[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月13日 17:16
ふとしたところに過去の面影が残っていたり、歴史を伝えていたりしているところがある。
中央区を歩きながら見つけたこれらをシリーズで紹介していきたい。それらは決して表舞台には登場しない知られざる足跡かもしれない。しかし、歴然と歴史を語っているのだった。
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第1回は「霊岸島」。現在の新川であるが、江戸からの歴史ある旧町名がなくなったのが昭和46年(1971)、住居表示制度改正のときであった。
ところが今もしっかり存在しているのだ。「霊岸島交差点」(写真:2009年5月撮影)にその名を刻んでいる。亀島川の新亀島橋を東へ向かったすぐの交差点である。
霊岸島の歴史は、江戸初期に八丁堀先の東方海上を埋め立て、雄誉霊巌上人が霊巌寺を建立したことにはじまる。霊岸橋もこれに由来するといわれ、「こんにゃく島」との里俗名もあった。明暦の大火後、霊巌寺は深川に移転するが、霊岸島の地名は、霊岸島はもとより、霊岸島塩町、霊岸島四日市町などとして継がれ、酒問屋・酒蔵が集積し、初物好きの江戸っ子連に新酒 を扱っていた。関東大震災後は区画整理で一帯が旧霊岸島の町名となり、旧越前堀・旧新川とともに親しまれた地域であった。
中央区内の交差点名称で旧地名が残っているのは珍しい。交差点名やバス停には懐かしい橋名などがつけられた場合が意外にある。
次回は、
中央区内で、今はもう存在しない橋の名を伝える交差点を取り上げてみたい。
[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月12日 10:45
東京駅の目の前、丸の内の東京中央郵便局は建て替え中であるが、先ごろ、一躍有名になったのは耳新しい。「昭和初期の歴史的建造物だから文化財指定に」、との声から、解体途中ながら、どこまで残すかが話題になった。結局のところ、必要な部分を残すことになった。近年はやりの部分保存ということだろう。解体工事現場の現状を丸ビルの上階から眺めることができる。だいぶ進んでいる様子がわかる。
ところで、この東京中央郵便局は今、どこに移転したのだろうか。
そう、ご存知の方も多いと思うが、同じ東京駅前だが丸の内の反対側、八重洲口前で営業中である。千代田区から中央区に一時移転してきたのだった。
そういえば、わが国の郵便制度発祥の地は
中央区。明治4年(1871)、近代郵便制度が発足し、郵政事業を統括する中央機関として駅逓司(えきていし)が設けられ、取扱機関として郵便役所が東京・大阪・京都に設置された。江戸橋南側の日本橋郵便局の場所には、かつての駅逓司と東京郵便役所が置かれた。
[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月 7日 11:51
ご存知のとおり、中央区には江戸期3伝馬町がありました。大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町です。
(以下記述の詳細は後述の報告書をお読みのうえ、ご自身でご確認ください。ここでは必要骨子だけ載せます)
御曲輪内(江戸城域内)に起立したのち、宝田村(呉服橋辺)が大伝馬町と南伝馬町に、千代田村(常盤橋辺)が小伝馬町になったそうです。
続きを読む: ◆大伝馬町 馬込勘解由の調査報告書が面白い
[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月 1日 09:30
区報「区のおしらせ」(3/15号)で募集した、2009春「中央区の歴史散歩」第1回が4月18日(土)10時から人形町コースで開催され、30名が参加しました。
続きを読む: 2009春「中央区の歴史散歩」(第1回)~人形町をゆく
[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月 1日 09:30
区報「区のおしらせ」(3/15号)で募集した、2009春「中央区の歴史散歩」第2回は4月26日(日)10時から築地・明石町コースで開催され、39名が参加しました。
続きを読む: 2009春「中央区の歴史散歩」(第2回)~築地・明石町
[巻渕彰/写楽さい]
2009年5月 1日 09:30
4月29日(水)は昭和の日。さわやかな春の陽光のもと、銀座みゆき通りはチューリップの花びらで敷き詰められました。
続きを読む: 「銀座みゆき通りフラワーカーペット2009」見ました。