[巻渕彰/写楽さい]
2011年6月 4日 15:28
中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)の第11回特別展「蔵出し これ!クション」が開催中で、同館収蔵品から選りすぐりの郷土資料が展示されている。会期は6月4日から7月10日まで。入場無料。
特別展の詳しい案内はこちらをご覧ください。>>中央区HP郷土天文館ページ
同館が所蔵している資料類は2万5千件におよぶという。今回の特別展にはその中から140件ほどが展示されている。普段は目に触れることがない、貴重な区民財産の数々に出会うことができる。
会場は「生活民俗」「古文書」「印刷物」など6つの資料分類別と、「長谷川時雨」「築地小劇場」「戦争」の3テーマ別をあわせ全9コーナーからなっている。時代は江戸期から昭和期までにわたり、懐かしい思い出の品々を見つけることも楽しみである。
その見どころの一部を紹介してみると、
「生活民俗」では、佃の漁師が白魚献上のために運んだ白魚献上箱には、「御本丸」「御膳御用」などの記載がある。薬種問屋の箱車は、薬運搬用に使った2輪の荷車で、長さ2メートル弱の実物展示。水神社山車模型は、日本橋本町の人形師三代原舟月の作で、10分の1のミニチュア、精巧な加工に見入ってしまう。「古文書」では、岸田吟香の書幅は珍しい掛け軸という。「印刷物」では、浜御殿図、浴恩園屋敷図などのほか、昭和11年に来日したチャップリンがてんぷらを味わっている時事新報写真ニュースが面白い。「資料図書」では、京橋高等小学校児童が綴った、関東大震災の実体験記が注目される。「静止画」では明治期に撮影された、明治座のステレオ写真など貴重な写真が見られる。「絵画」では、14代将軍家茂の上洛錦絵は2点あり、日本橋と銀座付近が描かれている。
テーマ別の「長谷川時雨」コーナーは、通油町生まれで初の女性歌舞伎脚本家として、著書『旧聞日本橋』などが展示されている。「築地小劇場」コーナーでは、俳優座が製作した「夜明け前」の舞台模型が見もの。「戦争」コーナーでは、漫画家・麻生豊が東京大空襲で焼け野原になった銀座の戦後復興を描いた絵巻が圧巻である。
会期中の毎週土曜日(未実施の時間帯もあり)には、同館ボランティアサポーターによる展示案内を行っている。特別展に関連した講演会や学芸員のギャラリートークも開かれ、「築地小劇場」の歴史映像上映(有料)もされている。●巻渕彰
[ジミニー☆クリケット]
2011年6月 3日 21:18
葛飾北斎「富嶽三十六景 武陽 佃嶌」
江戸時代は、ほんとにこんな小さな島(埋め立て地)だったんですね
以前、石川島資料館(中央区佃1-11-8)に行った時、佃島・石川島の歴史が、その埋め立ての変遷とともにわかりやすく説明されてあったので、図書館でもっとくわしく調べたいなと思ってさがしていたら、ありましたしかもおひざ元の中央区立京橋図書館地下2階の地域資料室に
書籍名は、「江戸城下変遷絵図集-御府内沿革圖書-」、編者・監修者は、「幕府普請奉行(!)編解説監修朝倉治彦」、出版社は原書房。全20巻の8巻目に、佃島の変遷がわかる絵図が載っています。
【1673年以前】石川島は、もともと隅田川河口の鎧島(よろいじま)を船手頭石川八左衛門が拝領して屋敷を構えて以後、石川島と呼ばれるようになったらしいです。
佃島の佃小橋って、昔からあったんですね
【1790年】人足寄場ができました。ちなみに、人足寄場の提案者は、江戸の火付盗賊改方長官の"鬼平"こと長谷川平蔵だそうです。
人足寄場は、軽犯罪者等の社会復帰施設(≒更生施設、職業訓練所、療養所)だったそうですよ
【1792年】石川さんちが人足寄場附増地になってます。
【1862年】全島が人足寄場になってます。
とにかく、この本は、まさに江戸城下の土地(利用)の変遷をとても丁寧に見せてくれていて、読み始めると(ながめ始めると?)、時間がたつのも忘れてハマっちゃいます
ご参考までに、中央区立京橋図書館は、中央区役所内地下1,2階にあり、平日利用時間は9時から20時までですが、地域資料室は17時までです
[銀造]
2011年6月 1日 08:30
先日、「東をどり」の取材に新橋演舞場隣の料亭、金田中さんへ岡副真吾様を訪問しました。
その際に、料亭「金田中」の名前の由来について、お伺いしました。
岡副真吾さんは三代目ですが、ご本人曰く、実は、四代目なのですと仰いました。 さて、お話をじっくりお聴きしました。 金田中の前身は、金子とら様(Ms.Tora Kaneko)が、田中屋という大茶屋から暖簾分けした際に、ご自分の名前の金子の金を足して、「金田中」という名前にしたそうです。
大正の中頃、「金田中」という料亭は、新橋五大茶屋のひとつに挙げられています。
そして、金子とら様が、岡副真吾様のおじい様に、ご自分のお店を後継してくれる条件として、「金田中」の名前を残すことをあげました。 おじい様の岡副鉄男様(Mr.Tetsuo Okazoe)は伊勢のご出身で、関西で料理の修業をし、東京へ進出、関西割烹を営んでいらしたそうです。 今でこそ、知る人ぞ知る、有名な料亭ですが、そういう秘話があったのですね。 さて、そんなお話をお聞きして、HPを拝見しました。
こりゃ、庶民の行ける食事処ではないなっと思いましたが、じっくり探しました。
http://www.kanetanaka.co.jp/
そんな銀造がポケットマネーで行ける店を探しました。 店名は、当てて下さい。
ランチで注文したのは、 「和牛リブロース薄焼」。 お店で看板の松坂牛と縁深い但馬牛を鉄板で焼きますが、味付けは肉に塩、胡椒。 焼いたお肉の横でバターと焦げ醤油。 肉に直接醤油をかけないので、マイルドです。
上から、煮込み野菜とミートボール(ハンバーグシチューの様です)、メインの
「和牛リブロース薄焼き」には、バター醤油で味付けされた「きしめん」、野菜が下に添えられています。
手前は、ご飯、赤出汁、焼肉のタレ2種。
写真には映っていませんが、生サラダも
付いていました。
ご飯のお代わりも出来ました。
食後の飲み物は、コーヒー、アイスコーヒー、お抹茶の中から選べました。
お抹茶には、和三盆が添えられていました。 大変美味しい一服でした。
[ジミニー☆クリケット]
2011年6月 1日 08:30
以前から、駅名に私企業名の「三越前」ってすごいよなあと思っており(東武鉄道の東武動物公園駅や西武鉄道の西武球場前駅とはちょっと違いますよね)、それは、駅を作るとき、三越さんが駅を作るお金を(当然デザインも)出したからだ、というようなことを聞いて、へぇーと驚き納得した記憶があります。
確かに、駅自体は古めかしく、大理石の柱やら、他の駅と雰囲気が違っていたような・・・ということで、駅自体を見に行くという目的で三越前駅に行ってきました
まず、三越本館脇の地下鐵入口がこんな感じです
地下通路に下りると、大理石の柱の装飾が凝ってます
ホームに下りると、壁の三本線は"三"越からの三本線
駅名のデザインも東京メトロの他の駅と全然違います
駅ができた当初、日本初の駅構内エスカレーターも設置されていたそうですよ
駅のホームに下りた瞬間から、「三越にぃ、来たぁー」という気分にさせるしくみが、80年前に作られていたんですねぇ(感動)