、昔の基本的なジャーナリズム論から、IT時代の最新の動きまで、新聞以外の雑誌・テレビ・ネット等の全てのメディアに関する本がずらっと並び、さすがに「新聞社の中の書店」という感じ。
これは、かつてある記者の方から『新聞社の中にある書店なのだから、狭くても、マスコミ・ジャーナリズムのコーナーを作ったら』というアドバイスがあって出来たコーナーだとか。
その記者の方は早逝されてしまったので、謂わばメモリアルのコーナーでもあるのだそうです。
その他、当然ながら、朝日新聞出版の新刊書籍や雑誌は揃っていますし、週刊朝日やアエラ等のバックナンバーも、1ヶ月くらい前まで在庫しています。
(たまたま在庫を切らしていたり、品切れだったりする時もあるので、来店の前には必ず電話で在庫をご確認下さい、との事です。)
営業は月~金曜日の10時~18時なので、昼間に仕事をしている方は難しいかもしれませんが、本好きだけがわかる、今時数少ない『棚が語りかけてくるような本屋』です。
機会がありましたら、是非いらしてみて下さい。
BookCumu(ブックキューム)朝日新聞本社店
中央区築地5-3-2 朝日新聞社2階
電話03(3543)2428
営業時間 月~金曜 10時~18時
定休日 土曜・日曜・祝日
[杏葉牡丹]
2013年2月 5日 14:00
4月2日の開場まで2ヶ月を切った、新しい歌舞伎座。
柿落としの演目も発表になったにも関わらず、昨年の勘三郎さんに続いて団十郎さんまで失うことになってしまい、神様が、厳しい試練を乗り越えなければ大きな花は咲かない、とでもおっしゃっているかの様です。
でも、江戸時代から、様々な危機的状況を乗り越えて、連綿と続いてきた『歌舞伎』。
巨星墜つといえども、それにかわる星々がきっと又出てきてくれるはずです。
そんな歌舞伎の殿堂である、新しい歌舞伎座。
先日は、ついにシートが取り除かれ、その全容を見ることができるようになりました。
歌舞伎座正面(晴海通りから)
この歌舞伎座は、明治22年(1889年)、演劇改良の動きを背景に、福地桜痴が中心となって建設されたもので、当初は西洋式の外観になっていました。
ところが明治44年に開場した帝国劇場が純洋風で、これに対抗する為もあって、日本式宮殿風に改築されました。
ところが大正10年に漏電の為に焼失、再建中に関東大震災があって一時中断したものの、大正14年1月に、外観を桃山風にして再開場されました。
この時の「新築落成 初春開場興行」のプログラムがあるのですが、表紙にある外観は、現在のものとかなり似ています。
ちなみに、出演者は、徳川家康が五代目中村歌右衛門、連獅子の狂言師右近は十五代目市村羽左衛門です。
その後、昭和20年(1945年)5月に空襲によって焼失。
昭和26年に復興し、現在に至ります。
ですから、初めて歌舞伎座が建て替えになると聞いた時には「これほど歴史のある建物がどうなってしまうのだろう?」と思った方も多かったことでしょう。
かく言う私もその一人。
変に現代的なデザインで違和感を感じる様になったら、歌舞伎を見る楽しみが半減してしまうと思っていたのですが、さすがに隈研吾さん、ちゃんと「なるべく現状の形を生かします」とのこと。
確かによく考えてみれば、十代の頃でも、ダッシュで駆け上がれば息切れがしてしまう4階の幕見席(特に3階から4階にかけての急角度の階段は、下町の狭い家で育って慣れている筈の私でも、かなりハードでした)をはじめ、バリアフリーとはとても言い難い建物の構造。
昼夜の入れ替え時には、地下鉄の入り口が狭いこともあって、沢山の人で混雑して、道が通れなくなってしまう等々、様々な問題があったのも事実です。
建て替えも仕方ないのかな~と思いつつも、工事が始まってからは、期待と不安で、近くを通る度に必ず見上げずにはいられませんでした。
最初に、劇場に併設されるタワービルが建った時はどうなることかと思いましたが、正面のフェンスが少しずつ低くなるにつれ、あの特徴的な桃山風の屋根の骨組みが見えた時は、本当にワクワクドキドキしました!
文明堂側の方が先に見える様になったのですが、大道具の搬入口が少し変わったものの、ほとんど変わらない姿に、嬉しくなってしまいました。
むしろ、後から継ぎ足した、レストランが入っていた別棟がなくなって、1975年にたまたま父が撮っていた写真とそっくりなくらいです。
1975年の歌舞伎座 2013年2月3日現在
あとは、建物の中が、大劇場にも関わらず、昔の芝居小屋の様だった独特の雰囲気が、再現されているかどうかですよね。
綺麗になるのは良いのですが、おもちゃ箱をひっくり返したように様々な品物が並んだ売店は、「ああ、歌舞伎座にお芝居を見に来たんだ」と思わずにはいられないワクワクした雰囲気があって、やはり欠かせないものでした。
あんみつにモナカのカッブのアイス、キンツバに人形焼き等懐かしい食べ物の他に、役者さんたちの様々なグッズが並ぶのは勿論ですが、「左団次コロン」なんていうのもありました。
そして、3階の廊下には、亡くなった名優の写真が並んでいて「もっと早く生まれて、絶世の美男子と言われた十五代目羽左衛門を見たかったなぁ~」等と思ったものです。
新しい劇場にも同じようなコーナーが設けられるのだとしたら、勘三郎さん、団十郎さんの写真を見て、やるせなくなるかもしれません。
でも、あんな役者さんは二度と出てこないとしても、二人の息子さん達をはじめ、これからが楽しみな役者さんたちが沢山います。
歌舞伎は、新しい劇場とともに、少しずつ変わっていきつつも、きっと沢山の人達に、素晴らしい感動を与え続けてくれていくことと思います。
昭和通り側から 築地側から 築地側横面