[柴犬]
2017年8月23日 14:00
真田丸の熱も未だ冷めやらぬ2017年秋ですが、来年・2018年のNHK正月時代劇が、三谷幸喜さん脚本による「風雲児たち」だとプレスリリースされました!時代は江戸中期、蘭学(ヨーロッパ文化)を志す前野良沢と杉田玄白の「蘭学事始(らんがくことはじめ)」の物語です。出演は片岡愛之助(前野良沢)、新納慎也(杉田玄白)、山本耕史(平賀源内)、草刈正雄(田沼意次) さんら。
正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」
となれば...
舞台はもちろん江戸のど真ん中、中央区築地です!
こちらが、まさに杉田・前野の蘭学事始地となった場所。石碑が立っております。のちにこの場所に福沢諭吉が蘭学塾(のちの慶應義塾)を開いたので、「慶應義塾発祥の地」碑と並んで立っています。
画像が見辛いと思いますが、「解体新書」が刻まれた石碑です。
この場所は中津藩(現在の大分県)奥平家の中屋敷がありました。古地図でも確認できます。中津藩の藩医だった前野良沢は、この場所で杉田玄白らと共に、オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組みます。
石碑の場所は、中央区明石町11。聖路加病院の入り口近くにある小さな広場です。画像の右です。下の地図では、中心下あたりにある三角の区画です。
ここで、蘭学の風雲児たちが。
この場所は、お隣がプラネタリウムで知られるタイムドーム明石、お向かいがトイスラー記念館。
築地市場や外国人居留地跡、幕末史跡や文豪史跡、昭和の復興小学校、もちろん築地本願寺もある強力な観光スポットです。観光地を知らなくても、ただブラブラお散歩するだけでも楽しい場所です。銀座の中心地までも徒歩15~20分程度。
ぜひ、風雲児たちの舞台を見にいらして下さい!
ちなみに、ドラマにはおそらく長崎屋も登場するのではないかと思うのですが...
長崎屋は日本橋にあった幕府御用達の薬問屋で、旅宿も兼ねていたため、オランダ商館長や専門知識を持った外国人が多数逗留し、彼らの話を聞くため数多くの学者が集まっていました。平賀源内・杉田玄白・前野良沢・中川淳庵・青木昆陽などもその中にいました。長崎屋と学者たちの様子は、葛飾北斎も描いています。
場所は、中央区日本橋室町4−4−10 東短ビル、説明板が立っています。コレド室町や三井本館のすぐ近くです。鎖国が厳しかった時代、江戸唯一の西洋文明の窓口だった大切な史跡です。
今からドラマの舞台を見て、気持ちを盛り上げていってはいかがでしょうか!
[皐月の鯉の吹き流し]
2017年8月22日 18:00
築地魚河岸から勝鬨橋を撮影した昔の写真が出てきましたので 見てください。 (父か叔父が撮影したのだと思います)
他にも探したのですが残念ながら、開いた時の写真は 見つかりませんでした
左側は魚河岸で隅田川に向かってスロープがありました。 船の上げ下ろしができたのでしょう。
隅田川の向こう側、月島・勝どきはこの当時見てのとおり 高い建物はありません。(昭和30年頃と思います)
だいたい同じ位置からの写真と見比べてください
[橘]
2017年8月18日 18:00
銀座松屋1Fにある"ルイ・ヴィトン"のショールームにMona Lisaが飾ってあります。
ウィンクをされたのは、私だけでしょうか
だとしたら、大変光栄ですが
[サム]
2017年8月15日 18:00
富岡八幡宮の祭礼は深川八幡祭りとも称され、寛永19(1642)年に将軍家光の長男(後の家綱)の世嗣祝賀を執り行なったのが始まりとされています。日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭と並んで江戸三大祭りのひとつに数えられ、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」とも謳われる程、その神輿ぶりが有名で、昔ながらの「わっしょい、わっしょい」の掛け声と共に、沿道の人々から清めの水が威勢よく浴びせられ、「水掛け祭り」としても親しまれています。
今年は3年に1度の本祭り。中でも、8月13日に挙行された、氏子各町53基(1~55番。4番、42番は欠番。)の大神輿が勢揃いして練り歩く、「各町神輿連合渡御」は圧巻です。
富岡八幡宮を起点に、永代通り~大門通り~江戸資料館通り~清洲橋通り~清洲橋~箱崎湊橋通り~永代橋~永代通りと約8kmを巡行。
見せ場のひとつが永代橋袂の永代橋西交差点。両側から消防用ホースで大量放水され迫力満点。「揉み上げ」「差し上げ」「舞い上げ」等、粋なパフォーマンスも繰り広げられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がりを見せます。
[CAM]
2017年8月15日 09:00
どなたかが「通り3丁目」バス停名について書いておられるのを読んで少し書きたくなりました。 私は「佃」の住民なので、東京駅へ行く際は、中央大橋を通って、住友ツィンビル前→新川→亀島橋→八丁堀2→通り3丁目という路線バスを使います。日本橋へ行く際は、「通り3丁目」で降りて中央通りを少し歩くことにしています。 したがって、この「通り3丁目」というバス停名は、かなり馴染み深いものです。
「通(とおり)」という旧町名は、現在の日本橋日本橋1~3丁目について、江戸時代から1972年まで使われたもの。大通り沿いに面した町であったことから「通」と名付けられたもので、街道沿いの表通りには大店が軒を連ね、江戸を代表する繁華街として栄えたものです。(『ものしり百科』173頁)
この停留所近くの八重洲通り中央分離帯には、「ヤン・ヨーステン記念碑」があります。日蘭就航380年を記念して1989年に設置されたものです。(『ものしり百科』21頁)
かつての江戸随一の繁華街であった中央通りを進むと、右に高島屋日本橋店、左に丸善書店があります。高島屋日本橋店は1933年に完成され、2009年には百貨店建築として初めて重要文化財に指定されています。(『ものしり百科』21頁、129頁)
日本橋の左手前際には、最近「日本橋観光案内所」が設置されました。
三越日本橋本店前には、「奈良まほろば館」があります。私はよく訪れます。
私は、日本橋近辺を訪れた際は、帰途は、永代通りを永代橋まで歩きます。
永代通り、コレド日本橋アネックス広場には「名水白木屋の井戸」の碑があります。(『ものしり百科』21頁、134頁)
その右隣りには「漱石名作の舞台」についての碑もあります。
さらに、永代通りを歩くと「其角住居跡」の碑もあります。(『ものしり百科』23頁)
さらに進むと、霊岸橋を通ります。川の機能を果たしている橋です。橋上から眺めると、先に「新亀島橋」「亀島橋」が見えます。
通例では、永代橋際から隅田川のリバーテラスを川風に吹かれながら帰るのが好きなのですが、今日(7月13日)は、ここで八重洲通り、亀島橋際へもどることにしました。
このあたりは現在の地名では「新川」と呼ばれていますが、昭和46年までは「越前堀」と呼ばれていました。(『ものしり百科』174頁)商店名などにその旧地名が残っています。
今日(7月13日)は富岡八幡の例大祭。写真は住友ツインビル前の広場の様子です。
ここまで来ると、もう中央大橋は目の前。右に聖路加タワー、左に東京スカイツリー、永代橋等を見ながらこれを渡ると佃に入ります。
[TAKK...]
2017年8月14日 18:00
日本橋本町にある真新しい神社です。
縁起は定かではないようですが、案内板によると江戸時代初期から日本橋の方々に親しまれている神社のようです。
平成25年に隣接するビルの建て替え工事に伴って神社も一旦とりこわされ、平成28年に新たに造営されたようです。