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特派員のひとり反省会 その3~第11回中央区観光検定より~

[えだまめ] 2019年2月20日 18:00

子連れ特派員のえだまめです

前回 → /archive/2019/02/11-15.html

前々回 → /archive/2019/02/11-14.html

に引き続きまして、

2月3日(日)実施の「第11回中央区観光検定」の中から

気になった問題を取り上げたいと思います。

 
問26 築地の「国立がんセンター」北側出入口の近くには、海軍に関係する

2つの記念碑が並んでいます。

一つは「海軍軍医学校跡」の石碑ですが、もう一つの記念碑の名称は

次のうちどれでしょう。

ア.海軍発祥の地  イ.軍艦操練所跡  ウ.海軍経理学校の碑  エ.海軍兵学寮跡
 

≪えだまめの言い訳≫

実は・・・私が特派員になるための受検勉強をしていた頃(2016年末)

「国立がんセンター」の北側出入口近辺がどうも工事中だったみたいで。

ここにあった2つの記念碑、見ることができなかったんです・・・。

しかもあの頃はあずき(当時1歳半)を乗せて

ベビーカーを押しながら区内巡回してたので

危険そうなところに突っ込んでいく勇気はなくて・・・。

※もうひとりの私のツッコミ※

とは言いながらも、正解選択肢以外がどこにあるかはちゃんと見たはずだから

消去法で出来たはずよね!?
 

・・・ふう。反省。

でも、これは「もう一度ちゃんと築地に見に行きなさい!!」

という神のお告げだと思って、行ってみることにしましょうか。

 

ア.海軍発祥の地

・・・といいながらも、ここだけは過去画像にて。

海軍発祥の地は、いわゆる築地の「場内市場」だった場所の中。

現在は市場の取り壊し工事中で、立ち入り禁止になっています。

DSC_2450-1.jpg

そんな訳で懐かしの(?)画像です。

市場内にありました「水神社」の境内に

DSC_2451-1.jpg

「旗山」と大きく書かれた碑がありました。

もともと松平定信の下屋敷だったこの場所。

明治になって海軍省がここに置かれることになり

庭園である「浴恩園」(頻出!)の中の築山に

「海軍卿旗」を立てたことに由来するのが「旗山」の名前です。

・・・明らかに「がんセンターの北側出入口」の近くじゃないですね。

 

イ.軍艦操練所跡

ここには碑が残っているわけではなく、

中央区教育委員会の案内板があります。

DSC_5164-1.jpg

安政4年、幕府は築地の講武所内に旗本や御家人たちを対象とする

「軍艦教授所」を創設。

後に「軍艦操練所」と改称しました。

勝海舟が頭取を務めていたことでも知られていますね。

場所はこちら。

軍艦操練所.jpg

築地六丁目の交差点からすぐ、晴海通り沿いの歩道です。

というわけでこれも違いそうですね。

ちなみに・・・『「軍艦操練所」がこんな陸地のど真ん中に??』って

思われる方もいらっしゃるかもしれませんが。

幕末の頃、勝鬨橋を挟んだ対岸である月島・勝どきエリアの埋め立ては始まっておりません。

築地の目の前には海が広がっていました。

なので「軍艦」を「操練」するのに何ら不思議はなかったわけですね。
 

ウ.海軍経理学校の碑

イ.の「軍艦操練所跡」の案内板のところから、

勝鬨橋に向けてまっすぐ歩いていきましょう。

DSC_5166-1.jpg

勝鬨橋のたもとにあるのがこちらの「海軍経理学校の碑」です。

明治7年に芝に「海軍会計学舎」が設けられたのが始まりで、

明治21年に浴恩園跡地に移転となりました。

明治40年に海軍経理学校の名称になり、昭和7年に築地の一角に再移転。

そして昭和20年9月、戦後の海軍解体に伴い、70年の歴史に幕を下ろしたのでした。

しかし、多くの会計学に通じている人材を育て上げたことにより

戦後にも活躍する人材が多く輩出されたようですよ。

ついでにいうと、その傍には「かちどき 橋の資料館」。

(休館日は 月・水・日曜日です)

開閉可能な造りになっている勝鬨橋ですが、

その開閉のために作られた変電所を改修して作ったものです。

橋に関する資料や模型など見ることができますよ。

 

エ.海軍兵学寮跡

というわけで、「消去法でエ.が正解!」・・・ではなくて。

ちゃんと「がんセンターの北側出入口」のところまで見に行きましょう。

これだけ新大橋通りの反対側にあるのでちょっと離れていますね。

久しぶりに見たそこは・・・

DSC_5155-1.jpg

工事も終わって、きれいに舗装されてました!!

そして、お目当てのものは、歩道の右手側に。

DSC_5153-1.jpg

「海軍兵学寮趾」「海軍軍医学校趾」のふたつが

仲良く並んで植え込みの中にありました。

海軍兵学寮という名は明治3年(1870)に生まれました。

前身となるのはイ.の選択肢だった「軍艦操練所」。

明治9年(1876)にさらに「海軍兵学校」と改称され

明治21年(1888)に広島・呉の鎮守府に近い江田島に移転するまでこの地にありました。

なお、跡地は「海軍大学校」として利用されたようですよ。

そして、明治天皇がこの海軍兵学校まで行幸するために通った道が

現在も銀座にその名を遺す「みゆき通り」です。

以前、素敵な先輩特派員の「ジミニ―☆クリケット」さんが

投稿してくださった記事もありますので是非そちらもご参照ください。

/archive/2017/04/post-4240.html

(・・・私、以前にこの記事読んでます。

やっぱり解けなきゃいけない問題でした。大反省です。)

 

海軍関係の史跡が多い築地の街歩き。

もちろんそれ以外にも

DSC_5152-1.jpg

築地本願寺であったり

DSC_5161-1.jpg

平日の午後だというのにまだまだ賑わいを見せていた「場外市場」だったり

見どころはたくさんあるんですよね。

ちなみに子連れ情報としましては・・・

綺麗で広くて使いやすい多目的トイレ(当然おむつ交換台あり)がある

「築地魚河岸」の存在はとっても助かるのです。

http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kobetsukeikaku/tukiji/uogashi.html

小さい子連れでも安心してお出かけできますよ。

是非足を運んでみてくださいね。