[銀造]
2012年9月25日 10:00
勝鬨橋から聖路加タワーの間の、隅田川テラスにて "リバーサイド・オータム・フェスタ" が開催されます。 今年も沢山のお店が出店するので、きっと楽しい事でしょう。 毎年、恒例の水上バスクルージングもあります。 銀造は、2009年から参加しています。 どうぞ、一夜限りのフェスタをお楽しみ下さい。 開催時間は、午後5時から8時です。水上バスのクルージングは乗船券が予約の様です。早めに行って、ご予約下さい。

一昨年、他の記事を思い起こすと、この様に大変楽しかったです。どうぞ、良い想い出を!
「坂の上のねこ」さんの記事です。
http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2010/09/post-477.html
私の、記事は、http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2009/09/post-165.html
[杏葉牡丹]
2012年9月22日 08:30
今はもう無くなってしまったのに、駅名や看板等だけには『地名』が残っている。
そんなことがありますよね。
都営地下鉄浅草線の『宝町』駅もそのひとつ。
東銀座駅と日本橋駅の間にあって、現在の京橋1~3丁目になります。
『宝町』の名称は、昭和6年に、実業家で東京市会議員でもあった中沢彦吉の発案により、めでたい名をということで付けられたのですが、昭和53年には、京橋1~3丁目に統合されて、無くなってしまいました。

短命に終わったこの町名ですが、「中央区30年史」によると、消えた理由の一つは、日本橋室町(ムロマチ)の「室(ムロ)」と宝町の「宝(タカラ)」の字がよく似ていて間違えやすく、郵便物の配達に紛乱を招く欠点があったから、との事だそうです。
そう言えば、子供の頃に、宝町に住んでいた友人から、郵便の宛名が「日本橋宝町(ニホンバシ タカラチョウ)」となっていることがあると、聞いた事があります。
確かにパッと見ただけだったり、崩してあったりすると、間違うのも無理はない気もします。
ところで、先日『宝町』駅の階段を上がってすぐの路地に、『京橋宝通り』という表示を発見。
「宝町」に「宝通り」でおめでたいから、こんな場所で宝くじを買ったら当たるかしら、などと思っていたら、なんと50m位先に「宝くじドリーム館」を発見!

ここでは「ロト6」等の抽せん会や歌謡ショーなどがおこなわれる抽せんステージや、日本の宝くじの歴史の展示、1億円のお札の体感コーナーなどがあり、宝くじの発売スケジュールや過去1年間の当選番号を検索できるコーナーもあります。
インフォメーションの方に「宝町だから、この場所に作ったのですか?」とうかがったところ、「いいえ、単なる偶然のようです」と笑いながら答えて下さいました。
すぐ近くに骨董街はあるものの、ビルばかりが並んでいて、何のへんてつもないビジネス街にみえるこの場所ですが、ちょっと気をつけて「街歩き」をしてみると、へぇーと思う面白い発見があるものです。
特に中央区は、江戸の昔から日本の中心で、街の隅々に様々な歴史がありますので、歩く度に発見の連続です。
[下町トム]
2012年9月21日 08:30
月島の魅力はいろいろありますが、やはり〝食文化〟の豊かなエリアだということは皆さんご承知のことと思います。
もちろん〝もんじゃ焼き〟は堂々の名物料理ですが、その紹介は次回に委ねて、今回はそれ以外のおすすめの〝ローカルフード〟を訪ねてみましょう。

まずは、有名な〝レバーフライ〟を楽しみましょう。最も有名なのは発祥の店とも言われている〔ひさごや阿部〕さん。住所は佃ですが、月島駅からもほど近く、まち歩きのお供に定番となっています。
月島町内では、観音様脇の〔ミートショップ緑川〕さんや、その一本隅田川寄りの通りにある〔持ち帰りの王道〕さんでも買い求めることができます。なんでも、月島エリアでは戦後多くの工場勤務の方や港湾関係の方が多く、労働で疲れた体に合うように、安くて栄養価の高いおやつ感覚の食べ物として普及したとのことです。
何とも懐かしい味がします。
次に路地の名店〔げんき〕さん。うっかりすると見過ごしてしまいそうな場所に、いかにも通好みの佇まいを見せてくれています。
ここの〝牛もつ〟は固定ファンの多い抜群の味。ただし、夕方早くに閉まってしまうので、まず早めにここで舌を鍛えて、本格的に飲み歩きに出かける御仁も多いようです。

さらに洋風では、これも路地に独特の存在感を示してくれるのが〔喫茶パーラー・ふるさと〕さん。知る人ぞ知るハンバーガーショップです。喫茶店から衣替えした店ですが、五反田の名店〔フランクリン・アベニュー〕での経験を活かしつつ店主が心をこめて下町バーガーを提供してくれます。しつこくなく、濃厚でジューシーな味が口の中に広がります。
さりげない店内の雰囲気も捨てがたいものがあります。

最後に、月島の隠れた名産品〔月島・地ビール〕を買いましょう。町内では三丁目の〔駿河屋〕さんほか何店かで購入できるほか、メニューとして出してくれるもんじゃ屋さんもありますよ。酒税法上は〝発泡酒〟ですが、ドイツで学んだ製造法を活かして小さな工房で製造しているということで、深い味わいを楽しむことができます。2種類あるので是非飲み比べてみて下さい。
月島には〝もんじゃ焼き〟以外にも様々な地元の味があります。いろんな路地を訪ね歩いて、意外な発見を楽しめる〝アメージングタウン〟なんです。さあ、是非お試しあれ。
続きを読む: 月島七不思議~第5話「ローカルフードの町」
[滅紫]
2012年9月20日 14:00
中央区観光協会主催の 上記まち歩きツアー催行の9月19日は小雨、「あらあら、、」と集合場所のコレド室町「にんべん」さん前に到着した頃はかなりの降り。時間前に予定参加者8名全員が揃いました。(2名事前キャンセル、3倍近い倍率だったのに残念)
美味しそうなかつおぶしだしの匂いが漂ってくるお店の前で、手持ち無沙汰そうな一行を見て、店長の大場様が開店前にお店にご案内下さいました。嬉しいご配慮です。
「にんべん」さんは「本枯れかつおぶし」で知らぬ人のない、元禄12年(1699)創業313年になる老舗中の老舗。2年前のコレド室町開店に合わせ移転。「だし場]の「かつおぶしだし」100円が大ヒットで開店しばらくは一日2,000杯も売れたとのこと。日本型食生活が見直されていることもあり発酵食品のひとつであるかつおぶしも根強い需要があるようです。
珍しいものを見つけました。あの「一番早く新しい年を迎える」キりバス共和国「クリスマス島の塩」です。「和食に合う塩」として販売されています。(100g525円)
DASHI BARでもこの塩を使っていらっしゃるとのこと。使ってみるのが楽しみです。白状すると私は「かつおぶしが味噌、醤油と同じ発酵食品」だという認識がありませんでした。18世紀に発行の銀製の商品券など楽しいご説明をいただいて、次の訪問先「榮太樓」さんへ。
雨も上がったようです。
「榮太樓」さんは安政4年(1857年)日本橋西河岸(現在の地)に独立の店舗を開いたのが始めとこのこと。

入り口の「のれん」の前でご説明中の西脇様。「日除けのれん」はお菓子やさんは白地に墨字が多いが江戸、日本橋界隈では「紺のれんに商標」が一般的とのこと、今まで気がつきませんでした。右は入り口左にある「赤玉石」です。金座の後藤家にあったものをお店の初代が買い取られたものだそうです。下は「御影敷石」で創業時に道路からお店に入る位置口に敷石としてあったもの。歴史と「お客さま第一」という老舗の姿勢が伝わってきます。ささげを使った「甘名納糖」や「玉だれ」というわさびあんを使った夏らしい御菓子は売り切れ。残念。今日は季節のおはぎと、やはり創業期からの名代金鍔を購入することに。

最後の訪問先は「山本山」さんです。すっかり雨も上がりました。到着するとテーブル席に冷茶が出されました。出発して1時間なので皆さんも少しノドが乾いた頃。絶妙タイミングでのおもてなしに一同感激です。

「山本山」さんは創業元禄3年(1690)。宇治の山本嘉兵衛氏が「宇治の美味しいお茶を、こんなに美味しいのだから多くの人に味わっていただきたい」との思いで江戸日本橋で「お茶」の販売を始めたのが最初。当時、庶民の間で普及し始めていたこの飲み物は大ヒット。その後四代目による「煎茶」の改良、六代目による「玉露」の創製と品質追求を重ねお茶の歴史を作ってきたお店です。吃驚したのは「山本山」さんといえば「お茶」と「海苔」は切ってもきれない印象ですが「海苔」の販売を開始されたのは昭和22年とのことです。千木良様のご説明を伺って初めて気がついたのですが銀座線の三越前から銀座までは駅ごとに海苔店があるとのこと。そういえば京橋駅ー山形屋さん、三越前ー山本海苔、そして日本橋は山本山さんです。
[巻渕彰/写楽さい]
2012年9月20日 08:30
来年は江戸開府410年にあたる。五街道も開府のころ制定されたという。日本橋を起点に北へ南へ、文字通り"四通八達"の道路網が敷かれた。江戸の繁栄を支えた五街道は、今日の国道へと引き継がれている。中央区内の五街道の今昔を日本橋から歩いてみよう。はじめは東海道。
一番賑わった東海道。広重「東海道五拾三次 朝之景」は南詰西側の高札場から出立である。この場所には現在、「日本の道100選 中央通り」碑が立ち、道の起点である日本橋も説明されている(写真上左)。南に向かい日本橋交差点は、南進すると東海道、現国道15号線だが、永代通りを西に折れると甲州道中への追分で、今日では国道1号線を経て、国道20号線へとつながっていく(写真上右)。
東海道を進むとやがて中橋広小路。「江戸名所図会」に「中橋」として載る。八重洲通りとの交差点である。八重洲通りは江戸初期の絵図では堀川だった。その東側の大鋸町(おがちょう)は広重が「名所江戸百景」などを制作した住まいがあり、江戸百景「市中繁栄七夕祭」はこの地を描いたといわれ、ここが終焉地となった。明治屋京橋ビル辺りの通町筋は、江戸三伝馬町のひとつ、南伝馬町である。名所図会「南伝馬町祇園会御旅所」の挿絵があるが、現在、面影は全くない。
京橋交差点のかつてのランドマークだった辰野金吾設計の初代「第一相互館」は最近3代目として「相互館110タワー」に建て替わった。この付近が日本橋から1km地点である(写真下左)。京橋川に架かっていた京橋跡には明治、大正期の親柱が残る(写真下右)。橋の北詰東側は江戸百景「京橋竹がし」に描かれる。北詰西側に「江戸歌舞伎発祥の地」と「京橋大根河岸跡」碑が立つ。
江戸期は辺鄙な地域であったといわれる銀座に入ると、新両替町は明治2年(1869)に銀座の町名になり、現在「銀座発祥の地」碑が立つ。今年は江戸銀座役所設置400年にあたる。現在の銀座5丁目には、名所図会「尾張町 布袋屋・亀屋・恵比須屋」に3軒の呉服店が描かれる。今日の銀座4丁目交差点は、かつては尾張町交差点と呼ばれた。東側、三十間堀の木挽橋を渡った一帯は名所図会「木挽町芝居」に森田座が描かれる。現在地は銀座6丁目、昭和通りあたりである。
銀座通りの終点は新橋。汐留川に架かっていたが、古くは芝口橋と呼ばれ、芝口御門が置かれたと北詰東側の中央区説明板にある。この付近はまた、名所図会「しがらき茶店」があり、日本橋から2kmすぎで、ひと休み処だったのだろうか。現在、この道は中央区の「信楽(しがらき)道路」と愛称されている。ここで中央区内の東海道は終わる。●巻渕彰
[杏葉牡丹]
2012年9月19日 14:00

築地魚河岸の晴海通りに面した交番の、
直ぐ横の路地を入った所にあるこのお店。
いつも前を通る度に、とても気になっていました。
というのは、1日3~4種類のパスタのランチメニューには、ズワイガニ、ホタテ、ウニ、シラス、サーモン等、魚介類好きにとっては堪らない品々が並んでいるのです。
しかも、同じ素材のパスタでも、シンプルな塩味以外に、料金をプラスすれば、ソースをトマト、トマトクリームにする事ができます。
この日選んだのは、ホタテとイカと舞茸のスパゲッティ。
ソースはシンプルな塩味にしました。
本来はパスタにパンにスープが付いて、900円なのですが、1時を過ぎていたのでスープが切れてしまい、代わりにウーロン茶かジュースという事だったので、ウーロン茶を頼みました。
ランチには、プラス200円でコーヒーか紅茶が頼めるのですが、ウーロン茶があったので頼みませでした。
シンプルな塩味のスパゲティは、ホタテ・イカ・舞茸の各々の風味がよく出ていて美味しかったのですが、隣のテーブルの人のトマトソースにも、ちょっぴり心が引かれてしまいました。
できたら、沢山の人と来て、色々と注文してシェアをすれば、もっと楽しめそうですね。
お店はとてもこぢんまりしているので、貸し切りは15人からOK!
3000円から予算に応じますとのことで、飲み放題1890円も有とのこと。
歓送迎会や新年会忘年会にどうぞ、ということで、ちょっと早いですが、今のところ、私の、忘年会の最有力候補です。

osteria Naturale(オステリア ナトゥラーレ)
築地6ー1ー9 門跡木村ビルB1
Tel 5565ー5877
定休日 日曜・祝日