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沼津兵学校資業生が築地にできた海軍兵学校に人材が流れていた!

[桜やよい] 2019年3月10日 09:00

明治2年9月に築地に海軍操練所が創設されました。明治3年に海軍兵学寮と、明治9年に海軍兵学校と改称され、明治21年に江田島に移転され、海軍士官の養成学校として我が国の海軍を支えてきました。多くの旧幕臣が明治新政府に出仕し、日本の近代化に貢献したように、海軍兵学寮へも旧幕臣が出仕し、特に、静岡藩(徳川家)の沼津兵学校から教授赤松則良、教授山本淑儀、第一期資業生西尾政典など多くの優秀な人材が供出されました。

今回は、築地にあった海軍兵学校とともに、それに関係の深い沼津兵学校を紹介します。

沼津兵学校

 幕府は解体されたが、徳川家が移封された静岡藩では士官養成を目的とする兵学校を設立すべく、明治元年に沼津城二の丸の跡に沼津兵学校が開設されました。単なる士官養成にとどまらない時代の最先端を行く最高学府が沼津に誕生しました。    

 沼津兵学校の設立にし、阿部潜と江原素六が尽力しました。初代の学校長にし、当代きっての啓蒙学者である西周が就任しました。 資業生といわれる生徒は、徳川の藩士から試験により選ばれました。 試験は第一期から第八期まで行われ、200名ほどが合科し、資業生となりました。    

 学科には、英語・フランス語、漢学、数学、器械学、図画、乗馬、鉄砲術、操練などがありました。教授には、語学の渡部温(イソップ物語の翻訳者)や乙骨太郎乙がいました。普及していなかった数学を積極的に教えたため、「数学の沼津」といわれ、工兵関係の将校を多数輩出しました。

 兵学校の評判が全国的に高くなり、人材の他藩への貸し出しが行われるようになり、次第に兵学校から優秀な人材が消えていきました。特に明治政府では、陸海軍兵学寮の設立が計画されると一層優秀な人材が引き抜かれていきました。明治5年5月に新政府の陸軍兵学寮に吸収され、3年余りで消えました、しかし、その人材は、陸海軍、官吏、教育界、経済界など広範な分野で活躍し、日本の近代化に貢献しました。         

       沼津城絵図歴史MAP

沼津兵学校観光

沼津駅南口の方面には、沼津城本丸跡である中央公園があります。沼津城ニ之丸御殿は徳川家・静岡が設置した沼津兵兵学校の校舎となり、近くに兵学校寄宿寮・付属小学校・医局・医学所も設置され、兵学校が使用した旧沼津藩の馬や馬場もありました。

大手町の城岡神社境内には、明治27年徳川家旧臣によって建てられた沼津兵学校の碑があります。

わずか4年の短期間だったが、次のような人がいます。

陸海軍(将校)では、井口省吾、加藤定吉、矢吹秀一早川省義赤松則良黒田久孝古川宣誉西紳六郎村田惇向山慎吉山口勝など多数、軍人以外では西周田口卯吉島田三郎真野文二などがいます。

沼津市明治資料館ー沼津兵学校の資料が多く展示されている。

展示室

図書室

平成31年1月20日に沼津兵学校創立150周年記念式典が沼津市民文化センターで開催されました。

徳川宗家18代徳川恒孝当主の「沼津兵学校創立150周年に寄せて」、国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授が「沼津兵学校から学ぶべきもの」と題してそれぞれ講演する。当日、「沼津兵学校記念誌」(1部1000円)の販売。

静岡藩を治めた徳川家が設置した沼津兵学校がことし創立150周年を迎え、20日、記念式典と同校付属陸軍医局(静岡藩立沼津病院)の記念碑除幕式(いずれも実行委主催)が沼津市内で開かれた。先進的な教育制度を実践し、日本の近代化に貢献する人材を輩出した同校の功績を知ってもらおうと企画した。
第18代徳川家当主徳川恒孝さんの長男家広さん(53)らを招き、病院跡地の市立第一小北側で沼津病院の記念碑除幕式を行った。病院の初代院長杉田玄端のひ孫鈴木富子さん(83)=東京都世田谷区=らも出席し、司会の合図で一斉に幕を引き下ろした。完成した碑を見た鈴木さんは「言葉にならないほどの感謝でいっぱい」と話した。
除幕式に先立ち行った式典では、家広さんと国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授が記念講演した。家広さんは兵学校設置の経緯や教育内容などを説明した。樋口教授は自由貿易論を推進した田口卯吉や政界で活躍した元学生らを紹介した。反骨精神や外国語と異文化の学習など5点を挙げ、「兵学校からくみ取るべきものは無数にある」と強調した。

日本で初めての小学校が明治元年9月に沼津城内に代戯館として、のちに沼津兵学校付属小学校として開校し、沼津市立第一小学校として現在に至っています。

沼津に移住した旧幕臣は、苦しい生活の中にあっても子弟の教育には力を入れ、明治元年(1868年)9月、「代戯館」という学校をはじめた。添地にあった長屋を校舎にあて、ござをしき、黒板には雨戸を使うなど粗末なものであった。 12月には、沼津兵学校附属小学校に引き継がれ、日本最初の小学校とよばれる学校になった。

生徒は7、8歳以上の士族、庶民の子弟であって、学科は算術・地理・体操・乗馬・水泳などがあり、後に英語・フランス語も加わった高度の小学校であった。 明治5年(1872年)、「学制」が定められ、この小学校は、「集成舎」という学校になった。その後、「沼津黌」などと何回も校名を変えながら、統合・分立・新設などをくりかえしつつ、現在の第一小学校や第二小学校に発展していった。


築地にできた海軍兵学校

海軍兵学校沿革

草創時代

明治2年9月 18日(1869) 東京築地安芸橋内に海軍操練所(海軍学校の前身)創設

軍務官の実権者 大村益次郎が西洋式西洋式近代海軍学校を起こすべし

明治2年7月    兵部省が新設・海軍操練所創設

明治2年9月18日 海軍操練所を東京築地の元芸州屋敷・安芸橋内に置く(元中央市場の一角)諸藩進貢の海軍修学性(18歳~20歳ー大藩5名・中藩4名・小藩3名)

明治3年1月11日 海軍操練所の始業式挙行・海軍初めの式の起源となる。

明治3年2月23日 「千代田形」を海軍操練所付稽古鑑と定める。

明治3年3月    生徒2名に英鑑乗組を命じる。

明治3年5月    「海士の教育」は軍艦は海軍士官を以て精神とす。

明治3年11月4日 海軍操練所を海軍兵学校と改称する。寮生70余名・幼年生徒15那・壮  年性と29名を選抜し、全部官費で入寮。

明治4年1月8日  有栖川兵部卿臨場・生徒はこの日から金釦一行の短上着を着用

明治4年1月10日 「海軍兵学校寮規則」公布   

明治 4年2月22日 海軍兵学寮生徒11名と軍艦生徒6名(東郷平八朗見習士官) 第1回海外留学生英米派遣  

明治4年6月15日 「富士山」軍艦配置

明治4年8月5日  教官を武官とする。

明治5年2月27日 兵部省廃止に伴い、海軍省と陸軍省設置 海軍兵学寮は海軍省所管

幼年生徒は予科生徒・壮年生徒は本科生徒と改称。壮士気取の豪傑肌の生徒が多く帆風が漂っていた。歴戦の荒武者は戦場を知らない教官の拝斥を行い、教官室に闖入し、教官と格闘することもあったという。

明治6年7月  英国からアーチボールド・ルチアス・ダグラス海軍少佐他各科士官5名、下士官12名、水兵16名の教官団が着任したのを契機として、兵学校中牟田倉之助少将が海軍士官教育を一任。ダグラス少佐は「士官である前にまず紳士であれ」と、英国海軍士官流の紳士教育を前提とした。学科は英語と数学に重点を置いて、教科書も抗議もすべて英語、しかも座学よりも実施訓練に重点を置く、教育方針を打ち出した。

明治6年11月19日 第1期卒業生2名

明治7年 学科は英語と数学に重点を置いて、教科書も抗議もすべて英語、しかも座学よりも実施訓練に重点を置く、教育方針を実施。教育の成果が上がり、初級士官教育も本格的に軌道にのる。生徒に様式体育と遊戯を行い、日本初の運動会を開催。

明治7年11月1日 第2期卒業生17名 山本権兵衛・日高壮の壮之丞

明治9年8月31日 海軍兵学寮は海軍兵学校と改称

明治9年10月  海兵士官学校が海軍兵学校付属しなり、東京兵学分校と呼ばれる。

明治11年6月 本校機関科生徒全員を横須賀海軍兵学校付属機関学校に編入

明治12年  東京兵分校廃止で本校に編入

明治14年7月 海軍兵学校から分離独立して、海軍機関学校となる。

明治16年6月 東京で最初の赤煉瓦造である生徒館が新築落成のちに海軍大学校の校舎と使われた東洋一大きな2階建の堂々たるものであった。地続きにあった木造の海軍省が粗末で小さな物置のように見えた。設備内容も整った。

明治21年8月 (1888) 海軍兵学校、江田島に移転

幕府の海軍士官養成教育が軍艦奉行 勝海舟を筆頭に軌道を敷いていた路線を引き継いだ形となった。

幕臣から沼津兵学校から海軍に行った人材名簿

校長         矢田堀鴻 幕末の幕臣、海軍総裁、明治期の官吏

教授         赤松則良 明治期の海軍軍人(中将)。佐世保鎮守府司令長官

                   横須賀鎮守府司令長官、男爵

教授並       山本淑儀 明治期の海軍軍人(大佐)

生徒         中川将行 幕末の幕臣、明治期の海軍軍人、数学者

            永嶺謙光 明治期の海軍軍人(少将)

            向山慎吉 明治期の海軍軍人(中将)。向山黄村の養子、舞鶴

                   佐世保海軍工廠長、男爵

            小笠原賢蔵 海軍操練所

            横井時庸   海軍中機関士

付属小学校生徒  加藤定吉 明治期~大正期の海軍軍人(大将)、第二艦隊司令長官

                    呉鎮守府司令長官、男爵 

             西紳六郎  明治期~昭和初期の海軍軍人(中将)

                     佐世保鎮守府参謀長、侍従武官、馬公要港部司令官、男爵           

沼津兵学校は陸軍養成が主な目的だったが、併せて海軍にも人材が活躍したということは近代的な兵法をフランスから学び、明治新政府がすぐ軍隊を構成できたのは、沼津兵学校の教育が先達にあったればこそと知った。

今までは徳川幕府が倒れて、明治政府に代わって幕府の人材はどうしたのかと思っていた。勝海舟・山岡鉄舟・榎本武揚等は活用された人材で有名であったが、明治新政府は幕府の人材を活用していたのだということも合わせてわかった。

(国立民族博物館教授 樋口雄彦様 沼津郷土史研究談話会様 沼津市明治史料館 

木口 亮学芸員の了承を得て記事を記載しております。)

 

 

江戸時代から下水道があった清潔な街づくりがすごい!

[桜やよい] 2019年2月26日 14:00

日本橋一丁目の現在のコレド日本橋の場所には、江戸時代に白木屋という呉服店があり、初期の百貨店の代表のひとつである白木屋百貨店、それを継承した東急百貨店があった。

『ニュース東京の下水道NO.253ー12月号』の記事に江戸幕府開府とともに下水道を整備しながら江戸の街づくりがなされていたことを知り、中央区の白木屋の下水道が描かれている絵図が紹介されていた。

以前、中央区立郷土天文館展示会で上水道の発掘した木枠の遺構を見たことはあったが、下水道はどうなっているかに興味をもった。早速、中央区立郷土天文館に行き、中央区教育委員会 総括文化財 仲光克顕調査指導員から貴重なお話を伺った。

大店である白木屋のような屋敷内に大下水・小下水があることは街中では珍しいそうである。街中の下水道の絵図も見せていただき、町家の建物に沿って下水道があり、その絵図は申請書を出すと写真に撮影することができるそうである。興味のある方は是非、中央区立郷土天文館にお出掛けください。

下水道の遺構の写真は上水道の遺構よりも幅が狭く、 木枠が破損されるとその上に板を重ねて補修していくそうである。

江戸時代はその下水から大量の蚊が発生する原因にもなっていたそうである。

下水道がなかった世界の都市では、ペスト・コレラが流行っていた記事が記載されていたので、江戸時代はどうだったのかと伺うと、発生はしていたが、ヨーロッパほど大流行にはならなかったようである。

江戸時代から下水道ができたわけでなく、実は古代の遺跡ー奈良、京都・大阪からも下水道の遺構が見つかっているとのこと。                                              

 ニュース東京の下水道NO.253ー12月号の記事より抜粋

水道れきし旅 ~江戸時代から現代へ~

清潔だった江戸時代~江戸の下水~

▲白木屋の絵図
「江戸の町かど」伊藤好一著より作成

白木屋(しろきや)東京都中央区日本橋一丁目に存在した江戸三大呉服店。日本の百貨店の先駆的存在であり、かつて日本を代表した百貨店の一つ。法人自体は現在の株式会社東急百貨店として存続しており、1967年(昭和42年)に商号・店名ともに「東急百貨店日本橋店」へと改称した。その後、売れ行き不振のため1999年(平成11年)1月31日に閉店し、白木屋以来336年の永い歴史に幕を閉じた。跡地にはコレド日本橋が建設されて2004年(平成16年)3月30日に開業。

▲江戸下水しくみ

戦国時代が終わりを迎え、諸大名の領地が決まると、配置換えの心配がなくなり、城下の街づくりや、水路を開いた農地の開発が全国的に盛んになった。徳川家康が江戸に入府したのは1590(天正18)年。本格的に街づくりに乗り出したのは、関ヶ原の戦が終わった後、家康が将軍となり、1603(慶長8)年に幕府を開いてからである。
寛永年間(1624~1644年)は、特に街づくりが進んだが、1657年に「明暦の大火」で江戸の大部分が焼失。幕府は直ちに江戸の再建に取り掛かり、万治年間(1658~1661年)には本所・深川が開発された。

街づくりに際して、下水(当時は雨水や汚水を流す大小の水路を「下水」と称していた)も造られた。この頃までに、下水はかなり整備された。
江戸の下水とは街には多くの長屋(裏店)があったが、長屋の流しから出された排水は、路地に造られた溝(どぶ)に流れ、そこから道路につくられた下水に流れていった。家々の屋根からは、雨樋を通じて雨水が流れ、軒下に造られていた雨落ち下水に排水された。

大下水、小下水などの名前があるが、これは必ずしも下水の大きさを表しているのではなく、地域の人々がそのように呼んでいたものをそのまま使っていた。
幕末に外国人たちが日本にやって来るようになり、江戸の街並みの清潔さに感銘を受けていた。街中にゴミが無いことを指摘している。ヨーロッパの城下町では、王宮も民家も、街の外周にある城壁に囲まれた狭い地域の中に、ひしめくように建てられた。そのため、人口密度は高く、汚水やゴミが路上に散乱していた。ひとたびペストやコレラといった伝染病が発生すると、瞬く間に城内に蔓延したため、彼らは悲惨な状況を何度も経験している。
日本の城下町には城壁は無く、家々は城の外側に配置されていた。当時の物流は、主として水運に頼っていたので、江戸の街には小さな河川や堀割が四通八達していた。また、江戸の街は、山を削り、発生する残土で埋立造成された土地がかなり広く存在していた。そのため、雨水や汚水は自然に、あるいは下水を経由して、水路に排除することができた。造成された土地の多くは低地であったため、湿潤化しやすく、雨水を排除することは大変重要だった。その意味で、江戸の街は経済システムと環境衛生とがうまくマッチしていたと言える。

江戸の庶民は家の前の道路を掃除したり、夏には打ち水を行ったりして、街を清潔に維持していた。疫病は存在したが、パンデミー(大流行)のような過酷な経験をすることはほとんどなかった。大森貝塚を発掘したE.モースや、英国の外交官R.オールコックは、驚きの目をもって記述している。

江戸が開国して近代化の波が押し寄せ、人口が急増してくると、近代的な街づくりを行うため、水路を埋め立てて道路や宅地にしていった。その結果、街の環境は劣化していくことになり、開国と同時に、コレラのように極めて悪性な伝染病が海外から持ち込まれたため、明治に入ると、コレラ対策を主要な役割とする新しい下水道、即ち近代下水道を整備する必要性が高まった。

分科会 屎尿・下水研究会報告抜粋ー日時: 平成17年1月14日(金)講演者:仲光 克顕 (東京都中央区教育委員会) 演題: 「江戸遺跡にみる町屋の下水」

対象遺跡は中央区日本橋一丁目・二丁目で、一丁目は以前白木屋デパート(その後東急デパート)の駐車場等があった場所。中央区は江戸時代に徳川家康が入府以来造成された場所との事で時代・時代に於いて絵図や古文書等が存在するので、遺跡の発掘をもとに絵図に現れない実態を明かされた。

日本橋川の東側、現在の三越がある側には現在も卸し問屋、江戸時代には日本橋河岸があり、町屋があり、下水があり、現在の地面より掘り下げて行くに従い、時代・時代に生きずいていたと思われる出土品や下水が現れ、その場所だけでは判断出来ない遺構もあった。

発掘品について何か変わったものがありませんでしたかとの質問に、芝居小屋の入場券が見つかったとの事。木片に墨で書かれていたので大変珍しい。

発掘した下水遺構の傾斜等をみると日本橋川の方向に向かっていないので、この場所のみの発掘では芥溜等もあるが、その先がどうなっているのかまでは分からない。

一丁目遺跡では、発掘された排水関連の遺構を元に、文献資料からは伺うことの出来ない敷地境を特定。

二丁目遺跡では下水木樋を中心とした遺構により、屋敷割は、年代が下がると共に細分化され、それに伴い明瞭な地業がなされていた建物址は姿を消し、長屋の様な建物に変容して行くことが、下水枝樋が増加する事によって分かると仲光氏は言われた。  

江戸遺跡にみる町屋の下水 ―日本橋の町屋を中心にー

仲光 克顕 

中央区においては、これまで八丁堀二丁目、同三丁目、京葉線八丁堀、日本橋二丁目、同一丁目、京橋二丁目遺跡などの実績がある。ここでは、最近調査された町屋の中でも日本橋周辺の遺跡について、そこから検出された下水について紹介。

中央区は低地であるため、木質部分の遺存も良好であり、かなりの遺構に木材が用いられていたことが確認された。特に、台地上の遺跡では腐食して滅失することの多い下水木樋の木質が良好に遺存していた  日本橋周辺において発掘調査が実施された遺跡は、日本橋一丁目遺跡(以下一丁目遺跡と略)及び日本橋二丁目遺跡(以下二丁目遺跡と略)がある。

東海道の起点である日本橋からは中央通り(旧日本橋通り)が南北に延び、約1.3km 東には隅田川が流れる。日本橋が架かる日本橋川は、隅田川河口と江戸城内堀を結ぶ当時の水運上重要な運河であり、また、中央通りは当時の江戸のメーン・ストリートである。こういったことから、日本橋周辺は江戸の中でも一等地に立地しており、商業地として江戸時代を通じて栄えていたといえる。

1 遺跡の地歴環境

中央区のほとんどの地域が洪積層からなる日本橋台地上にあたる。この台地を沖積層が覆うかたちとなっており、隅田川東岸の地域に比べて2~3m高い基盤に立地する。

日本橋台地は、地形学的にいう埋没上位波食台(埋没台地)であり、遺跡地周辺の標高は4.5m前後である。北側には同じく埋没台地である浅草台地があり、不忍池より月島方面へ向かう埋没谷である昭和通り谷を隔てた南側が日本橋台地である。  

日本橋周辺は「江戸前島」とよばれる砂州であり、日本橋台地の上に沖積層が堆積して陸地化したものである。江戸前島は、本郷方面から南に延びる半島状の微高地であるが、詳細な範囲はいまだ不明瞭なところが多い。古くは弘長元(1261)年の「関興寺文書」の内、平重長の書簡にみられる「武蔵国豊島郡江戸郷之内前島村」である可能性が指摘されている。

 中央区がほぼ現在のかたちとなるのは、天正18(1590)年の徳川家康江戸入府以降の造成による。政権都市と成るべく普請事業が実施される中で、『武江年表』では、慶長8(1603)年の項に町方普請についての記述がみられる。入堀を掘った後、その揚げ土を堀の端に積んでおき、諸国より集まって町割りを下された町人が、勝手次第にその土を引き取り、整地して町屋にしていった。

2 遺跡の概要

(1) 日本橋一丁目遺跡の概要

 一丁目遺跡は中央区日本橋一丁目4番・6番[住居表示]に所在する。本調査が行われたのは6番部分であり、江戸時代を通じて万町という町屋であった。万町は、家康入府に際して元四日市町、青物町などと共に、小田原の曾我小左衛門達を移住させて起立された。問屋が多く、定飛脚問屋、乾物問屋、茶問屋、紙煙草入問屋、鍋釜問屋、干菓子問屋、薬屋、筆墨硯師、醤油酢問屋などがあった。小売の商店が並んでいたというよりは、問屋の集中する商業地であったことが窺われる。

 一丁目遺跡は、平成12年12月から翌年7月にかけて発掘調査が実施された。調査対象面積は約1,000m2である。本遺跡は近世初頭に盛土され、以後嵩上げが繰り返された。遺跡は現地表面下1m前後掘り下げたところから確認され始めた。確認された生活面は、近世において14面、近代では1面で、標高0.5mから4.0m前後まで堆積していた。

検出された遺構は約500基で、町割に関するとみられる石組護岸による下水や、汚水を沈殿させるための芥溜めとみられるものが下水木樋に繋がるように検出された。また、穴蔵は32基、土蔵址は19基と非常に濃密な分布をみせ、江戸の商業地の中心を象徴する。石組護岸による下水は3条確認され、遺跡地が万町の中でも4、5、6番地に該当することがわかった。  調査地は江戸時代を通じて町地であり、その初期から近代にかけての変遷が調査された、稀な遺跡である。

(2) 日本橋二丁目遺跡の概要

二丁目遺跡は中央区日本橋二丁目7番[住居表示]に所在する。遺跡地は慶長17(1612)年ころ以降に形成された入堀の一角にあたることがわかる。入堀は絵図でその存在が確認できる寛永九(1632)年から、久志本式部家が町地として拝領する寛永15(1638)年の間に埋め立てられたもの。拝領直後の式部家の屋敷地は、日本橋通二丁目の一角として認識されていた。

明暦3(1657)年の大火を契機に、自分の敷地内を日本橋大通りに貫通させる道を設けた。これ以後、遺跡地は通二丁目新道として周知されて行った。 久志本式部家は知行3百石で、元々伊勢神宮の外宮の御師であったのが、医師に転じたものである。遺跡地を拝領した時の当主は式部家2代の常良であり、御番医師であった。

久志本式部家は明治新政府に代わるまで遺跡地を所有し続けたが、時代が下るとともに敷地内は細分されて行き、貸地の進行とともに町人の住む町屋になって行った。  発掘調査は約800m2を対象として、平成11年11月から翌年2月にかけて行った。遺跡は現地表面下1m前後掘り下げたところから確認され始めた。

確認された生活面は10面で、標高0.5mから3.0m前後まで堆積しており、更に下位に入堀が検出された。確認された遺構は約300基で、一丁目遺跡とは異なり、土蔵址や穴蔵は少数の検出にとどまった。各生活面で検出された下水木樋が町割の内における屋敷割を反映していることが確認された。また、芥溜は下水木樋に繋がった状態で検出された。

3 検出遺構の分類と下水関連施設の位置付け

一丁目及び二丁目遺跡で検出された遺構を性格毎に分類して整理。将来的に遺跡から町屋が復元される際、その作業に向けて整理。下水について検討する際、下水そのもののみを集成するよりも、周囲で検出された遺構と比較しながら遺跡に位置付けることにより、その機能が明瞭になっていくものと考えている。  

下水に関連する遺構は、「排水関連」とした。ただ、排水関連とした遺構のみならず、下水に関連するとみられる遺構はかなり認められた。これは、建物、便所などを除いて、直接的な住空間を成さないものであるものの、人間の世界における、最小単位としての社会集団の境界を前提とした認知実践の痕跡であると考えられ、敷地内における土地利用の在り方を反映している。

 下水は、主に1生活排水 2雨水処理 3敷地区分といった用途のために機能していた。ここでは、3敷地区分に視点を置いてみていきたい。敷地区分について下水木樋及び下水枝樋を扱った論考については、町屋の空問復原の視点から先行研究例がある。

下水木樋は、玉井哲雄氏が『都心部の遺跡』において都立一橋高校内遺跡における町割の照合に用い、復原的な検討を加えた結果、一定の成果をみた。下水枝樋については、後藤宏樹氏が『岩本町二丁目遺跡』で規則的な配置状況に着目し、各戸の台所に敷設された下水であるとの見解を示したものである。

4 検出された町屋の下水

(1) 日本橋一丁目遺跡の下水と敷地境

 一丁目遺跡における石組護岸は、第12面の明暦大火直前に出現する。本遺跡の調査に際して、遺跡地である万町の沽券絵図控が発見された。この沽券絵図や明治6(1873)年の沽券図と、現況の土地や遺跡の状況から、遺跡地が万町の中でも4・5・6番に該当することがわかった。ただ、沽券図では線が引かれているだけで、遺跡内において実際の敷地境がどこなのかが不明であった。

石組護岸・下水溝あたりであることは間違いないが、溝の中心なのか、東西の石組護岸のどちら側のどの部分なのかが特定されない。一般にどぶさらいの義務があるとされるため、この下水を挟み東西どちらかの地主がこの費用を負担しなければならない。

訴訟の原因となるため敷地境が溝の中心とは考え難い。発掘調査により得られた事実を整理すると、   1、東側の石組は土蔵基礎に壊されることがあること、   2、東側の石組は東西への動きがみられる   3、西側の石組は12面から近代までほぼ動かない ことがわかり、これにより敷地境は下水溝西側の石組護岸のツラのラインであることがわかった。

(2) 日本橋二丁目遺影の下水と平面構成の変遷

 二丁目遺跡における平面構成の移り変わりを、排水関連の遺構を交えながらみていきたい。二丁目遺跡で明瞭に下水が出現するのはⅢ期の第8面である。このため、Ⅲ期以降の変遷に限る。 Ⅲ期:前期における明暦の大火を契機として、新道が南側調査区外に東西方向に通される。屋敷割にも変化が現れ、第9面3期に屋敷割の境界とみられる路地跡が通される。

第9面3期、第8面、第7面を本期とし、明暦3(1657)年ころから18世紀中葉ころ以前。  第9面3期でみられた路地跡による屋敷割の境界は、第8・7面では調査区外に移動した。この位置の境界は、Ⅳ期においてこの位置に下水が通され、再びみられるようになる。

建物址は比較的明瞭な形でみられ、下水も通される。下水は町割の形状に沿うように、東西・南北方向に走る。西側の板敷を伴う下水木樋は西側部分だけではあるが、後にみられるように調査区内を既に南北に屋敷割するように認められる。Ⅴ期やⅥ期と比べて、まだゆとりのある平面構成にみえる。

Ⅳ期l Ⅳ期は第6面があたり、1750年代を中心とした18世紀中葉になろう。  南側に東西を横切る下水木樋が認められ、Ⅲ期において南側の調査区外へ移っていた屋敷割が再びみられる。

Ⅲ期からⅣ期にかけての大きな変容は、調査区のほぼ中央を東西に横切る下水木樋がみられるようになることや、導水管を伴う上水関連の遺構がみられなくなる。この下水木樋により大きく南北が隔てられる。また、前期の第8面のような建物址はほとんど確認されず、長屋のような建物による屋敷割の細分化は、この時期から始まった可能性がある。

本期より木製の下水枝樋が確認され、前期で述べたように、本遺跡地は新道に対してやや裏手にあたる。南側から屋敷割の細分化が始まったのであれば、木製の下水枝樋が南側のみにみられることになるのかもしれない。  東側では、前期から引き続いて石組護岸による下水がみられる。本期ではこの下水の西側には大規模な溜井戸があり、東側に土蔵址も認められる。

Ⅴ期では、焼土整理坑がこの付近で並び方や形状が異なり、枝樋の規模や板敷も異なることから、この辺りで土地利用の状況が東西異なっており、格の高い居住者がいた可能性がある。 Ⅴ期:第5面、第4面1・2期をⅤ期とする。本期は、1750~60年代ころから18世紀後葉の内になろう。第4面1期の焼土整理坑は、明和9(1772)年におきた目黒行人坂の大火の後片付けと思われ、遺跡地の土地利用にとって大きな変化のきっかけとなることが想定される。

焼土整理坑とこの直後の下水枝樋の位置関係が比較的よく一致することや、既に第5面において南北方向に路地跡がみられ、前期の屋敷割から大きく変容していたことが窺われるため、本期に一括した。  

Ⅳ期からⅤ期への大きな変容は、縦横に検出された下水木樋や、これに注ぐ多くの下水枝樋がみられるようになることであろう。Ⅳ期で東西に細長い屋敷割であったのが、本期ではその中を南北方向に路地跡ないしは下水木樋が走って分断している。また、タタキ状や礎石、横木などが同時に検出される建物址がまったくみられなくなる。

前期より更に屋敷割が細分化されたことが窺われ、南西側を除いた屋敷割の中では長屋のような建物による集住がかなり進行したものと思われる。 Ⅵ期:第3~1面を本期とする。18世紀末葉から明治10(1877)年ころまでとなろう。  前期で捉えられた屋敷割が、本期において短期問の内に更に細分されたり元に戻ったりと、かなり活発な土地の利用状況が窺われる。

撹乱が激しく明瞭な様相差が捉えられないため、本期に括った。第1面2期は明らかに近代の廃絶であるが、第6章第3節、本章第3節からも窺われるように、推定廃絶年代である明治10(1877)年ころまでに大きな変化は確認されなかった。

本遺跡地の町屋においては江戸時代から近代まで、ある程度連続性のある土地利用がなされていた可能性が窺われよう。  Ⅴ期の4面2期で、南西側の漆喰地業址に集中して胞衣埋納遺構が検出されたが、本期では再び下水木樋の回りに分散してみられる。これは、時期差によるものというよりも、むしろ第4面2期における南西側の屋敷割には長屋のような建物が存立しておらず、他の屋敷割に比べて格が高かった。

埋甕による便槽が1基を除いてこの屋敷割内でのみ確認されることや、遺構の密度が低いこと、下水枝樋が1基しかみられない。

日本橋における町屋の遺跡を概観し、一丁目遺跡では文献資料からは窺うことのできない敷地境を発掘された排水関連の遺構をもとに特定した。二丁目遺跡においては、下水木樋を中心とした遺構による屋敷割は、年代が下ると共に細分化されて行った様子がみられた。

細分化に伴い、明瞭な地業が成された建物祉は姿を消し、下水枝樋が増加することによって長屋のような建物に変容して行く。  日本橋周辺の江戸遺跡は、政権都市江戸における町屋の中心部に所在する。これら日本橋の町屋の遺跡が、今後江戸遺跡において町屋を調査する際、一つの指標と成り得るものと思われる。

このように仲光克顕調査指導員の調査研究により、江戸の町並みを下水道のかかわりの中で見ることができる。今後も都市開発による中央区は大きく変遷していく。遺構が見つかれば、江戸の人々の生活に下水がどのようにかかわっていたのかがもっと解かるようになることを期待したい。

(中央区教育委員会 総括文化財 仲光克顕調査指導員様にインタービューさせて戴きました)

 

 

日本橋ふくしま舘MIDETTE(ミデッテ)山のごちそう本舗のふくしまの郷土料理教室

[桜やよい] 2019年1月31日 09:00

私のイチオシ‼アンテナショップ「日本橋ふくしま舘 MIDETTE(ミデッテ)」で開催された『第1回山のごちそう本舗のふくしまの郷土料理教室』2019年1月26日午前の部11:30-13:00に参加しました。27日午前・午後の部14:30-16:00ー2日間計4回開催され、参加費1,500円でしたが、お土産付(①山のごちそう本舗特製 五目ごはんの素 1ケ ②矢祭産もち米 2合)で、とてもリーズナブルな企画でお得感満載でした。

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講師は 増子正代 (山のごちそう本舗・社長)さんでした。チラシのコメントをご紹介します。

「私が暮らす福島県は素晴らしい食材で溢れています。食材の最も美味しい食べ方は郷土に伝わる料理法ではないでしょうか。この教室では、和やかにコミュニケーションを取りながら、作り方のコツを分かりやすく伝えたいです。『五目おこわ』『イモ煮汁』大人気の『イカ人参』もやっちゃいます!保存料を一切使用していない。安全で美味しいお漬物と販売もやりまーっす!

『山のごちそう本舗』〠963-5323 福島県白川郷矢祭町茗荷字歯朶平67-1℡&Fax0247-46-3872

『五目おこわ』矢祭産のもち米使った、しっかりした味付けで、冷えても美味しい主役級の人気メニュー※具材に味を染み込ませることがコツだそうです。

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もち米2升分をお釜で蒸かします。蒸したもち米が最高に美味しいそうです!

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家庭で作る場合は2合の分量でレシピを教えていただきました。

ゴボウの笹がき1本・人参細切り1本・しいたけ1パック細切り・鶏肉100g小さ目の1口大切りにし酒大1に漬ける・油揚げ2枚細切りを下ごしらえしておく。

鍋にサラダ油大1を入れ、水気を切ったゴボウを入れ強火で炒める。しんなりしたら、人参・しいたけ・鶏肉ー醤油大3・みりん大1・酒大1を入れ全体に炒める。

出汁2カップ(400cc)と油揚げを入れて、アクをとりながら5分煮る。

具材と出汁をザルでこして、水気を切っておく。

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もち米を30分水に漬けてから水を切り、分けてあった煮汁を1.5合の目盛まで入れる(足りなければ水を足す)

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炊飯出来上がり‼

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具を均等に混ぜ合わせます。この時にしゃもじを縦に切るようにして、米粒をつぶさないようにするのがコツだそうです。

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美味しそうに見えますね。お味はいただいて、最高に美味しかったです。なんと、私はおかわりをしてしまいました。

『芋煮汁』里芋とゴボウが入った旨味たっぷりの美味しい芋煮汁

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もう出来上がっていました。大きい里芋は柔らかくてとても美味しかったです。寒い冬にピッタリのメニューで、体も心も温かくなりました。柚子味噌やハバネロ味噌を入れるともっと味のグレードがアップ。

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食欲を増す試食も沢山用意してありました。

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やみつき大根はパリパリ感が気に入りました!

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刺身こんにゃく(柚子味噌付)・イカ人参も福島名産でも山のごちそう本舗さんのオリジナルの味がイチオシでした。

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なんと、デザートにイチゴ(とちおとめ)までいただきました。至れりつくせりのメニューにお腹もいっぱいになって幸福感に包まれました。

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第1回とありましたので、次回にも期待したいです。皆様も是非参加してください。お土産をいただけるばかりかレシピとボールペン、福島民報『民報サロン』の増子さんのコラム記事ファイルも戴けました。日本橋福島館で、山のごちそう本舗の商品ーやみつき大根(324円)・イカ人参(432円)・柚子味噌(270円)を購入して帰りました。レシピをいただいたメニューは家でトライしてみます。

福島民報『民報サロン』のコラムを読んで増子さんの想いを知り、益々人柄にひかれてしまいました。惣菜屋(佃煮・漬物)さんだと思っていましたが、原木しいたけ栽培を中心に筍・山菜・ゴボウ茶・柚子味噌・刺身こんにゃく等、手作りで無添加の商品をたくさん作っていらっるそうです。84歳のお母様も現役だそうです。増子さんは毎日夜8時から12時まで調理して、作り立てを翌日販売に出かけられているとか。安心・安全な食材を届けていただくことが嬉しいです。

食事の間に福島県矢祭町のDVD・スライドショーも見せていただきました。山と川等の自然に恵まれたとっても良い町だと初めて知りました。川では鮎釣り、柚子の名産地だということも教えていただきました。行ってみたいと思うくらい魅力を感じました。矢祭町のホームページhttp://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/page/dir000045.htmlで情報を調べてください。

(山のごちそう本舗社長 増子正代様、日本橋ふくしま館 副館長 小林 誠様に承諾をいただいて、記事と写真を記載させていただきました)

 

 

三重テラスのワークショップやクッキングで美味しさを満喫!

[桜やよい] 2018年12月27日 18:00

三重テラスで12月にイベントが沢山ありました。2日(日)きのこショコラワークショップ、8日(土)てこね寿司料理教室、20日(土)フルーつタルトづくり体験をご紹介します。

2日(日)きのこショコラワークショップ 2,000円

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三重大学 大学院 医学系研究科 免疫学 リサーチアソシエイト 研究開発室 室長 きのこアドバイザー 医学博士・農学博士 原田栄津子先生からきのこの栄養やチョコレートの知識の講義を受けました。

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アッと驚く、きのこだし汁が入っているホットショコラと入っていないホットショコラの飲み比べをしました。なんと、きのこだし汁入りホットシャコラの方がコクがあって断然美味しかったです。

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いよいよきのこショコラ作り、先生は三重県津市「お菓子教室シュクレ」パティシエ 稲垣幸代先生が教えてくださいました。きのこアドバイザー原田栄津子先生と一緒に、きのこショコラの美味しさを追求しての今日のレシピだったようです。美味しさの秘訣は乾燥きのこを蒸してだし汁を作った所にあると力を込めて秘訣を教えてくださいました。しかもきのこは津市の農家さんが丹精込めて育てていらっしゃる大ぶりのきのこでした。

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きのこショコラ・きのこ味のマカロン、きのこのお菓子をコーヒーと一緒に初めて戴きました。きのこの風味が口の中に広がって、とても美味しかったです。今日のワークショップでは、きのこがお菓子とこんなにマッチングすると思っていませんでした。きのこショコラの魅惑にすっかりはまってしまいました。これからきのこファンになって、いろいろなものにきのこ汁をマッチングさせる楽しみができました。

 

8日(土)てこね寿司料理教室 500円

伊勢志摩 志摩たび 旅館の大将手ほどき

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「ぢがみ旅館」志摩市大王町船越1093☎0599-72-2201の大将が素晴らしい包丁さばきで生きている伊勢エビを料理をこんなまじかに見る経験は初めてでした。

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あっという間に綺麗に飾り盛りされました。美しいですね!てこね寿司作り参加者は特別にこの伊勢海老を1切試食させていただきました。肝も甘くておいしかったです。お土産に伊勢海老の殻をいただいて帰り、家で汁の中に入れて普段は高くてなかなか口に入れられない伊勢海老の味を堪能しました。幸せな一日でした。

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志摩の海女さんから「てこね寿司」を教えていただきました。手でこねるので、この名前が付けられたそうです。

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今日の魚はかつおです。魚は鯛等、志摩で捕れた魚を家庭で料理して、てこね寿司を作るそうです。てこね寿司の上に大葉、生姜をトッピングすると彩りがよいとのことです。

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今日は海女さんの計らいで、寿司飯の上にトッピングするのでなく、寿司飯に混ぜるやり方です。かつおをたっぷり召し上がっていただきたいという思いから、こんなに沢山のかつおになりました。嬉しい限りです。

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てこねとは、捏ねるというよりも酢飯の上にかつおを挟んでいくということでした。ご飯粒を立てたままかつおをまんべんなくはさんでいく作業にコツがあります。さすが、海女さんの手つきは素晴らしく2升のてこね寿司を普段から作っていらっしゃる手際の良さに感心しました。

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1桶で10人分作れました。かつおの量が等分になるように慎重にお弁当箱に分けていただきました。

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圧巻です。てこね寿司の完成。後はいただくだけとなりました。本当に美味しかったです。寿司酢の分量は各家庭で違うそうですが、今日の海女さんは甘めで作っているそうです。海女さんのてこね寿司は漁港で土・日限定で売っていらっしゃるそうです。本当に美味しかったです。かつおのてこね寿司も初めて戴きました。

「伊勢志摩の海女小屋体験施設 さとうみ庵 志摩市志摩町越賀2279☎0599-85-1212でお待ちしています」とのパンフレットを戴きました。新鮮な魚介類を海女小屋で調理してくださるそうです。皆様ぜひいらしてください。海女さん方の笑顔がとても美しかったです。

海女さんは伊勢志摩が日本全国一番に多いそうですが、なり手がいず、10年間一人も増えていないそうです。最少年齢40歳から現役80歳までの方が10月から3月まで海に潜って漁をしていらっしゃるとのことです。海女さん募集中だそうです。興味のある方は是非志摩の海女小屋をお尋ねください。

 

20日(土)フルー"つ"タルトづくり

毎月楽しみにしている「"つ"ディ」です。津市のフルーツはイチゴ、キウィ、みかん、ブルーベリーなど旬の果物を盛りつけてのフルー"つ"タルトづくりです‼

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採れたて&できたて直送!旬のフルーツ大販売会

食べて納得津のあま~い試食コーナー津市産のイチゴ食べ比べ高野尾ヨモギ会のてづくりよもぎ餅いのさん農園の濃くておいしいブルーベリードリンク

フレットのフルーツタルトの見本

第59回つデイ 三重県津市産のフルーツたっぷり フルー"つ"タルトづくり体験

開催時間:12月20・21日13:00~18:00 1組 1,000円

大粒ブルーベリージャムを練り込んだ手作りタルト生地に、あま~いイチゴやキウイをいっぱい乗せて・・・三重県津市産のフルーツたっぷりタルトをつくりませんか?

開催期間中は、津市の特産物の試食販売もあります。

<講師>稲垣幸代先生(三重県津市「お菓子教室シュクレ」パティシエ)

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生産者さんのブースもあり、試食コーナーや販売をしていらっしゃいました。沢山のお客様で大盛況でした。「(有)こうちく男爵」イチゴ(かおり野ー津市ブランド)・イチゴ紅茶ー安心・安全にとことんこだわる三重県下最大級のいちご農園です。イチゴをふんだんに使ったロールケーキや飲むビネガーも人気です。津市高野尾町2275-3☎059-230-2833「前川果実園」キウイ・みかん・柿ー手作り栽培にこだわり続けて、創業85年。アッ!と驚くおいしい果実をみなさまへお届けします。「三重の安心食材」の認定を受けた果実をご賞味ください。津市高尾野町4971☎059-230-0026「いのさん農園」ブルーベリージャム-ブルーベリーの味を伝えるための自信作!甘さを出すために甘麹を使用しています。イチゴを使った商品も販売中津市白山町佐田2745-1☎059-264-0550「のりたけ農園」梨ドラ(ドライ梨)ー津市久居産梨の旨味をギュ~っと凝縮!無添加・ノンシュガーの4代目が惚れた色鮮やかに仕上げたセミドライフルーツです。今までにないしっとり食感をお楽しみください。津市高茶屋小森町1820☎1820☎050-234-3253「宝樹園 菅尾製茶工場」なぁなぁお茶って体にええんやて!美しい自然の環境に恵まれ連なる山々のふもと、空気と水のおいしい津市美杉のお茶 摘む手にまごころめました。ふくよかな香とまろやかな味をお楽しみください。津市美杉町竹原1684☎059-272-0201

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お正月飾りのしめ縄リースづくり体験500円とタルトコーナー

きのこショコラ作りの先生と同じ、三重県津市「お菓子教室シュクレ」パティシエ 稲垣幸代先生が教えてくださいました。

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ブルーベリー入りの生地は3日前から稲垣幸代先生が東京にいらして焼いてくださったそうです。

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手順を説明してくださった後、いよいよ作り始めました。果物を切って、飾り付けです。果物を面に対して斜めに立ててタルト生地の上に置くと、美味しそうに見えるとコツを教えていただきました。

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カスタードリームを糊代わりに外側の2cmを残して弧を描いて渦巻き状にチューブを押し出していきます。

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さあ、いよいよ飾り付けです。どう飾っていくか、イメージは切る時のことも考えて6等分を目指しました。

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イチゴをメインにしました。次はキウイ・柿・みかんの順に切って並べていく楽しい作業に夢中でした。

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ホールから出ないようにフルーツを並べていくことと、円中心に高く積み上げていくと後でメリークリスマスピックを刺したりするときにカッコよく見えるそうです。

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美味しいフルーツをふんだんに使ったタルト‼ お店で売っているタルトより美味しかったと、自分で作った喜びを噛みしめながらいただきました。イチゴ紅茶もフルーティな香りがしてケーキにとてもマッチしていました。

皆様も是非、三重テラスで美味しいワークショップやクッキングを楽しんでいただきたいと思います。2019年もたくさんの企画を考えていらっしゃるようです。楽しみに待っていただきたいとのことでした!

(津市役所農林水産部政策課・志摩市の関係者から取材の許可をとって記載させていただいております)




 

 

三重テラスでつディ企画、三重県津市産のフルーツたっぷりイチゴ、キウイ、みかん等を盛りつけてフルーツタルトを作りませんか‼

[桜やよい] 2018年11月19日 09:00

三重テラスつディ企画「フルーつタルトづくり体験」三重県津市産のフルーツたっぷりイチゴ、キウイ、みかん等三重県津市産の旬の果物を盛りつけてフルーツタルトを作りませんか平成30年度12月7日(金)まで募集中です。奮ってご参加ください‼

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つディは毎月開催されています。第58回「おやつカンパニー&おやつタウンプレゼンツ ベビースターおいしさ、世界ヘビー級‼」11月28日(水)~29日(木)も開催されます。是非、三重テラスへの来店をお待ちしています。

津市の見どころ観光スポットをご紹介させていただきます。

津市は三重県の中央部に位置し、伊勢湾から奈良県境までの約711平方キロメートルの広大な市域を有し、気候は温暖で豊かな自然にあふれています。中部・近畿両圏の結節点として交通アクセスにも恵まれ、さらに津市と中部国際空港を約45分で結ぶ高速船のターミナル「津なぎさまち」もあり、海外へのアクセスも良好です。

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津城は《続日本100名城選定》平成29年4月6日(しろの日)公益財団法人日本城郭協会により選定。天正8年(1580)、織田信長の弟の織田信包(のぶかね)により築かれた平城。慶長13年(1608)に入府した藤堂高虎により城と城下町が一体的に整備され、津は伊勢街道の宿場町としても大いに賑わっていました。

国宝田本山専修寺(せんじゅじ)平成29年11月28日三重県初めての国宝建造物に指定! 高田本山専修寺を中心に発展した一身田町には、寺内町の歴史的なまちなみが今も数多く残っています。その中心にある専修寺の御影堂と如来堂はいずれも高さが25メートルを超える国内屈指の規模を誇る木造建築で、数多くの伽藍(がらん)が立ち並び、御影堂(みえいどう)は木造建築物として5番目の大きさを誇ります。国宝の西方指南などの法宝物も所蔵。真宗高田派宗務院☎059-232-4171

榊原温泉ーお伊勢さん湯ごりの地

榊原温泉は千五百年以上前からお湯が湧き、清少納言の枕草子に「ななくりの湯」と詠われた日本三大名泉のひとつです。伊勢神宮にお参りする前に心身を清める「湯ごおりの地」としていにしえから多くの人々に親しまれてきました。

多気北畠氏城館(たげきたばたけしじょうかん)続日本100名城選定》平成29年4月6日(しろの日)公益財団法人日本城郭協会により選定。築城者、年代ともに不明だが南北朝時代、南朝方の重臣北畠親房の三男で伊勢国司に任じられた顕能が築いたという説がある。広大な舘跡に現存する池泉回遊式の優雅な庭園が北畠氏の文化の香りを今に伝える。

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つのええもん・うまいもん見ぃつけた!グルメ・お土産

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津市東京事務所長 中井征喜様の津市のお勧めとして、「グルメならウナギ、津ぎょうざ、天むすです。天むすは名古屋名物となっていますが、津市が発祥です。施設としてはサオリーナ。昨年完成した大型の産業・スポーツ施設でサオリーナの由来は「吉田沙保里」さん。彼女は津市出身です」とおっしゃっていました

三重テラスで三重県に津市があることを知りました。津市の魅力をもっともっとお伝えし続けたいと思っています。まずは、三重テラスまで足を運んでいただいて津市の魅力を十分知ってから、是非、津市に足をのばしてみてはいかがでしょうか‼

(津市東京事務所長 中井征喜様の御了解を得てホームページからも引用して記載しております)

 

 

ユザワヤ銀座店でステキな作品を作って、大事な人にプレゼントしよう!

[桜やよい] 2018年10月31日 14:00

中央区にもユザワヤができてほしいと願っていたところ、昨年銀座4丁目の日産ビルの隣、銀座コアの6階に待望のオシャレなユザワヤ銀座店が開店したことを嬉しく思っていましたので、ご紹介いたします。

ユザワヤは、創業63年を迎える日本最大級の手芸用品、生地、ホビー材料などの大型専門店です。店頭には最大約20,000種の生地をはじめ、5,000色以上の毛糸など、世界中のあらゆる手作り手芸用品とホビー材料を揃えているばかりか、インターネット通販も行っており、ビーズや生地を中心とした手芸用品に加え、季節の商品やミシン、クラフト用品まで幅広く取り揃えています。

営業時間:10:00~20:00

〒104-0061 東京都中央区銀座5丁目8番20号  TEL.03-3573-4141

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エスカレターで各フロアーの店舗を楽しみながら、6Fに着きました。この階はユザワヤオンリーのフロアーです。

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A.B.C.D.Eまでの1から5までの区分に整理されていて、とってもわかりやすく工夫されています。広い空間にディスプレーされていますので、心もウキウキしてきます。

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和洋裁・服飾材料・ミシン・毛糸

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手芸材料・工芸材料

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紳士服生地・婦人服生地イージーコーナー

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アートリウム・ハーバ"リウム材料

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リボン類も豊富で選ぶのが大変です。

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服に合わせたセンスの良いボタンを選ぶのも嬉しいです。

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作品がショーウィンドーにディスプレーされていますので見るだけでも楽しいのですが、こんな素敵な作品を作ってみたいという気持ちも湧いてくるような素敵な空間が演出されています。

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ステキな柄のバスケットも売っています。買うのにどの色や柄、形にしょうかと迷ってしまいました。

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A2コーナーが人気のワークショップです。10月のワークショップのご案内の掲示とホームページhttps://workshoo.yuzawaya.co.jp/からも予約することができます。

開催時間・材料費を必ずご確認ください。材料費のみで参加でき、無料講習というのが嬉しいですね。しかも道具も貸してくださいますので、手ぶらで行けることも魅力です。

定員内でしたら、その場でも予約できます。初心者にも丁寧に教えてくださるワークショップです。

☆印の講習はお子様も参加できるそうです。

問い合わせ☎03-3573-4141 担当:岩井・鈴木

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ハワイアンキルトー第2:金曜日✾第3:日曜日

午前の部:11時~13時30分 午後の部:14時30分 夜間の部ー金曜日のみ:18時~20時

※都合により、日時等変更する場合がある。http://s.amebio:jp/midoritottemosuki/アメブロにて講習会の様子がご覧いただけます。

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つまみ細工とクルーデコーダブルグルー・スワロースキーでステキなアクセサリーを日本グルーデコ協会の認定講師が教えていただけるそうです。

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パッチワークとタティングレース、ビーズアクセサリー作りや直し方方法・簡単な初心者キットの作り方まで、使用する材料費のみでユザワヤ芸術学院の島田先生がわかりやすくアドバイスしてくださるそうです。

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羊毛フェルト小寺先生と刺繍、ビーズステッチ星崎先生等

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織り機で作るスワロースキー・クリスタルのリバーシブルペンダント「カナリア」スワロースキー認定ビーズ・インストラクターの佐古孝子先生からビーズ織りでペンダントを作るそうです。初級レベルの難易度ですので、初心者の方も気軽に参加できることが安心ですね(9月講習会)

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