[四方の風]
2015年6月 6日 14:00
中央区の昼夜人口差が大きいことはみなさんよくご存じの通りです。しかし区の人口は着実に増加傾向にあります。
毎月発表される最新データでは14万人を超えております。
5月最終日曜日久しぶりに郷土天文館(タイムドーム明石)を訪ねたところ近くにあかつき公園で'第12回エコ
まつりとフリーマーケットが開催されているのに遭遇しました。
シーボルトの胸像があることで有名なあかつき公園はこどもたちが伸び伸びと遊べる空間と遊具が揃っていて
イベントに家族連れで安心して参加できる場所です。余談ではありますが、2月の雪まつりもわたしは偶然遭遇
しました。
「知ろう」「やろう・私たちのできる」エコをテーマに環境パーフォマンスが多数出展されていました。
中央コミュニティバス「江戸バス」も運転席に座ろうをキャッチフレーズに子供たちの関心を集めていました。
同時開催のフリーマーケットも若い方が出品され活気にあふれ賑わいをみせていました。
天文館には昔の中央区を認識するためにたずねたのですが、図らずも今を暮らす方々に出会うこととなりました。
連日国内外の観光客で盛況な築地ですが、聖ルカ通り、築地川公園からあかつき公園で出会った子供たちの
はつらつとした声と動きにおおいに'気'をもらうことができたました。
みなさんもぶらっとお出かけになり、何かに
遭遇しませんか?
因みに、まだまだ先のことですが、11月に浜町公園でフリーマーケットが開かれるそうです。
タイムドーム明石 聖路加看護大学遠景
[四方の風]
2015年5月23日 14:00
展示期間が残り少なく(5月28日まで)なってしまいましたが、浮世絵専門美術館である太田記念美術館で
現在"広重と清親"展が開催されています。
(太田記念美術館は渋谷区にございますが、中央区に関連する展示でしたのでご紹介します)
広重と清親は江戸と明治と生きた時代こそ違いともに武士出身であり清親は広重の影響を受けた作品を幾つ
も残しております。
晩年、京橋で暮らした広重の絵は、中央区の街歩きをするとそこかしこで目にすることができます。
'東海道五拾三次'の「日本橋」ー早朝旅立つ大名行列と魚河岸の魚屋たちを配した絵は誰でも一度は目にした
ことがあると思います。
わたしがこどものころは、安藤広重と通称されていましたが、本名と号の併記はおかしく、いまは歌川広重(1797
~1858)とよばれています。一方の清親(きよちか)こと小林清親(1847~1915)は'明治の広重'と呼ばれて
います。生まれは本所、墓も台東区にあり中央区との縁は特筆するものはありません。しかし、広重に回帰した
ことから中央区の風景を幾つも残しております。
平日でもかなりに盛況でしたが、我が国の誇る浮世絵を堪能するこができました。
翌日、隅田川沿いの散策をしたことは言うまでもありません。とくに明治の終わりに鉄骨に変わる前の木製の
新大橋を想像してみました。
浮世絵で描かれている中央区と、現在の中央区を比較しながら散策できますので
興味がおありでしたらお出かけ下さい。
太田記念美術館
住所 渋谷区神宮前1-10-10
電話 03-5777-8600
最寄駅 JR原宿 東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前
開館時間 午前10時30分から午後5時30分(入館午後5時まで)
休館日 月曜日
[四方の風]
2015年5月 5日 09:00
古地図
現在の地図
昔の地図が手元にあります。 東京都区分地図の古いものです。
生前の父の、堅苦しい字で、「此の地図は、旧地名が記載されているもので貴重なり、大切に保管されたし」
と添え書きがしてあります。
中央区の頁を眺めると、隅田川に架かる橋に中央大橋、隅田川大橋、加えて佃大橋の表記がありません。
月島と佃島の間には佃川があり、佃大橋がないので、"佃島ノ渡"と佃町と湊町が点線で結ばれています。
町名も今は姿を消した、銀座西、東、越前掘、本石町等々が見て取れます。
区内で最初のお祭り'鐵砲洲稲荷神社例大祭'が2日から始まりました。祭りに参加する全ての神輿を撮影したいと思っていました。
天気に誘われ2日実行にうつしました。
闇雲に神輿を探すことはできないと、場所を問い合わせたところ湊三町目神酒所の方がタウンマップに入船・新富及び明石町まで赤く書き入れて頂きました。ご親切に感謝です。
古地図とタウンマップを片手にその後は銀座中の銀座八丁目から京橋公園の銀座一町目の神輿まで14ヶ所を完全制覇することができました。
新橋演舞場近くでは、思いがけなく銀座六・七丁目東の神輿行列出会えたり、銀座四丁目では中央区観光協会特派員のカードのご威光か、朝、参拝した鐵砲洲稲荷神社の御利益か'七福神あられ'を戴きました。
帰りは、銀座四丁目銀座三越2階にある有名マカロンを土産にしました。土曜日、海外からのお客さまや世代が入り混じったひとひとの渦、古さと新しさが生きずく中央区。古い地名に生きていた人達に暫しこころを傾けながらの一日でした。
[四方の風]
2015年4月17日 09:00
新しい年度が始まり、中央区で行われる恒例のイベントが次々と実施されています。
そのひとつである第22回春の名橋「日本橋」まつりに先日足を運んで来ました。生憎の雨降りにもかかわらず、満開は過ぎたとはいえ桜の花はやはり気持ちを和やかにさせてくれました。とくに、35台の往年の名車が、日本銀行本店本館前庭から日本橋橋上及び江戸桜通りに華麗に揃った姿は新旧の景観と相まって素晴らしいものでした。
日本橋の上を行き交う人もいつも以上に華やかさを感じとったことだと思います。
とはいえ橋の上の高速道路、この日ばかりは名車たちを雨から守る傘替わりになってはいても、やはり橋の上は空が似合う。「日本橋に青空を、日本橋川に光を」と橋のたもとで「日本橋景観復興運動」に署名させてもらいました。「今は他県に住んでいますが、本籍は中央区日本橋ですから」と係りの人に答えたところ、署名してくださりありがとう以上の笑顔で応じていただいたのが印象に残りました。
この後、按針通り=今や有名店である天丼の'金子半之助'の長い行列を見て、昭和通りを渡り小網神社、人形町と歩き帰途につきました。
その途中、人形町「芳人町会祭」の掲示を発見!
椙森神社で大祭があると書かれていました。
椙森神社は皆様もよくご存じのように、江戸時代富くじ興行が行われたところ。境内にはそれを記念して「冨塚の碑」もあります。
三年ぶりに大祭だそうですので是非お出かけ下さい。
申し遅れましたが、今月からの新参者、四方の風です。思い入れ深い中央区のことを折に触れてお伝えしていきたいと考えております。
よろしくお願い致します。