寒い季節ですが、こんなときも中央区を歩けば様々な景色に出遭う事ができます。
今日は新川から霊岸島を抜けて湊橋を渡ってみました。茅場町の近くのこのあたりは掘割が多く、江戸時代の水運の名残りを感じさせてくれます。
湊橋の向こうには〝豊海橋〟が望めます。関東大震災で落橋し、昭和初期に再建されたそうです。
江戸時代にはこのあたりに〔御船手番所〕があり、平岩弓枝の小説「御宿かわせみ」の舞台としても知られています。
そんなかつての風景を思い浮かべながら散策するのも楽しいものです。
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寒い季節も区内散策
寒い季節ですが、こんなときも中央区を歩けば様々な景色に出遭う事ができます。 今日は新川から霊岸島を抜けて湊橋を渡ってみました。茅場町の近くのこのあたりは掘割が多く、江戸時代の水運の名残りを感じさせてくれます。 湊橋の向こうには〝豊海橋〟が望めます。関東大震災で落橋し、昭和初期に再建されたそうです。 江戸時代にはこのあたりに〔御船手番所〕があり、平岩弓枝の小説「御宿かわせみ」の舞台としても知られています。 そんなかつての風景を思い浮かべながら散策するのも楽しいものです。 大晦日から新年-深夜の人形町
遅ればせながら、新年の人形町の様子です。11時45分、紅白歌合戦が終わると、テレビは一転、厳かな鐘の音になります。それを合図に私たちは家を出、ぶらぶらと深夜の人形町へ。
まずは大観音寺。零時になるのを待ってお参りします。お年越しの晩は、いつもは秘仏の観音さまがご開帳されます。新年早々、嬉しいですね。そして、温かいお茶と、お菓子が振舞われます。心のこもったおもてなしに、心豊かになります。ところで、この観音さまは頭しかありませんが、その頭は高さ1.7mもある大きなものです。北条政子が鎌倉に創建した新清水寺のご本尊として造られたものが、一度は失われたものの、頭部のみ見出され、縁あってこの大観音寺に安置されたものです。零時から、住職さんによるお護摩がおごそかに始まります。私もお護摩に清めていただいて、新しい年を迎えました。 さあ、初詣は水天宮。大観音寺から歩いて5分です。2010年が明けて、30分くらいでしょうか。ほやほやの新年。水天宮はもう大混雑です。お参りまで30分くらい並んだでしょうか。水天宮は、言わずと知れた安産の神様。ちょっと縁がないのですが、健康と幸せを祈って拍手。 真夜中の人形町は、お参りの人々があちらこちらから。静かに、厳かに、でも華やかに2010年が始まりました。皆さんにとって、日本にとって、そして世界中の人々にとって、2010年が、平和で幸せな年になりますように。合掌。 松飾り。古今東西の竹の切り方?中央区のお店の松飾り特集
お正月を迎える「松飾り」で、「竹の切り方」について、斜めに切っているのと、節の上で平たく切ってあるのは知っていたが、さしたる興味もありませんでした。 通常、東京でよく見るのは、節の上から斜め切り、上の節は残さない「そぎ」というきり方です。
門松は地方によって違うそうです。 まず切り口ですが、古来は横に切ったそうですが、戦国時代以降、特に武家では斜めに切るようになりました。 ですので、京都の伝統を重んじる所では、未だに竹は斜めに切らないそうです。 今日は、そんな松飾を写真に収めてきました。
まず、節の真ん中を残したもの(銀座7丁目のいいよ、いいよという番地)
晴海通りの角、「日の出」さんの竹飾り。 商家であり、平たく、無事な様にとの意を込めているのでしょうか?京、関西風の伝統重視でしょうか?お客様がこれで怪我でもしたら大変ですしね。
人形町甘酒横丁の入り口で、横丁の由来の店跡。こちらも平たく切った竹の 「寸胴切り」
こちらも人形町のお菓子舗。「笑門来福」の意味でしょうか?この切り口は、「笑い口?」
七福神の参拝客で賑う松島神社。篠です。
浜町、清澄通りの交差点で。一つは真ん中の節を残し、あとの2つはそれぞれ切り方が違います
浜町の産土神、「濱町神社」も篠で新年の参拝客を迎えています。
日本橋。老舗の山本海苔店。
「にんべん」さんも平たく切った「寸胴」の竹を飾っておられます。
この日は七福神めぐりと日頃宮司さんがいらっしゃらない神社も巡りました。 最後の福徳神社の場所が分からなくて、右往左往して、にんべんさんに伺いました。 親切な女性店員さんが、裏手の赤い格子に囲まれたのがそうですよと教えてくれました。 老舗の伝統、そこに働く方の自然なご親切、温かさに触れて、嬉しく江戸バスに乗りました。
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