[みど]
2013年3月31日 10:00
中央区には「中央区四宣言」というものがあります。
(1) 中央区平和都市宣言
(2) 花の都中央区宣言
(3) 太陽のまち中央区宣言
(4) クリーン・リサイクル中央区宣言
それぞれの内容については、以下のサイトに掲載されております。 https://www.city.chuo.lg.jp/syokai/sengen/index.html
桜が満開の浜町公園に行ってみたら、これらの宣言が公園内の オブジェ(写真)の
側面に書かれていることを発見しました。
天気もポカポカ陽気で満開の桜を見ながら、これらの宣言を 読むと、つくづく
中央区は"平和都市"で"花の都"で"太陽のまち" で"クリーン"であることを
感じられました。
普段、あまり目にすることはないかも知れませんが、改めて 「中央区四宣言」
を理解してみようではありませんか。 もしかしたら、新しい発見があるかも知れませんよ。
[ムーミン]
2013年3月30日 10:00
この頃 私の住んでいる近隣は 高層マンションが続々と建てられ 空き地がなくなったせいか、野良猫の姿もみかけなくなった。そんなある日 ある女性に声をかけられた。その女性はこの近くで 20年以上前から 野良猫に 同情を感じていた近所のOL達数人で 餌やり、跡かたずけ、そして病気になった猫の介護、避妊、去勢などを自前で動物病院にお願いしていた一人でした。数年前から 野良猫の 避妊,去勢の費用は 中央区で出してもらえるようになったとの事です。
【10年前くらいの写真】
現在、 水天宮裏には 野良猫1,2匹がいるので その猫達の健康状態には 気をつけているようです。その女性は20年以上、野良猫だった女の子が病気になったので 部屋にあげて 一緒にくらしています。名前はネネちゃんです。
【ネネちゃん】
飼い猫でも 病気になったりすると 治療費がかさむので 捨ててしまう人もいるなかで 病気だからこそ 世話をする とても 心が温かくなりました。 年に数回 ネズミが走っているのをみかけた。 これは 外猫が少なくなったからなのかなと思いました。
[銀造]
2013年3月22日 14:00
「中央区和生菓子組合のご案内図」を持って、それぞれのお店の代表商品を買い求めています。 そんな時、あるお店で"割れた煎餅」を販売していて、その袋に「久助」と書かれていました。
へえェ、「割れた煎餅を久助と呼ぶ」のだと知りました。そう言えば、杏葉牡丹さんに、そんな事を教わった事を思い出しました。 辞典で調べると、久は同じ発音のQ → を意味し、完璧な10に対して一つ足りないことから、こう呼ぶこととなり、主にお煎餅の業界で使われる業界言葉だそうです。 洒落ていますね!
いつも出かける時に持参している「中央区和生菓子組合のご案内図」、とても役に立ちます。加盟店は38店あり、今のところ、20店を訪問し、そのレシートを地図に貼り、スタンプ・カード代わりにしています。 とても楽しいです。 皆さんも、ご一緒に如何でしょうか?なお、中央区和生菓子組合のご案内図は、加盟各店の店頭で頂けます。 詳しくは、「NPO法人中央ネット」さんの、こちらのご案内をご参考にして下さい。 http://www.tokyochuo.net/sightseeing/wagashi/index.html
[古参人]
2013年3月22日 09:00
私の事務所のすぐ近くに6本の銀杏の木に囲まれた、
中央区では唯一の八幡宮を祀る銀杏稲荷神社がある。
興味があり、ちょっと調べたところ以下のようなことを知ることができた。
歴史:創建は不祥、大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が消失した。
御祭神を社殿にお祀りしたのは、安政4年(1775年)で、当時境内には、天空を覆う、
うっそうとそびえたつ大銀杏があり、その樹齢は3~400年と見られていたことから、
神社の創建はそれ以前と考えられます。
八幡宮を祀る神社は、中央区ではこの銀杏稲荷神社が唯一の存在である。
明治になって、文豪谷崎潤一郎は銀杏八幡神社のお神楽が月に一度の楽しみだった
と「幼少の時代」で書いている。
御利益:銀杏稲荷神社は商売繁盛の神様として、近くの兜町の証券会社より
感謝されてきました。
また他県の会社より、寄付の申込みもあるとにことです。
また住民氏子からは、家系繁盛と長寿の神様として信仰されています。
近くに住む女性が若い時から百歳まで毎日お参りをしたので、健康で百三歳で
長寿を全うした実話があります。
<銀杏稲荷神社>
中央区蛎殻町1丁目7-7
地下鉄半蔵門線 水天宮前 出口8番より徒歩3分
[北遊人]
2013年3月10日 09:00
清洲橋通りを南に歩いて行くと、右側久松町のところに"きくの家"という洒落た和食のお店があります。このお店の通り側壁面に終戦の日の浜町周辺のパネル写真をみることができます。
一面焼け野原で空襲の惨劇がそのまま残されている感じです。
明治座まで歩いて行きますと、前の浜町公園への緑道入り口に小さなお堂が見えます。
"明治観音堂建立の由来" 碑には
本堂は昭和20年3月10日の戦災に依り死没せる幾多の霊の冥福を祈る為建立す
昭和25年12月
発願主 新田新作
とあります。(新田新作氏は明治座再興に尽力された方です)
明治座は空襲時の避難場所にもなっており昭和20年3月10日の東京大空襲の被災時に大勢の方々が亡くなられたそうです。
奥に見える貼り紙は3月10日の明治座で行われる慰霊供養に関するお知らせです。
3月11日は東日本大震災の2周年に当たり、こちら(東京大空襲)は徐々に風化されていくのでしょうか、、。