パソコンで12月4日付ブログ記事「中央区を貫く大動脈~昭和通り~(/archive/2015/12/post-2915.html)」を書いていたら、横で見ていた息子から「素朴な疑問」が出されました。
「中央区には昭和通りのほかにも平成通りってあるよね。そうしたら明治、大正、江戸もあるの?」
~~息子の云う「平成通り」とは、晴海通り(築地2丁目15番)から鎧橋(日本橋兜町2番)までの通りで、途中桜橋や八丁堀2丁目を通ります。八重洲通りや鍜治橋通りを通って八重洲方面に買い物や食事に行ったりすることも多いので覚えていたのでしょう。この通りは、今でも築地から錦糸町へ行くバス(錦11)が走っていますが、昔は都電が走っていたことから「電車通り」とも呼ばれたそうです。~~
「明治、大正は中央区は通っていないけど、江戸通りはあるよね。ちょっとウチ(家)からは遠いけど、室町とか馬喰町のほうを通っていて、浅草まで行く道だよ。」
【本町交差点:昭和通りと江戸通り】
~~「江戸通り」は丸の内(千代田区)からスタートして、新常盤橋から中央区に入り、室町3丁目、本町交差点、小伝馬町、馬喰町、浅草橋交差点と抜けて、浅草橋から台東区に入り、言問橋西詰(台東区)まで行く通りです。途中、長崎屋(オランダ商館長定宿)、石町時の鐘、伝馬町牢屋敷、郡代屋敷など江戸時代の歴史にも登場する場所を通るので、その名が相応しい通りです。~~
「ふう~ん、明治、大正は通っていないんだ。平成、昭和と江戸があるのにちょっと残念だね。」
「確かに明治通りは、中央区は通っていないけれど、この昭和通りとは三ノ輪(台東区大関横丁交差点)で交差しているから、あながち関係ないわけではないよね。地図を見てごらん、昭和通りは江戸通りとも本町で交差しているよ。ところで、地図には『大正通り』という名前は書いていないけれど、昔の名前が『大正通り』という名前の通りが、中央区を通っているけれど、どれのことか判るかな?」
~~息子も一通り悩んだのですが、とうとう判らず降参でした~~
「パパがこの前書いたブログで、関東郡代の伊奈忠順のお話(
/archive/2015/11/3-3.html)って覚えているかい?あの郡代屋敷があった場所のあたりって、今は浅草橋交差点と言って、さっきも出てきた江戸通りと靖国通りが交わるところだよね。その靖国通りが実は『大正通り』なのさ。」
【浅草橋交差点:江戸通りと靖国通り】
~~現在は、大正通りという名前ではありませんが、靖国通りは昭和通り同様に「震災復興道路(幹線第2号)」として作られた通りで、もともとは「大正通り」と言われたそうです。こちらは靖国神社の前を通ることから、戦後になって靖国通りに改名されたそうです。~~
こうして見ていくと、中央区には残念ながら明治通りは通っていませんでしたが、江戸、大正、昭和、平成と時代の名前を冠した通りがありました。たかが通りの名前ですが、それぞれ時代を映していて面白いと思い、息子をはじめとする読者の方の疑問にお答えするため、今回記事として取り上げることにしました。
通りの愛称の名づけ方について、中央区役所担当課の道路課工務係にお話を伺ってみました。
「江戸通り(都道407号線(国道4号線、6号線、14号線))などの都道については、東京都が昭和37年~38年、59年に愛称設定しています。中央区でも都に倣って昭和62年以降「道路愛称名選定委員会」を立ち上げて区道の名称の設定を進めて来ました(昭和63年「中央区道路愛称名設定要綱」により)。区道である平成通りについては、昭和通りに並行していることや平成元年に元号が変わったばかりであり、おめでたい「平成」の名前を採用しています。愛称採用にあたっては区が勝手に決めるのではなく、地元の意見も聞きながら決めています。」
どうやら、通りの愛称も地元からの申請次第ということのよう。区内の「名無し通り」の沿道の商店街、住民の皆さん、素敵な名前を申請してみたら如何でしょうか。日本中、いや世界中からお客さんが見に来るかも!