[江戸旅太郎]
2014年6月28日 09:00
■6月25日(水)の午前と午後の二回、浜離宮恩賜庭園・芳梅亭で「江戸からかみワークショップ」が行われました(公益財団法人東京都公園協会 協力・株式会社東京松屋(創業元禄3年(1690))。
この催しに応募し、午後の部に参加しました。
■講師:小泉幸雄氏。昭和22年生まれ。江戸の名工といわれた初代・小泉七五郎から数えて5代目の「江戸からかみ」の数少ない木版摺りの職人「唐紙師」。国・東京都指定の伝統工芸士であり、東京都優秀技能者「東京マイスター」受賞。浜離宮恩賜庭園「松の御茶屋」復元時には襖と貼り付け壁の復元を担当した。(告知印刷物より)
■江戸からかみ:「からかみ」は、文様を彫刻した版木に、主として雲母(白雲母の粉末)や胡粉(貝殻の粉末)などの絵具をつけ、手摺りで和紙に文様を写しとっていく技法。平安時代に中国(唐)から渡来した「紋唐紙」を京都を中心に日本で模造したのが始まり。徳川幕府による江戸の街づくりが進み、人口増加とともに増大した多様な需要に応えるべく、「江戸からかみ」として江戸で独自の発展を遂げました。(告知印刷物より)
■降り出しそうな天候の中、初めに小泉幸雄氏氏が襖と貼り付け壁を復元した「松の御茶屋」の内部を見学しました。
□11代将軍徳川家斉時代の御茶屋を復元した「松の御茶屋」。
□復元された貼り付け壁の文様を説明する小泉幸雄氏。
□「松の御茶屋」内部。
この「松の御茶屋」は、毎週木曜の午後1時から内部公開され、見学できます。
□「松の御茶屋」に続き、11代家斉時代の「燕の御茶屋」を現在復元工事中(来春完成予定)。
□芳梅亭での小泉幸雄氏の説明と実演。
□この「小若松」の版木は、天保11年(1840)に作成されたものです。ほうの木(朴の木)で出来ています。
□参加者は、小泉幸雄氏のご協力のもと三枚の葉書に文様を写しとり、お土産として頂くことがきました。
文様は「小若松」・「瓢箪」・「青海波地鱗鶴」でした。雲母を使用している為、角度を変えると文様がキラキラします。
■江戸文化に触れる楽しい機会でした。
今秋にもこのワークショップを検討しているようです。ご関心ある方はインターネットなどで情報を継続ご確認下さい。
[之乎者也]
2014年6月27日 09:00
梅雨の季節、ブログ読者の皆さまはいかがお過ごしでしょうか? 今年の梅雨は真夏のような晴れの日があったかと思うと、雹が降ったり、突然の雷雨があったりと異常気象ですね!
春先のお出かけに絶好な季節とは異なり天気の急変も心配なこのごろ。今日はいつもとはちょっと趣向を変えて、文学で中央区、それも江戸時代の石川島と佃を探訪してみたいと思います。
金曜日の会社の帰り、東京駅前の本屋さんで中央区が舞台になった本 を2冊買ってきました。
中央区の時代物文学といえば、先ずは池波正太郎の『鬼平犯科帳』。18世紀半ばの江戸の火付盗賊改方で、18世紀の後半、寛政の改革の松平定信の下で石川島人足寄場を管理した長谷川平蔵がモデルとして有名なテレビ時代劇・小説ですが、今日はちょっと角度を変えて、人足寄場にフォーカスした小説を紹介したいと思います。
一冊目は、松本清張の『無宿人別帳』(文春文庫)。この短編小説集には10のお話が入っていますが、その中の『海嘯(つなみ)』が人足寄場のお話になっています。小説では、能登の漁師の出身で江戸に流れ着き無宿の主人公新太は、町を歩いているときに岡っ引きに呼び止められて辻番所に連れて行かれ、そのまま伝馬町の仮牢(留置場)に入れられてしまいます。伝馬町からは佐渡の金山へ送られ、地獄のような坑道の水汲みの仕事をさせられ、そのまま命を失うことも多いのですが、新太は幸い石川島に送られることになります。
日本史の教科書では、「18世紀後半の天明の飢饉などの影響で、農村を捨てて江戸に流入する無宿者が増える中、幕府がこれらの無宿者を石川島の人足寄場に収容して治安の向上を図った」などと書かれていて、このような説明からはなんとなく「牢獄」のようなものではないかと思ってしまいますが、もう少し穏やかなものだったようです。『海嘯(つなみ)』でも「一定の期間が来て成績のよいものは労務の賃金を与えて釈放する」ともあり、また一律に極端な労役を課すでもなく、それぞれ大工、左官、鍛冶屋、百姓などと手に職ある者については石川島でもそれらに関連のある仕事を与えられたようです。
ある秋の日、漁師の倅で気象に詳しい新太は雲を見て、津波が来ることを予言する。石川島、佃島、築地一体はあっという間に津波に襲われ、寄場奉行の「逃げよ、そして高波が収まれば、永代橋際に集まれ」との許しを得て波を潜りながら泳いで深川に逃げる。新太が最終的に永代橋に戻ったかどうかまでは小説では語っていませんが、この小説で我々は当時の人足寄場の様子を知ることができます。
さらには、「無宿人別帳」のその他の9つのお話では、伝馬町の牢屋敷の話、八丈島への島流し、この世の地獄の佐渡島からの脱走話など、当時の『無宿人』たちの中でも、『石川島人足寄場』のような比較的人道的な場所とは大違いの場所での様々な世界を知ることができます。
梅雨のひと時、小説を通して江戸へタイムスリップしてみるのもオツなものです。
次回は、もう一冊本屋さんで買った山本周五郎の「さぶ」をご紹介したいと思います。
(右上写真は、桜の季節の4月7日付ブログ『新川公園から中央大橋、佃公園へのお花見散歩』でご紹介した石川島灯台:/archive/2014/04/post-1956.html)
[勝鬨太郎]
2014年6月 7日 14:00
この虫はナミテントウというてんとう虫で、浜離宮恩賜庭園で見つけたものです。
ナミテントウの背中の模様には色々な斑紋の種類がありますが、写真のナミテントウは黒地に二つの赤紋で、頭を上部に見て見ますと、まるでウルトラマンの顔に見えますし、またお祭りの夜店で売っているお面のようにも見えます。
浜離宮恩賜庭園には、さまざまな動植物が生息しています。
六代将軍徳川家宣が、庭園を大改修した時その偉業をたたえて植えられた三百年の松をはじめ、たくさんの植物、潮入の池には多くのカニや魚、また上空にはカモメや多種にわたる鳥たちが大空を舞っています。
今の時期はちょうどハナショウブの花や咲き始めた紫陽花が見頃でこの週末初夏の浜離宮恩賜庭園に出かけてみませんか。
[勝鬨太郎]
2014年6月 5日 09:00
中央区には、浜離宮庭園という地名があります。
文字通り、浜離宮恩賜庭園がある場所の住所です。
以前から気になって仕方がありませんでしたが、遂にその番地を確認することに成功しました。
『東京都中央区浜離宮庭園1番1号』です。
庭園の中にある建物に表示されている住所表示板で、多分この浜離宮庭園には、1番1号以外の番地は無いのではないかと思います。
また、浜離宮恩賜庭園は、戦後東京都に下賜されてからは、東京都の管理になっていますので、浜離宮庭園地区には民有地は無いと思います。
浜離宮恩賜庭園は、由緒正しい庭園で都心のど真ん中にあることを忘れてしまうほど、とても素晴らしい庭園ですので是非一度は訪れてみてください。
中央区オススメのスポットのひとつです。