[銀造]
2009年11月24日 08:30
皆さん、日本橋川は、どこから何処まで流れているかご存知ですか?
そんな疑問とロマンを訪ねて上流の某地点から神田、龍閑橋を経由して河口まで歩きました。
龍閑橋の歴史と由来の説明です。
龍閑橋を過ぎて、国指定の重要文化財の日本銀行前の常盤橋へ。
常盤橋。江戸城からここを経由して日光街道や奥州街道にお出かけなさったとのことです。
常盤橋の次は、後藤と後藤で一石の、一石橋です。迷い子のしるべで有名ですね。
西河岸橋を右手に見て、日本橋へ到着。ここまで約2時間半かかりました。
日本橋川の水は、何処へ?
都選定歴史的建造物の、三菱倉庫江戸橋倉庫ビル。
湊橋の欄干には船のレリーフがデザインされています。
悲しい歴史の高尾稲荷神社。 そのご由緒は?
木の説明板もありましたが、
金にはなびかぬ、女の心意気。 伊達じゃねえ!
日本橋川の最後の橋、豊海橋です。 その奥に、永代橋が見えます。
日本橋川の水は、隅田川に注ぎ、東京湾、そして大海へと流れていきます。
江戸時代から人情とともに脈々と流れている日本橋川。
周りの歴史を探りながら歩きませんか
[柳 さつき]
2009年11月16日 09:00
前回三越のヒミツで、わが国で初めて37年に 「デパートメントストア宣言」した百貨店「三越」さんの「丸に越の字」のマークについて触れました。
今回は、三越さんのシンボル「ライオン像」に関するヒミツですヨ~
三井呉服店から「三越」という百貨店になる基礎を築いた、時の支配人:日比 翁助氏は、ライオンがお好きでした。大正3年にルネッサンス式鉄筋の5階建ての新店舗になたときに、「三越」が百貨店界のなかでも王者になることを願い、二頭のライオン像を設置されたのが始まりだそうです。
ここからが、今回の本題なのですが・・・・・・・・・・
その日比 翁助氏の息子さんのお名前が「ライオン」さんだったことをご存知の方は、少ないのではないでしょうか・・・・・・
ちなみに、漢字は「雷 音(ライオン)」さんです
今は、日本橋・銀座の待ち合わせのメッカとして親しまれている「ライオン像」君たちにも、こんなエピソードがあったのですね
この情報は「三井広報委員会」さんの資料にも載っています。
もう日本橋本店さんはクリスマスの装いです。
これから、クリスマスやお歳暮、年末年始のお買い物でお出かけになられ、「ライオン像」君たちをご覧になる機会がございましたら、このことを少し思い出してみてくださいませ
おまけ・・・・・・・
私が「三越本店」さんの中でも、とーっても好きなのが、このステンドグラス製の看板です