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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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自転車に乗ろう!(中央区コミュニティサイクル)

[ひまわりウサギ] 2016年5月 6日 16:00

中央区・千代田区・港区・江東区で行われているコミュニティサイクルをご存じですか

コミュニティサイクルは4つの区にあるどこのサイクルポートでも、自転車のレンタル・返却ができるレンタサイクルです

 

サイクルポートは中央区だけでも27か所

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とても気になっていたこのレンタサイクル!初めて使ってみました。

まずはパソコンかモバイルで会員登録・・・名前や支払方法、メールアドレスなどを入力するだけなのでとっても簡単

サイクルポートに行くと・・・真っ赤な自転車が並んでいました!

全ての自転車が電動アシストつきであることがうれしい

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自転車についている操作パネルにパスコードを入力!

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すると電子錠が自動で解除され、さっそく使用開始です!!

 

私は晴海を抜けてお台場方面へ向かい、レインボーブリッジを渡って(自転車は押さなければいけませんが・・・)、築地をサイクリングしました。

レインボーブリッジからの中央区です

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電車もバスも充実している中央区ですが、さわやかな季節ですから自転車を走らせるのも気持ちが良いですよ

 

 中央区コミュニティサイクル公式HP→ http://docomo-cycle.jp/chuo/

 

 

 

橘右門師匠から寄席文字(のさわり)を学ぶ

[中央小太郎] 2016年5月 5日 18:00

 大分時間がたってしまいましたが、3月12日に中央区観光協会特派員限定ツアーの
「寄席文字を橘右門師匠より学ぼう!」に参加し、知的好奇心をみたしてきました。
忘れないようにブログに書きたいと思います。

 開催場所は、人形町にある読売ISのビルで、ここは、1970年まで人形町末広という
寄席があった場所です。
人形町末広のあった場所ということもあり、読売ISビルでは2011年以来
「読売あいえす落語」が年1回開かれているそうです。

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 さて寄席文字ですが、これは江戸文字四体の一つで、
読んで字のごとく落語の世界を飾る文字です。
江戸文字四体は、この他に歌舞伎で使われる「勘亭流」、相撲の「相撲字」、神社の
千社札や提灯等に使われる狭義の「江戸文字」があり、これに「寄席文字」を加えて
(広義の)「江戸文字」と呼ぶそうです。
※歌舞伎の勘亭流だけ「○○流」と流派を表す呼び方なので、右門師匠の説明を
聞いてようやく頭の中で「江戸文字四体」が整理できました。

 江戸文字(広義)寄席文字(寄席用)
        勘亭流(歌舞伎用)
        相撲字(相撲用)
        ―江戸文字(狭義:千社札)

 寄席文字の特徴は、①筆太、②右上がり、③少ない余白、④丸みを持ち、⑤かすれない
だそうで、「お客様が隙間なく寄席をうめる」「興業が右肩上がり」という縁起を
担ぐためとのこと。

また、寄席文字の起源は、天保7年(1836年)に栄次郎(えいじろう)という紺屋職人
が提灯文字と勘亭流を折衷して作った「ビラ字」と呼ばれる書体だそうです。
ビラ字は寄席のビラに使われたことからそう呼ばれました。

その後、「ビラ清」「ビラ辰」等がビラ文字を書いていましたが、ビラ字の名人と
呼ばれた2代目ビラ辰の没後に、橘右近がビラ字に影響を受け、工夫を加えて
「寄席文字」を確立したそうです。

現在の寄席文字は、橘流寄席文字一門が唯一正統に伝承しているそうで、講師の
右門師匠は、家元である橘右近師匠(前述)の直系の弟子としては16番目
(右近師匠は亡くなられているので)最後の弟子となります。

ツアーでは、実際に寄席文字を自分で書く体験もありました。
寄席文字(他の江戸文字も多分そうだと思いますが)は、もちろん筆と墨で書くの
ですが、習字とは全然違います。
習字は肘を上げて(浮かせて)書きますが、寄席文字は鉛筆のように手の甲を机に
つけて書きます。また、書き順も習字のものとは違うし、字体も変わっていて
まったく別の漢字のように見えます。師匠によると「字を書く」というより「絵を
描く」センスかなと仰っていました。

お手本の字と、私が書いた字を写真にのせます。
(「一」ばっかり書いていますが。。。。。左から3列目の上2つは師匠の字です)
(他の字は「四」と「五」だけ書いてますが、「まずは横棒から」という師匠の
 教えを守り、愚直に「一」ばかり練習しました)

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寄席文字の写真(手本)

 

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寄席文字の写真(自分のもの)

  
実際にツアーで書いた文字が私のものばかりだとつまらないので、右門師匠が
デモンストレーションとしてその場で書いた肉筆の寄席文字を以下に載せます。
橘流本家の美しく迫力のある文字をご覧ください。
師匠によると、文字を見た女性の何人かは、あまりの美しさに気絶するとのこと。
今回の女性参加者の方々は辛うじて気絶だけは免れたようでした。

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 それから、よくパソコンのフォントで「寄席文字フォント」
などがあると思いますが、これらは、本当の意味での「寄席文字」ではなく、
フォントのデザイナーさんがそれらしく似せて描いたもので、
「寄席文字」とは呼べないとのこと。ご注意ください。(師匠より)

 
やはり実際の「寄席文字」は紙など、特定のスペース上に「隙間」「太筆」
「右肩上がり」を意識して、人間が実際に筆で美しく描いたもの。
そこに味があるのだと理解します。

 

 講習を通して、寄席文字はもちろん、街で江戸文字を見たときに、それらの違いを
意識するようになりました。貴重なツアーありがとうございました。

 

 

 

人形町亀井堂  Traditional Japanese Bisquit, Ningyocho Kameido

[HK] 2016年5月 5日 14:00

瓦煎餅の有名店、人形町亀井堂さんに行ってきました。

甘酒横丁の交差点を浜町公園方面に数十メートル進んだ右手にあります。 

One of the most famous and established Japanese confectionery is Kawarasenbei made and sold at Ningyocho Kameido. The head store is located along Amazake Yokocho Street.

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実は瓦煎餅は好物ではありませんでした。 ところが人形町亀井堂さんの瓦煎餅を頂いてからはその概念は覆されました。今まで食べてきたものは何だったのだろう?なぜこんなに違うのだろう?素朴な疑問をずうずうしくも社長の佐々木さんにぶつけてみたところ、満面の笑みを浮かべて答えて下さいました。

「うちは創業来の製法を頑なに守っています。 砂糖、小麦粉、卵、蜂蜜以外の材料は使いません。 また保存料は一切使用せず、3日を過ぎた袋入り人形焼は店頭から外します。」と、きっぱりとおっしゃいました。 伝統を守り品質管理を徹底することが美味しさの秘訣のようでした。 暖簾を守るとはこういうことなのでしょうね。

For long time, Kawarasenbei, which is the nomenclature of the traditional japanese bisquit, was not one of my favorite sweets, but after I have experienced Kameido's delicacy, my whole image of this bisquit have changed.  What have I been eating before? Why is this so good and special? 

Mr. Kenji Sasaki, the president of the company gave me an answer distinctly and that is;

"We have not changed the recipe ever since company's foundation.  We only use sugar, flour, egg, and honey.  No preservative included and no display if the product (packed ningyoyaki) is over 3 days."

So, traditional recipe and strict quality control may be the key points.

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そして社長から人形町亀井堂の由来を教えて頂きました。

明治6年、神戸元町に創業した亀井堂総本店より、昭和4年、江戸初期から東京に在住する旧家、人形町佐々木家嫡流にのれん分けのかたちで任されたのが、初代人形町亀井堂のご主人 佐々木顯發(ささき げんぱつ)さん。 京橋の親柱の橋名を揮毫した佐々木支陰の孫にあたります。

また、佐々木支陰の父に当たる信濃守顯發(しなののかみあきのぶ)は、幕末の重鎮であり、大身の旗本でした。

The first Kameido store, famous for its product Kawarasenbei, had started its business in Kobe in 1874.  In 1927, Mr. Sasaki's grandfather Genpatsu Sasaki was given privilege to use the name "Kameido" and start a business of his own in Tokyo after many years of training. 

Genpatsu's grandfather was Shiin Sasaki who is famous for the calligraphy of the Kyobashi bridge pillar.

Genpatsu's great grandfather, Shinanonokami Akinobu who was great grandfather of Genpatsu was high ranked magistrate during Edo era.

 

 

朝散大夫信濃守顯發(ちょうさんだいふしなののかみあきのぶ)

幕末に江戸南北町奉行や外国奉行を歴任し、その名奉行ぶりは落語の「佐々木政談」によって知ることができます。

また、朝廷より信濃守任官を宣下する朝廷の宣旨が本店に掲げられています。 

人形町亀井堂 初代店主 佐々木顯發(げんぱつ)の曾祖父にあたります。

Shinanonokami Akinobu

During Edo era, Akinobu was high ranked magistrate bugyo in charge of finance, law, and foreign affairs. His management competence is known through Rakuko (Japanese comic story), "Sasaki Seidan (political talk)".  He was honored by Emperor as Shinannookami.  The written imperial order can be seen at Ningyocho Kamiedo.

Akinobu is the great grandfather of the founder of Ningyocho Kameido, Genpatsu Sasaki.

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佐々木支陰(ささきしいん)

信濃守顯發の長男であり漢学者で詩人。 揮毫した「京橋」の親柱は今も「京橋碑」として銀座中央通りに風格を与え、中央区の区民有形文化財に指定されています。

佐々木顯發(げんぱつ)の祖父にあたります。

Shiin Sasaki

The firstborn son of Akinobu who was scholar and poet. The name of the Kyobashi bridge engraved on the pillar of the bridge which is registered as tangible cultural asset of the city of Chuo-ku, had been written by Shiin.

Shiin is the grandfather of the founder of Ningyocho Kamiedo, Genpatsu Sasaki.

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佐々木顯發(ささきげんぱつ)

人形町亀井堂の初代店主。 士族の出でありながら幼い頃から奉公に出て、幕府互解後の混乱、大正の大震災、昭和の大戦など激動の時代をその機知と才覚で駆け抜け成功をおさめた快男児。 神戸の亀井堂総本家の創業者や上野亀井堂の主人に認められ、一店を任されます。 「~亀井堂ものがたり~ 東京下町噺」は、顯發の三男 佐々木雅發が父親から聞き取りまとめた記録文書で、当時の街並みや明治後半から昭和の高度経済成長期迄の史実が詳細に記述されており、歴史本としても楽しめる書物です。

顯發は現在の社長の祖父にあたります。 

Genpatsu Sasaki

The founder of Ningyocho Kameido.  Though born in noble family, Genpatsu had to make a living after the great reform of the government.  He had gone through the confusion of Meiji era, survived the great earthquake of Taisho era, and lived through the World War of Showa era, and won his success with his wit and talent.  After years of training, he was given privilege to use the name "Kameido" and start his own business in Tokyo.   Genpatsu's biography "Kameido Story" written by his third son can also be enjoyed as a history book which also writes about the culture and historical events from Meiji to Showa.

Genpatsu is the grandfather of Mr. Kenji Sasaki, now president of the company.

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人形町亀井堂さんの瓦煎餅、人形焼きは本店ビル3階と6階で作られており、いつでも出来立てを買うことができます。 そして瓦煎餅は軽くて持ち運びが便利なうえ常温で3ヵ月保存がきくので、季節問わず贈答品として重宝されています。 瓦煎餅は2~3枚ずつ小分けに包装されているので、湿気の心配もありません。 また、社長のアイディアから生まれた国産のピーナッツを使った柿ピーは大好評で、まとめ買いをする顧客もいるそうです。 品質維持のため量産されていないので、なるべく早い時間帯に買いに行くことをお勧めします。

Kawarasenbei (japanese bisquit) and Ningyoyaki (sponge cake filled with red bean paste) are freshly made at the upper floor of the store. Kawarasenbei is made without any perservative, neverthelesss keeps at least for two months. It is wrapped in a small portion to avoid moist.  Since Kawarasenbei is so light to carry, many people buy them for souvenirs. 

The current popular selling line is Kakipea (peanuts and spicy rice crackers mix) using peanut only made in Japan, which came through the idea of Mr. Sasaki.  Since it is so crispy and good, some customers buy them in bulk.  To keep the good quality of the product, Kakipea is not produced in large quantitiesass, so if you buy them, visiting the store in early hours is recommended.

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品数が豊富なので迷ってしまいますが、用途に合わせた選び方をアドバイスして頂けます。

Varieties of products are displayed, but you can have an appropriate advice at the store.

CIMG1177.JPGCIMG1160.JPGのサムネイル画像<補足>

(「~亀井堂ものがた~東京下町噺」より)

Quote from  "Kameido Story"

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またこの頃、谷崎潤一郎と松子夫人が買い物に来た。 黒いインバネスを羽織った谷崎は店の中には入らず歩道の端に立って店の看板を見上げたり、時々店の仲を覗くように見たりしていたが、松子夫人は親しく店の奥まで入り、いろいろと話したりしていた。

In these days, *Junichiro Tanizaki visited the store with his wife Matsuko.  He wore black inverness coat, did not get in to the store but stood at the edge of the sidewalk, looking up at the signboard, sometimes peeking inside.  Matsuko walked in and chatted with the shopkeeper.

*Junichiro Tanizaki: Japanese author, one of the major writers of modern Japanese literature.

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谷崎潤一郎夫妻は瓦煎餅を自宅で召し上がったのでしょうか、それともどこかにお土産として持って行ったのでしょうか、当時と同じ味を頂けると思うと少しうれしいです。

Did Tanizaki and his wife tasted the sweets at home or did they brought it to someone as a souveniour?  Kawarasenbei that you can have now tastes as same as their time.

店前.JPG佐々木社長、どうもありがとうございました。 

いつまでも美味しいお菓子を世に送り続けて下さい。

Thank you very much Mr. Sasaki!

A great appreciation for the great story.

 

 

 

茶ノ木神社 ー献茶祭ー

[クラさん] 2016年5月 3日 16:00

茶ノ木神社(リガーレ日本橋人形町敷地内)では、立春から数えて『八十八夜』の5月1日(日)に第9回目の献茶祭が開催されました。

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式典終了後、新茶(鹿児島、宇治、静岡)の試飲や日本茶インストラクター協会によるミニ講座も開かれました。

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五月晴れの好天下、今年の新茶(3種)を賞味しました。

 

<茶ノ木神社の歴史>

徳川時代に、下総佐倉藩主堀田家の中屋敷に守護神として祀られていたお稲荷様が茶ノ木神社の発祥だそうです。その頃、社を囲むように植え込まれていた茶の木が神社の名の由来ですが、現在も茶ノ木神社にはお社の左右に茶の木が植えられています。

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長い間、堀田家の屋敷はもとより、近隣にも火災が起こらなかったことから火伏の神様として崇敬されていました。どのような経緯で現在の地に定まったのかは明確ではありませんが、様々な人々の手によって守られ続け、1933(昭和8)年以降は蛎殻町や人形町などの町内会がお守りしてきました。1985(昭和60)年に新たに布袋様を合祀して日本橋七福神巡りの1社に加わり、その後日本橋人形町地区の都市再開発事業を経て、2008(平成20)年に再度旧社殿が再建されました。現在では、福徳円満と防災の神様として信仰を集めています。

 

 

 

立夏_隅田川テラス

[あすなろ] 2016年5月 2日 18:00

 

 立夏、夏めいてくるころ。

 

気持ちいい五月晴れの季節ですね。
ウォーターフロントとして開発が進む隅田川沿い。
隅田川テラスは、夜景もきれいなところですが、今回は昼間にさわやかな潮風とともに景観のすばらしさを満喫。

 

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      <清州橋から佃島方面を撮影

 

清州橋のたもとから隅田川大橋をくぐって、豊海橋まで散歩をしていたところ看板が。。。

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     <工事に伴うテラス通行止めのお知らせ

 

5月10日から補強工事がはじまり、清州橋より聖路加ガーデン方面250mから新大橋までの約800mの区間、テラスは通行止めになるようです。
年末まで辛抱ですね。ご留意ください。