[下町トム]
2011年5月31日 09:00
中央区の横山町、馬喰町界隈といえば、言わずと知れた東京の問屋街です。
今も日中に訪ねると、あちこちの店から活気が流れ、「商いの町」という実感がします。
都営新宿線の〔馬喰横山〕駅から外へ出るとすぐにそこが、横山町の問屋どおりの入口です。
〔馬喰町〕という名はJR総武快速線の駅名にも採用されていますが、歴史の本によると、徳川家康が江戸入府の際に馬方(博労)をこのあたりに配置したのが発祥とか。
また〔横山町〕は江戸時代にこのあたりに知行地を持っていた御家人の横山氏の名から来ているとのことです。
主に現金卸売りの店が中心ですが、最近は一般客に小売してくれる店も多くなったので、ぶらぶら歩きながら、雰囲気を味わうのも楽しいものです。
ただ、あくまでも商売人の町ですから、
お店の邪魔にならないように様子を見ながら出入りするのも客のマナーではないかと思います。
ちょっとしたタオルやふきんをまとめ買いしてみたり、外出用の上着を安く手に入れたり、思い思いに楽しむことができます。
できれば平日の昼下がりにのんびりと散策するのをおすすめします。
[下町トム]
2011年5月24日 08:30
〔晴海〕は今また新たに発展しつつある地域です。
この画像は豊海方面から晴海を望んだところですが、〔晴海トリトンスクエア〕の高層ビル群がよく見えます。これ以外にも、高層マンションなどが新しく増えつつあります。
晴海埠頭へ延びる広い道路は、街路樹が海への憧憬を表現しているかのようです。この奥にはかつて〝国際見本市会場〟があり、時代の最先端を表す実験空間として全国から注目されていたものです。
そもそも、晴海地区では、戦前「国際博覧会」(万国博)の開催が計画されていました。具体的なプランも完成し、一部チケットも売り出されたそうです。さらには、東京市役所(当時)の新庁舎建設計画もあったとのことです。
1940(昭和15)年に予定されていた万博開催計画は、結局戦火が近づく中、中止となりました。
万博会場のメインゲートあたりだったと思われる〔晴海三丁目交差点〕に立って、当時のことを想像してみます。おそらく今〔晴海大橋〕に続く道路のあたりに、中心的なパビリオンが建設予定だったはずです。もし博覧会が開催されていたら、この町はどのように発展したのでしょうか。
〝万博〟は夢に終わりましたが、その時に移動経路として計画された〔勝鬨橋〕は完成し、中央区の名物風景の一つとして親しまれています。中央区がこれからも時代の夢を語る土地であってほしいと願うばかりです。
[下町トム]
2011年5月11日 23:59
月島駅1番出口を出て晴海運河のほうに少し歩くと、晴海運河の堤防脇に〔海水館〕の記念碑が建っています。
説明版によると、1896(明治29)年に、新佃島が造成された後、明治末から大正にかけてこのあたりに〔海水館〕が建っており、風光明媚なビュースポットとして多くの文人墨客に愛されたということです。島崎藤村や小山内薫、竹久夢路などの有名な文化人も訪れたり創作活動をしたようです。
[下町トム]
2011年5月11日 09:00
中央区では毎年今頃に、各地区で「児童館まつり」が開催されています。
中央区の広報紙『区のお知らせ』5月1日号にも紹介されていますので、目を通してみて下さい。
区のお知らせ5月1日号第3面
第1弾となった〝京橋地域〟では、5月8日(日)に〔あかつき公園〕で開催されました。
この日は暑いくらいの好天に恵まれ、600人を超える子どもたちが来場して盛り上がりました。
同行する保護者やご近所の皆さんもにこやかにこの様子を眺めたり一緒に参加したりしていらっしゃいました。
会場では、「なわとび選手権」や「おもしろ玉いれ」「のこったのこった」(すもう)などのコーナーが設けられ、参加カードを抱えた子どもたちがそれぞれを回りながら楽しんでいました。小学生から乳幼児まで、多くの世代が同じ場所で元気に遊ぶ姿はほほえましいものです。
クラウン・コメディーショー〟では、愉快なパフォーマンスを囲んで、笑いの渦が広がっていました。
この後、5月15日(日)には、〝月島地域〟〔月島第一児童公園〕で、また5月22日(日)には、〝日本橋地域〟〔浜町公園〕で、それぞれ同様に「児童館まつり」が催されます。
地域の方々の交流の場としても、是非一度覗いてみて下さい。
未来の中央区を支える〝小さな区民〟に声をかけてみていただけたら嬉しく思います。
[下町トム]
2011年5月 7日 08:30
中央区にある名物劇場の一つ、〔明治座〕で今月3日から『花形歌舞伎』が上演されています。
〔明治座〕で歌舞伎が上演されるのは何と16年ぶりのことだそうです。随分久しぶりなんだなぁと改めて思いますが、建替え中の〔歌舞伎座〕や〔新橋演舞場〕とはまた趣の異なる同劇場で歌舞伎を楽しむのもまた味わい深いと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、〔明治座〕は、1873(明治6)年に〔喜昇座〕として開場し、〔久松座〕〔千歳座〕と改称・改築を重ねながら、〔明治座〕となってからも戦災や火事で建替えを余儀なくされました。
現在の地に新築オープンしたのは1993(平成5)年です。浜町公園に続く緑道にも映える立派な建物です。
逆に人形町方面へ歩くと、途中に〝弁慶の像〟があります。ご存知「勧進帳」の有名なシーンですね。このあたりが歌舞伎をはじめとする演芸で賑わってきた歴史の証です。
芝居の帰りには散策を楽しんだりおいしいものをいただいたり、この界隈の奥深さを堪能してみて下さい。