[江戸旅太郎]
2015年2月24日 09:00
■初午祭りとは、2月最初の午(うま)の日に行う稲荷神社の祭礼です。今年は、2月11日が初午でした。二の午祭は、2月23日です。その間の期間に、銀座のお稲荷さんにお参りしてきました。
■銀座1丁目・幸稲荷神社
神社の場所が以前と変わっていたのに、びっくりしました。並木通りから少し入った所に有る為、並木通りに案内板が設置されていました。
■銀座3丁目・朝日稲荷神社
今回は、大広朝日ビル屋上の本殿にもお詣りしました。撮影中に、ビル1階の拝殿にお参りする方が2人いらっしゃいました。
■銀座3丁目・宝珠稲荷神社
江戸時代に盛んだった地口(じぐち:俚諺・俗語などに同音または声音の似通った別の語をあてて、違った意味を表す洒落)行灯があり、嬉しかったです。ここも、お参りする方がいらっしゃいました。
■銀座4丁目・宝童稲荷神社
お賽銭は、お賽銭箱が置いてない場合、稲荷の向側にある「五十音」(ペンシル ミュージアム)の郵便受けに入れることになっていました。
■銀座5丁目・あづま稲荷神社
神社は、雰囲気の良い三原小路にあります。ここも、お参りされてる方がいらっしゃいました。
■5つの稲荷神社で撮影したのは、平日の正午から2時過ぎぐらいの時間でした。撮影時にお参りする方が計4人いらっしゃいました。お稲荷さんが地域に根付いていることが理解できました。 以 上
[銀造]
2015年2月23日 22:00
銀座一丁目の並木通りの幸稲荷神社。
ビルの建替の為に永らく参拝できませんでしたが、
2 月23日午後2:30から初午祭が行われ、以前と同様お参りができます。
新しく建てられたZY GINZAというビルには NEW YORKER という
アパレル店が入り、その店の左側の路地に鎮座しておられます。
お買い物とお食事の前後に銀座八丁の神社巡りもお楽しみ下さい。
[隅田の花火]
2015年2月19日 14:00
築地のとなりにある中央区明石町。
この明石町には聖路加国際病院がありますが、二月に入り家族がなんとこの病院に入院することに。今回は、良い機会というのもなんですが、患者側の立場として病院の中を廻ってみました。
写真の左側の十字架の尖塔がある建物が旧館、右側奥のタワービルが聖路加タワー、そしてこの2つの建物の間にある建物が本館となっており、この3つの建物は2階レベルでそれぞれ渡り廊下のような通路でつながっています。入院患者は真ん中の本館で過ごします。
本館と聖路加タワーは90年代に建てられた比較的新しい建物ですが、旧館は1933年に建てられた建物がベースで、歴史ある建物となっています。
また、夜になると十字架のある尖塔が輝く、ここ明石町のシンボルと言ってよい建物です。
明石町界隈に来ると、なんとなく前向きな気持ちにさせてくれるような、不思議な感じがするのですが、そういう雰囲気にさせてくれるのはこの建物のおかげだと勝手に思っています。
この旧館には1936年にできた古い礼拝堂(チャペル)があるのですが、今まではなかなか入る機会もなく、旧館の北側からチャペルの建物を仰ぎ見るだけでした。
しかし今回は、手術前、手術の日、そして手術後のリハビリ歩行の付き添いを兼ねて何度か訪問させていただく機会に恵まれました。
本館から旧館へは2階の渡り廊下を使いました。廊下を進むと、トイスラー記念館が眼下に見える画廊が現れ、さらに進むと旧館の中心部である2階のスペースに出ます。
すぐ右がチャペルなのですが、入り口はガラス張りになっており、チャペルの外から中を見ることができます。そのせいか、入りやすいチャペルだなと思いました。
昔この旧館が病棟だった頃は、患者が上の各階からこのチャペルの中を見ることができる、お祈りすることができる、病院とチャペルが一体となったような造りだったそうです。
チャペルの中は神聖な空間ということで写真の撮影はできませんが、チャペル外観からは想像ができない、高い天井にまず驚きました。
椅子に座ると思わず、ずっと天井を眺めてしまいます。
壁は石を積み上げたような形で天井まで続いており、落ちてこないのかと不思議です。
ステンドグラスの背の高い窓からは、やさしい光が差し込みます。
荘厳な雰囲気の中にパイプオルガンの音が絶えず流れる、落ち着く空間・癒しの空間です。
チャペルを出ると、反対側にはチャペルの休憩スペースがあります。
この場所も昔からの建物なので、床がミシミシ系。椅子に座ってしまうと、いい心地で眠くなってしまいます。
このチャペルは病院で働かれている方、学ばれている方や患者のためだけでなく、外の方にも開かれているチャペルで、定期的にパイプオルガンのコンサートなども開催されています。
私も今回、毎月第一水曜日夕方に開催されているコンサートに訪問させていただきましたが、いい雰囲気に浸れて良い時間を過ごすことができました。その日は手術の日で終わった後だったので安心感のせいか、よりそう感じられたのかもしれません。
今度は患者側の立場としてではなく、また来てもイイかな、と思いました。
[巻渕彰/写楽さい]
2015年2月13日 14:00
「新橋色(しんばしいろ)」という伝統色がある。辞書には「染め色の名。青みがかった薄緑色。明治末から大正期に新橋の芸者から流行した色」(『スーパー大辞林』第3版)とある。
新橋芸者の置屋は銀座金春屋敷跡にあり金春芸者と呼ばれたことで、別名「金春色(こんぱるいろ)」ともいわれる。現在、金春通りの街路灯表示はこの新橋色で彩られている(写真上)。
江戸期、この辺りには室町時代から栄えた能役者四家の一つ、金春家の屋敷があった。明治維新後は、日本橋・柳橋とここ新橋が三橋花街として賑わった。近代東京の草創期の当時は、新しいものが好まれ、化学染料を使った染色が新橋色であった。銀座煉瓦街やガス燈など西洋文明が導入されていった銀座にあって、ハイカラな感覚が新鮮に受け入れられたのであろう。
日本画家・鏑木清方の美人画にもこの色が効果的に使われていたという。新交通ゆりかもめ「新橋駅」のテーマカラーは「新橋色」、文様は「柳縞」である(写真下=ゆりかもめHPから)。@巻渕彰
[橘]
2015年2月 9日 13:00
小説「祈りの幕が下りる時」に出てくる橋を小説中でカレンダーにメモされた月の順にご紹介していますが、今回は4月のカレンダーに書かれていた"常盤橋"近辺のご紹介です。
"トキワ"という名前の付く橋は、ご承知の通り並んで3橋あります。
まず、"新常盤橋"ですが、中央区の日本橋本石町と千代田区大手町を結んでいます。
新常盤橋から神田方面に少し行った室町4丁目にあるお蕎麦屋さん"室町砂場"は、天ざる発祥のお店ですね。
又、千代田区側になりますが、JRの鉄橋が日本橋川に架かっており鉄橋には旧国鉄の紋章が付けられています。
次は"常磐橋"です。常"盤"では無く常"磐"と書きますが、常盤は「金葉和歌集」から採られた様ですが、皿の様に壊れない様に、石という字を当てたとかいう話もある様です。現在は工事中です。
"常磐橋"は明治時代に石造りになりましたが、上の絵に描かれている石垣が、浅草方面に向かう江戸城外郭門で桝形の常盤橋御門の名残りの石垣です。
そして、3つ目の"常盤橋"です。
小説に登場するのは、この常盤橋だと思われます。
[りょうきち]
2015年2月 1日 20:00
東京マラソンに当たり、がんばって練習していたんですが、12月の後半くらいから体調を壊し思うように走れない日々が続きました。そんな感じで仕上がりが遅れていて心配です。
よく知っているコースですが、練習と試走を兼ねて適当につまみ食いしてみました。都庁、靖国通り、皇居と進み、品川方面に進まず、銀座方面へ。適当に休憩したくなったところで歌舞伎座に寄りました。
本来、階段を駆け上りたいところですが、エレベータに乗って庭園に。そういえば、最近は歌舞伎座の記事は一時ほどではなくなってしまっていますが、オープンの頃はたくさんの紹介記事がありました。そこで覚えていたのがこれです。
幸せの鳳凰です。瓦の鳳凰が並んでいますが、左の鳳凰だけ左の方を向いています。全体でここだけなんですよ。
私は鳳凰のように走れるよう祈願してその場を去りました。
考えると歌舞伎座周辺はレース本番では最も厳しい35km辺りでこんな気楽な気分では走り抜けられないことでしょう。でも東京マラソンのコースの中でも日本橋から銀座、築地と進む辺りは最も盛り上がっている地域でもあります。最も苦しいところを盛り上げてくれる辺りがこのマラソンの人気の秘密かもしれません。
私の練習はこの寄り道で気合いが抜けまして、築地の銭湯で終わりとなりました。このままではいけないですね。
2月22日までもっとがんばって鳳凰のように軽々と走り抜けたいと思います。