[saru]
2019年2月27日 18:00
新川公園の中央大橋のたもとに早咲きで有名な河津桜が3本植わっており、今年も花が咲き始めました。ソメイヨシノと違って1か月にわたって濃い桃色の花が愉しめます。河津桜は1955年に伊豆半島の南岸、河津町で偶然発見されたことがその由来だそうです。
因みに首都圏でこの河津桜が有名なところは千葉県八千代市の「新川千本桜」です。4.2キロにわたって約700本の河津桜が新川という川沿いにあるそうで、偶然同じ「新川」ですが、中央区のこちらは3本。ですが、毎年立ち止まって開花の具合を見る人も多く、地元の人々から愛されています。
ここから歩いて5分くらいの亀島川にかかる高橋の八丁堀側のたもと、埋め立てられた桜川にかかっていた稲荷橋のあたりが近年ちょっとした親水公園になっており、そこにも河津桜が植えられており、こちらも花が咲きました。
今はポンプ場に名を残すばかりとなった桜川に因んで植えたのでしょうか?
因みに桜川は、昔はいわゆる八丁堀といわれ、今の町名の由来となった掘割でした。
新川公園も、また八丁堀のほうも亀島川の対岸の児童公園にソメイヨシノが植えられており、河津桜、ソメイヨシノと続く桜の序曲が奏で始められたようです。
[TAKK...]
2019年2月26日 09:00
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東京メトロ茅場町駅のほど近く、兜町に隣接する場所に本橋日枝神社はあります。境内は都心にも関わらず広く、思いのほか静かです。
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江戸時代から山王祭の御旅所(お神輿などが休憩する場所)として知られ、今も「神幸祭」では際の祭礼行列の休息所となっています。
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この神社の狛犬は珍しく、上を向いています。
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これは関東大震災の復興と運気上昇を願って奉献されたためだそうです。
「上向き」と運気などが上向くことがかけられているのですね。
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2019年2月17日 20:00
バレンタインデーの2月14日、東京スカイツリーでは、「バレンタイン特別ライティング」が点灯中です。
17:15~18:15は、白一色の、輝くように明滅する交点照明のシンプルな演出。(左画像)
18:15~22:00は、カラフルなチョコの組み合わせをイメージし、元気さやポップさを表現した「ラブリーショコラ」。
22:00~24:00は、定番ライティングのひとつ「幟」を点灯。
「CHOCOLATE CARNIVAL」の他、天望デッキフロア350では「スペシャルDJイベント」などが開催されています。
年間消費額の10数%を占めるとされる当該シーズンのチョコ需要も、「本命」「義理」「友」「逆」に加え。自分用の「俺」「ご褒美」チョコまで種々あるようですが、「ビターチョコ×黒ビール」「柑橘系チョコ×スパークリングワイン」「ガナッシュ×赤ワイン」「ミルクチョコ×にごり酒」などお酒とのマリアージュも乙です。
中央大橋から、アソートメントチョコを彷彿とさせる、彩り豊かなユニークな輝きが望めます。
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2019年2月14日 18:00
隅田川沿いの新川公園(新川2)隅田川テラス 中央大橋北東袂の植え込みに植栽されている3本の河津桜が数輪開花を迎えています。
カンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種とされ、花色は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも色味が濃いのが特徴。
桜のシーズンの先鞭を切って、通常2月上旬から咲き始め、約1か月後に満開となり、パッと咲いてパッと散る、潔さや儚さの象徴とされるソメイヨシノと違い、満開状態が一定期間持続し、見頃シーズンが長いのも特性のひとつです。
開花時期はその年の天候に大きく左右され、開花予想には苦労が伴うと聞きますが、早咲きのピンクの花色の出現は、春の到来が着実に近づきつつあることを実感させてくれます。
[湊っ子ちゃん]
2019年2月13日 18:00
こんにちは、湊っ子ちゃんです。
明治維新後、私たちの中央区を舞台に、近代文学は育まれました。銀座煉瓦街には新聞社が次々に誕生し、情報産業が発達しました。また、多くの文化人が中央区を訪れ、小説や戯曲など、様々な作品のなかに、中央区の情景を描きました。
今日は、中央区にゆかりの深い、文学者たちについて調べてみました。
北村透谷(きたむらとうこく)
明治元年-明治27年 (1868‐1894)
文芸評論家、詩人。小田原生まれ。明治13年(1880)、京橋区弥左衛門町(現・中央区銀座四丁目)に上京。泰明小学校に編入する。銀座を舞台とする自由民権運動に関与する。明治22年(1889)「楚囚之詩」「蓮菜曲」を発表。「文学界」の創設に参加し、「内部生命論」など数々の評論を発表する。
島崎藤村(しまざきとうそん)
明治5年-昭和18年(1872‐1943)
詩人、小説家。長野県の庄屋の家に生まれる。明治14年(1881)、京橋区槍屋町(現・中央区銀座四丁目)に上京。泰明小学校に学び、明治学院を卒業。「文学界」の活動を通して北村透谷を知り、深い影響を受ける。明治40年(1907)から翌年まで、「春」を海水館(現・中央区佃三丁目)にて執筆し、代表作の「夜明け前」は築地小劇場で上演された。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
明治25年-昭和2年(1892‐1927)
小説家。京橋区入船町八丁目(現・中央区明石町)の牛乳牧場に生まれる。生後まもなく、本所区の母の実家へ移る。東京帝国大学英文科卒業。夏目漱石の門下に入り、第3次、4次「新思潮」の同人となる。代表作に、「羅生門」「鼻」「地獄の糸」「河童」など。
郡虎彦(こおりとらひこ)
明治23年-大正13年(1890‐1924)
劇作家。京橋区南八丁堀三丁目(現・中央区湊一丁目)生まれ。学習院から東京帝国大学英文科に入学し中退。「白樺」同人。大正2年(1913)、「道成寺」が自由劇場で上演される。渡欧し、「鉄輪」「義朝記」を執筆。ロンドンで上演され好評を得る。
川端茅舎(かわばたぼうしゃ)
明治30年-昭和16年(1897‐1941)
俳人。日本橋区蛎殻町二丁目(現・中央区日本橋人形町二丁目)生まれ。画家を志し、岸田劉生に師事する。病弱のため、俳句に専念し、高浜虚子に師事する。「ホトトギス」同人。句集に、「川端茅舎句集」「華厳」「白痴」がある。
山岸荷葉(やまぎしかよう)
明治9年-昭和20年(1876‐1945)
小説家。日本橋区通り油町(現・日本橋大伝馬町)生まれ。東京専門学校(早稲田大学の前身)に進み、坪内逍遥に師事する。のちに尾崎紅葉の門に入る。「硯友社」同人。問屋街や芸者屋街など、生まれ育った町並みを題材にした「日本橋文学」を発表。「奉公始」「当世手代気質」など。のち、読売新聞社に劇評担当として勤務する。
長谷川時雨(はせがわしぐれ)
明治12年-昭和16年(1879‐1941)
歌舞伎脚本家、評伝作家、小説家、随筆家。日本橋区通り油町(現・日本橋大伝馬町)生まれ。明治38年(1905)、「海潮音」でデビュー。女性の評伝において、その地位を築く。昭和8年(1933)、雑誌「輝ク」を発行し、多くの女性作家や評論家を世に送る。随筆では「旧聞日本橋」が代表作。
長谷川かな女(はせがわかなじょ)
明治19年-昭和44年(1887‐1969)
俳人。日本橋区本石町(現・日本橋二丁目)生まれ。夫の富田諧三(長谷川零余子)の主宰誌「枯野」をサポートする。高浜虚子に師事。昭和5年(1930)に「水明」を創刊し、女性俳人の先達となる。句集に「雨月」「湖笛」、随筆に「小雪」「ゆきき」などがある。
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)
明治19年-昭和40年(1886‐1965)
日本橋区蛎殻町(現・中央区日本橋人形町一丁目)生まれ。坂本小学校に学ぶ。耽美派とされる「刺青」「痴人の愛」「春琴抄」などが代表作。また、自然主義文学や、「源氏物語」の現代語訳などを発表。戦後に発表した「細雪」は、谷崎文学の極致とされる。
立原道造(たちはらみちぞう)
大正3年-昭和14年(1914‐1939)
詩人。建築家。日本橋区橘町三丁目(現・中央区日本橋久松町)生まれ。久松小学校に学び、東京帝国大学工学部建築学科を卒業。10代の頃より短歌を好み、堀辰雄から影響を受ける。詩誌「四季」の創刊に参加。詩集「萱草に寄す」「暁と夕の詩」を発表。第1回中原中也賞を受賞する。
中央区で生まれ育った、時代を代表する文学者たち。
時代を切り開いてゆく文学活動が、ここ中央区を拠点に繰り広げられたことはもちろん、それぞれの文学者が、中央区のなかで繋がっていることも興味深く思いました。
また、中央区を舞台に多くの作品が誕生し、物語のなかには当時の町の姿が生きており、今にその情景を伝えてくれます。それは、小説や戯曲にかぎらず、映画作品などにも多く残っています。
(写真は、泰明小学校に建つ「北村透谷・島崎藤村記念碑」そして銀座の柳二世)
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第34号 平成31年2月11日
[皐月の鯉の吹き流し]
2019年2月12日 18:00
2月になり先日は気温15度を超える日もありましたが、 この日(2/9)は見ての通り雪。朝は雪がほとんど降っていませんでした。 前日の予報では東京も積雪に注意ということで、昼近くになりにわかに雪が降り始め、 見ての通り石川島公園・新川公園は束の間の雪景色。
<<< 正面は石川島公園 うっすらと雪が積もっています >>>
<<< 右に工事中の永代橋 その先のスカイツリーが今日は見えません >>>
今年の観光検定の問題にあった中央大橋・佃側から見た新川公園の風景です。 この中央大橋から新川公園に出たところに河津桜があり、昨日見たところ 蕾が膨らみかけています。
寒い日がまだ続きますが今月下旬か3月初めに咲き始めると思いますので、 その時はブログに投稿します。