[平成助六]
2009年6月 5日 19:00
地元の人たちにはお馴染みの佃天台子育地蔵尊の境内、と云うよりも地蔵尊と共存しているのでないかと感じがする大銀杏。その幹周り、標高、樹齢を正確にご存知の方いらっしゃいますか?幹周りを測るにしてもぎっしりと囲いが出来ていて無理な話ですが。
ある日、テレビで地元のガイドの方が樹齢350年と説明されていたので私なりに思いついたことがあります。佃島が造成されたのは正保2年(1645年)と江戸東京事典に記載されてますから、ほとんど同時期に銀杏が植付けられたことになります。100間四方の小島に当時の漁師達が何の目的で銀杏を育てたのでしょうか?約150年後の佃の広重や北斎の絵を見てみると小さい島だけど緑の樹木が茂っている様に見えます。小さい島だけど漁師達が緑欲しさに沢山の苗を植えたのではないでしょうか?この銀杏だけが現在まで残った、としたらまさに地元の文化、伝統と共に生きてきたことになります。まさに天然記念物です。もっとも樹齢の判定はなかなか難しいと聞いてますが。何方か詳しい事ご存知でしょうか?都内には推定樹齢800年と云う銀杏が品川の光福寺に今も青々と育ってます。
[巻渕彰/写楽さい]
2009年6月 3日 09:00
前回(第1回)は歴史地名の霊岸島を取り上げたが、今回は、今はもう存在しない橋が交差点名称になっているところを紹介したい。
中央区は現在でも
東京都区部で水面率第1位であり、水の都と呼べる。かつてはほとんどの地区が堀割・河川に囲まれた地域であった。戦争直後を知っている方はもちろん、東京オリンピック直前まではあちらこちらは水辺であった。そこには橋が架けられ、人、車が行き交っていた。その後、首都高速道上に変身した橋は今もいくつか存在するが、埋め立てられた川に架かっていた橋はその姿を消していった。
ところがどっこい! 歴史の橋名が残っている。どなたでもご存知の数寄屋橋、鍛冶橋、呉服橋などは交通の要衝であり、交差点名称になっている。
では、写真の、今はなき橋名のついた交差点はどこにあるのでしょうか?
もちろん、設置場所はすべて
中央区内で、高速道路上に架かる橋ではない。これらの橋の由来を調べるのもいいかもしれない。
(1) 蓬莱橋(「らい」は異体字で別字)、(2)鞍掛橋、(3)土橋、(4)有楽橋
*ついでながら、「土橋」の右端の交通標識をご存知だろうか? 今の時代、大八車の印がなぜか懐かしい。この交差点に設置されている事由はどうしてなのか? この標識は「自転車以外の軽車両通行止め」だが。*写真はすべて2009年5月撮影。