[あすなろ]
2018年11月 3日 09:00
江戸時代、大通りに面さないように横丁や路地が
増えた街。公租の負担義務もなかったことから
湯屋や床屋、そして蕎麦屋、寿司屋などの飲食店など
が多く並び、この生活の中に神社稲荷が祀られました。
稲荷信仰がさかんであった江戸町民。
多くの文化、商業が栄えた江戸の町。
古い歴史が息づく街では、今も大切に祠が維持されて
います。銀座八丁神社をめぐることは、自然と銀座の
路地散策につながりますね。
お猿さんが道行く人を宝童稲荷まで案内してくれます。
風情ある石畳の小径、三原小路です。
南側からは、あづま稲荷の幟の朱色が映えて見えます。
毎年繰り返しても不思議と飽きない、銀座めぐりです。
◆宝童稲荷神社/東京都中央区銀座4-3-14
(並木館裏または天賞堂裏の路地を入る)
◆あずま稲荷神社/東京都中央区銀座5-9-19
(あづま通り、三原小路)
◆銀座八丁神社めぐり 2018
[銀造]
2018年11月 1日 14:00
都営新宿線の馬喰横山駅で下車しました。 駅の中には、躍動的な馬のブロンズ像が飾られています。
その横には、「駅名由来」が掲示されています。 それによれば、馬喰横山駅
『寛永図によると、 橋本町(現在の日本橋本町)の辺りを横山片町と記してある馬喰町南北は、共に古く横山村の域内であり、その横山片町の北側はすべて寺院であった 。馬喰町の博労師のことは、天正18年の日記に「たかぎと云う馬くろ、ゆいしょ申出る、馬場の地の絵図いたす」とあり、後世まで町名主の家とした馬喰を博労とも当時は書いたが本来は伯楽を本字とした。
伯楽とは、馬医とか、牧人、馬商等を総呼する言葉である。いずれにしても馬に関係する家業の人々が始めた町であった。
横山町は馬喰町の南側にあり、西側に本町、大伝馬町、東側に両国広小路になっていた。北条の役帳に「五貫三百文、江戸横山分」と記してあり、小さな村名と想われるが、初めは、横山何某の所有地であった。
このように由緒ある馬喰町、横山町の二つの地名を合せて馬喰横山駅となった。』
この地には、徳川家康が関ヶ原の戦いの為に、軍馬を集めさせたとか、その後の馬喰町の北側には関東軍代の屋敷ができ、西側には大伝馬町が発展し、馬の必要な土地柄であった事がうかがえます。