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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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区界を歩く2 外堀川

[佐平次] 2015年11月13日 09:00

 龍閑川の埋め立て路地が千代田区と中央区との区界であることから、今回は龍閑川が日本橋に繋がる河口から外堀通り沿いに区界を歩いてみる。
常盤橋まで日本橋川に沿って、といっても川沿いには道が整備されていないので外堀通りを歩くことになる。

 常盤橋.JPG

 

  常盤橋を過ぎると日本橋川は大きく左に曲がり、千代田区との区界は一石橋を渡り、かつてあった外堀川となる。

一石橋.JPG

 

 本来なら外堀通りを挟んで西側を千代田区、東側を中央区となるのが自然であり一般にもそう理解されているようだ。 しかし、かつて外堀川は外堀通りに沿った西側にあり、その中心線が区界になっているのだから埋め立てられた外堀通りの西側部分の一部(外堀通りに面した一部)は中央区なのである。

 実際、東京駅の北隣にある(現在工事中の)第一第二鉄鋼ビルではビルの中を区界が通っており、八重洲一丁目10番・11番街区が設定されているらしい。
鉄鋼ビルの住所は千代田区丸の内となっているが厳密にいえば外堀通り沿いのエントランス辺りは中央区のハズなのである。

 この外堀川の埋め立て地にかかって建てられたビルは一石橋から鍛冶橋辺りまで幾つかあるが外堀通り沿いにはまったくビルの建物の住所の表示がない。 これは中央区の部分に千代田区丸の内と表示することに遠慮、躊躇いがあるのだろうか? 

 鉄鋼ビル.JPG

鉄鋼ビル

 外堀石垣.JPG

復元した石垣

  石垣解説.JPG

石垣の解説

 排気塔.JPG

地下首都高速の排気塔   

 

 このことは鍛冶橋を過ぎ、やがて高速道路が地上に現れることで分かる。

 

高速降口.JPG 
 埋め立てられた外堀川上に「東京高速道路」のビルが建てられ、上が道路、下がショッピングとして使用され、鍛冶橋辺りから道路は地下に潜り見えなくなる。

 

 銀座inz.JPG つまり、この建物「GINZA INZ 123」「NISI GINZA」「GINZA5」といったショッピングモールの入る建物はかつての外堀川の区界の上に建ち、現在は住所のない番外地なのである。
 しかし、この区域には住民登録がなく区に支払われる住民税等の徴収問題もなく、事業所だけなので特に住所を定めなくても問題はないという。

 因みに、消防や警察は、商業施設ごとに管轄を決めておりで、「NISHI GINZA」の場合は消防は千代田区丸の内で、警察は中央区築地の管轄になっているそうだ。
 また、郵便物は「中央区銀座4丁目1番先」という便宜上の住所で郵便物は届く。
「GINZA INZ」は「中央区銀座西2-2先」(現在は銀座西の表示は実際にはない)
「GINZA 9」は「中央区銀座8-10先」となっており、便宜上の住所といえども銀座は魅力があるのだろう。

 
 かつて、「GINZA INZ」は「有楽フードセンター」という名でレストランや食品販売街であったが、このときはフランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒットしたので、当時、有楽町は銀座よりもブランド力があったのだろうか?

 
 宝籤チャンスセンターで有名な「NISHI GINZA」は「西銀座デパート」という名で最新流行の衣料品を扱い、「GINZA5」は「数寄屋橋ショッピングセンター」という名称でお洒落なアクセサリーなどのアイテムを扱っており、これらのショッピングモールはこの種のものとしては日本での草分けと言っていい存在だった。

 宝籤チャンスセンター.JPG

  

 これらのショッピングモールが外堀川の埋め立て地上にあることから中央区と千代田区の区界はこれらのモールの中心の通路ということになろうか? インズショッピングモール.JPG 
 「GINZA5」を抜けみゆき通りを渡るとショッピングモールは終わりレストランが並ぶ「銀座コリドー街」になる。

コリドー.JPG 
 やがて土橋の交番で高速道路は大きく左に曲がり、「GINZA9」となる。

土橋.JPG

ぎんざ9.JPG 
 かつての外堀川は汐留川となり埋め立てられ「GINZA9」が港区との区界になる。

 昭和30年代神戸一郎という歌手が唄った「銀座九丁目水の上」が大ヒットしたが、「GINZA9」はそこから付けられたわけではなく、最初は「新橋センター」という名前だった。 やはり新橋駅が近いことから付けられた。
 実際、新橋のサラリーマンの溜まり場となる小さな居酒屋が多かったようだ。
 現在は、銀座の高級バーのママやホステスさんのドレスなどを扱う店が多い。 

ドレス.JPG

 
 「GINZA9」も昭和通りで終わり、海岸通りと上を通る高架の首都高が浜離宮庭園に沿って港区との区界となり、汐留川から東京湾に出て晴海埠頭から晴海運河が江東区豊洲との区界となる。。

浜離宮.JPG

浜離宮

   

浜離宮2.JPG

汐留川から東京湾へ

 

 

 

三菱商船学校と商船教育140年

[之乎者也] 2015年11月10日 09:00

新川2丁目の永代橋西詰に「船員教育発祥の地」の記念碑が建っています。Mitsubishiship7.jpg今から140年前の明治8年(1875年)11月1日、東京商船学校(現、東京海洋大学海洋工学部)の前身である三菱商船学校が設立された場所です。Mitsubishiship6.jpg

当時、250年余り続いた鎖国により日本の海運業は立ち遅れ、主な外航船の運航は外国人船員に頼っていました。近代国家としての体裁を整えるためにも、明治新政府は、日本人による国際航路の運航を急務と考え、内務大臣大久保利通の命令により、三菱財閥の岩崎彌太郎に命じ、霊岸島(現在の新川)傍の大川に係留した帆船・成妙丸を校舎・練習船として、本格的な高等船員教育が始まったのでした。Mitsubishiship1.jpg

【「校船 成妙丸(明治8年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供】

 

霊岸島で設立された三菱商船学校は、その後官立に移管されて東京商船学校となり、現在は隅田川を挟んで反対側の江東区越中島の東京海洋大学海洋工学部に引き継がれています。Mitsubishiship3.jpg

【「商船学校 霊岸島校舎(明治27年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供

 

大久保利通は、岩崎彌太郎に命じて商船学校を作らせましたが、土佐藩のビジネスを引き継いだ九十九商会(1870年設立)を源流とする三菱蒸気船会社の本社が日本橋南茅場町に置かれていた(明治7年)ことや、同社が東京⇔大阪、高知⇔神戸航路などで蒸気船運送を行っていた(三菱蒸気船会社は、明治18年に三井系国策会社の共同運輸会社と合併して日本郵船となる)ことなどから、海運のプロとしての岩崎彌太郎に白羽の矢が立ったということでしょうか。

永代橋から新川公園、中央大橋、石川島公園を歩いていくと相生橋に突き当たります。橋を渡った江東区の越中島に東京海洋大学百周年記念資料館があります。こちらでは常設展示(船のエンジン、船模型、信号用手旗、ロープワーク他)があるほか、明治丸の甲板にも上ることができます。写真はご案内頂いた記念資料館ボランティアで東京商船大学OBの森さんです。Mitsubishiship5.jpg

なお、記念資料館では特別展として11月30日までの期間「船が開く明治~商船教育140年記念展示~ 人が船を育て、船が人を育てた」を開催中です。文中掲載の三菱商船学校関係の写真は同展示で期間限定公開されているもので、東京海洋大学百周年記念資料館さんのご好意により提供頂きました。

 Mitsubishiship4.jpg

 記念史料館は江東区・越中島にありますが、対岸の霊岸島(現、中央区新川)に設立された三菱商船学校の歴史を知る良い機会です。永代橋西詰の「船員教育発祥の地記念碑」から中央区のウォーターフロントの歴史に思いを馳せながら足を伸ばしてみたら如何でしょうか。

 

【船員教育発祥の地記念碑】

所在地: 中央区新川1-30先(永代橋西詰・永代通り南側歩道)

(日比谷線・東西線茅場町下車徒歩5分)

 

【東京海洋大学海洋工学部百周年記念資料館】

〒135-8533 江東区越中島2-1-6 東京海洋大学越中島地区キャンパス 百周年記念資料館

(地下鉄有楽町線・大江戸線月島駅から徒歩約10分)

開館時間:1000~1500 (火・木/第1・3土のみ開館)

入館料:無料

TEL;03-5245-7360(明治丸海事ミュージアム)

 

 

「琳派 中央区を彩る」@京橋、築地&八重洲

[月島菜々子] 2015年11月 7日 12:00

京都では「琳派 京(みやこ)を彩る」展が開催中です。    IMG_5392.JPG

先日、来場者数が10万人に達したと大盛況の様子。

11月8日までは、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の
風神雷神図屏風3作品を同時に見ることができるとのこと。

きっとものすごい迫力なのでしょう。

 
 さて、中央区に縁のある「江戸琳派」の創始者、酒井抱一に思いを馳せてみましょう。

 
 抱一は江戸後期の1761年、姫路藩主の次男として生まれました。武家の次男の悲哀もあり、若い頃から俳諧や絵画に親しみました。

 
 絵画は中橋狩野家の手解きを受け、その世界を広げていきました。

この中橋狩野家は、江戸幕府の奥絵師であった狩野四家の1つであり、

歌川広重住居の隣にあったと、京橋1丁目の「歌川広重住居跡」の説明版に記載があります。

 37歳で出家。さらに尾形光琳に私淑して独自の画風を確立。
 京都の華麗な装飾画法である琳派を、江戸ならではの粋で瀟洒な江戸琳派として完成させました。68歳で亡くなりましたが、お墓は築地本願寺にあり境内の史跡となっています。
 

 ところで、京都の展覧会は時間的に難しいと言う方には八重洲の「京都館」がお勧めです。

琳派グッズも販売していますよ。一度立ち寄られてはいかがでしょう。
ここは、まさに八重洲で出会える「ほんものの京都」です。
 

 

・「歌川広重住居跡」説明版:京橋1-9-7

・「京都館」:八重洲2-1-1 ヤンマー東京ビル1F
IMG_5382.JPGIMG_5386.JPG  IMG_5388.JPG   


 

 

 

フラワーカーペット晴海2015 四季の花絨毯

[TAKK...] 2015年11月 4日 10:00

晴海トリトンスクエアで、フラワーカーペット晴海2015が開催されました。

約6万本のバラの花びらを使って、全長約110mの花絵が作成・展示されています。

(11月4日まで)

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東京藝術大学のスタッフが描く下絵をもとに、総勢約500名の方が作成されたそうです。

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テーマは「Seasons-日本の四季」。

周りの高層建築の夜景にはえて、とてもきれいです。

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晴海トリトンには、飲食店も多いので、食事も楽しめます。

また、周りの夜景も、とても綺麗ですので散策を楽しまれてはいかがでしょうか。

 

 

秋の夜、よし梅にて「にゃ~(ねぎま鍋)」を楽しむ

[之乎者也] 2015年11月 4日 09:00

日一日と寒くなるこのごろ。夜もそそくさと家に帰る日が多いのですが、久しぶりに人形町で働いている友人と夕食をということになりました。季節柄暖かいものをということで、友人の提案で「ネギマナベ」を食べようということになりました。さて、実は私、今回友人から誘われるまでこの料理については聞いたことが無く、待ち合わせの時間を利用して「ネギマ」って何?と調べてみました。

 

すると「ねぎまの殿様」という落語のお話が出て来ます。これは落語家の5代目古今亭今輔(ここんていいますけ)さんが得意としたお話です。

 

家来を連れて向島の雪見にお忍びで出かけた殿様が、真冬の筑波おろしの北風が吹く中、(上野)広小路に立ち並ぶ煮売り屋の匂いにつられ、下々の食べ物だからという三太夫(家来)の声にも耳を貸さず、醤油樽に腰掛けて葱鮪(ねぎま)鍋を食したところ大変気に入ってしまう。店の小僧の早口で「ネギマ」が「にゃ~」と聞こえた殿様の前に出てきた小鍋には、骨や血合いが混ざったマグロのぶつ切りに青ねぎが入っており、三色で三毛猫のようにも見える。食べてみればねぎの芯が鉄砲のように元気に口の中で飛び跳ねる。

屋敷に戻った殿様は、あの「にゃ~」を食したいと所望し、留太夫(料理係)は「にゃ~」 とは何かと聞き返すこともできずに頭を抱えるが、三太夫から話を聞きだしてねぎま鍋だと判る。

しかし、庶民の食べ物をそのまま殿様に出すわけにもいかず、マグロもネギも丁寧に下ごしらえして作ると、殿様は「これはにゃ~ではない」とすっかりおかんむり。留太夫は仕方無く、ブツマグロに、青ネギと煮売り屋同様の材料で作り直します。殿様は大変ご満悦で、「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」と。≫

 

ここで友人が到着したので、大観音寺横の芸者新道を通って、よし梅本店に向かいます。yosiume3.jpg芸者新道はかつての花町の芸者置屋がそのまま残り、ドラマ『新参者』の「まつ矢」のモデルのきく屋やよし梅などの町並みが江戸情緒を演出します。 敷石を踏みながら店内に入ると、かつての置屋のつくりがそのまま残る座敷に案内されます。

よし梅は、芳町に住んでいたうめさんが、昭和2年に創業したことから「よし梅」と称しているそうで、さすがに「殿様」が広小路で賞味したようなワイルドな料理は出てきませんでしたが、まぐろ(トロ)とネギのまさに「ねぎま鍋」で江戸に思いを馳せながら温まりました。yosiume1.jpg

yosiume2.jpgなお、よし梅には今回行った本店の他に同じ芸者新道に「よし梅芳町亭」がありますが、こちらは登録有形文化財に指定されており、女優の花柳小菊(はなやぎこぎく)さんの住居でもありました。yosiume4.jpg【よし梅 本店】

〒103-0013 中央区人形町1-18-3

TEL:03-3668-4069

営業時間: 1700~2200(LO:2100。ランチ営業もあり、土日祝は休)

 

 

三原橋地下街跡工事現場

[CAM] 2015年11月 3日 16:00

 現在、三原橋地下街跡が工事中ですが、その囲障に「銀座探訪」として、銀座の名所等の説明写真が掲示されています。

 

 晴海通りの両側、通りに面した側だけでなく、その裏側にもありますので、全部で相当の量です。その一部を紹介しておきます。

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