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〝年越しそば〟はお好みのスタイルで・・・(^-^)

[下町トム] 2011年12月29日 08:30

いよいよ今年もあとわずか。一年を振り返る時季になりました。

新年を迎える忙しい準備もひと段落して、大晦日の暮れゆく空を眺めながら一息つく時間帯がぼくは好きです。

そして大晦日の楽しみは何と言っても〝年越し蕎麦〟です。

そもそも蕎麦が大好きで、しばらく口にしないと無性に恋しくなるのですが、大晦日の蕎麦はまた別の醍醐味を得ることができます。一年の反省をじんわりと胸に刻む気持ちと、新たな年が近づくのをわくわくしながら待つ高揚感とがない交ぜになって、独特の味わいになるのです。scissors

 

室町そば2_R.JPG

それぞれの家庭で蕎麦を楽しむのももちろんいいのですが、お気に入りの店で確かな味に触れるのもいいものです。


中央区内には蕎麦の名店がたくさんありますが、今回は日本橋室町4丁目~日本橋本石町4丁目あたりの蕎麦屋さんを訪ねてみましょう。

note 

室町そば3_R.JPG室町そば4_R.JPG「新日本橋駅」から「神田駅」に向かう途中の通りには

蕎麦屋さんやラーメン屋さんがたくさんあって、麺好きには楽しい地区です。老舗からチェーン店、ファンの多い個性的な店などが軒を並べています。


なかでも代表的なのは、『室町砂場』本店。砂場系のお店の中でも人気の高い老舗です。ぼくも日本橋散策の折などたまに訪れます。店内はけっこう広いのですが、いつも多くのお客で賑わっています。


室町砂場_R.JPGここで念のため江戸の蕎麦の歴史を確認してみましょう。もともと蕎麦は〝蕎麦掻き〟のようにして食べていたものらしいですが、戦国末期くらいから〝そば切り〟が普及し始めたとのことです。江戸の町には17世紀末くらいから〝蕎麦屋〟ができ始めたといいます。そしてあっという間に江戸の各町内に広がったようです。


ちなみに『砂場』という屋号は、もともと大坂城築城の折に建築用の砂が置かれていた場所の近くに旨い蕎麦屋がありいつしか『砂場』と呼ばれるようになったのが発端だと言われています。その後、『砂場』は江戸に進出し、その流れから『藪蕎麦』も生まれました。また、信州を発祥とする蕎麦屋の流れもあって、こちらは現在の『更科』系につながっているということです。delicious 

ついでに言うと、『砂場』発祥の地である大阪には現在『砂場』源流は残っておらず、『更科』という店がけっこう多いというのも不思議なものです。

 

室町砂場そば.jpg江戸落語には蕎麦がよく登場します。亡くなった先代の桂文治師が生前におっしゃっていたことを想いだします。「江戸っ子てぇのは、蕎麦を食う、なんていわないもんです。蕎麦はするっとのどごしを楽しむものですから、〝たぐる〟というのが本当なんです。蕎麦屋で口をもぐもぐさせて食後に楊枝を使っているなんてのは野暮だっていわれたもんです」japanesetea  

 

まあ好きに食べればいいわけですが、ぼくとしては似合いもせぬのに粋ぶって、旨い〝年越し蕎麦〟をたぐってみるのを今から楽しみにしています。

皆様もどうぞそれぞれに大晦日の食のイベントをお楽しみ下さい。そしてどうぞ良いお年をお迎え下さい。来年もどうぞよろしくお願いします。bell 

 

 

中央区鉄道ものがたり <その2> 「都営鉄道百周年」

[下町トム] 2011年12月21日 08:30

前回から中央区の鉄道のエピソードを御紹介するシリーズを始めました。鉄道ファンならずとも、日本の発展をインフラとして支えてきた鉄道の魅力に少しでも触れていきたいと思います。


戦前数寄屋橋絵葉書.jpg前回ご紹介した「鉄道馬車」は線路の保守困難性や馬の糞尿対策の課題もあり、路面電車に置き換えることになりました。1903(明治36)年に新橋ー品川と数寄屋橋ー神田橋のそれぞれで路面電車が走り始めました。現在の中央区にも電車がやってきたのです。 


その後並立する資本の合併を経て、1911(明治44)年に東京市が買収して〝公営鉄道〟として再スタートしました。今の都営交通はこの年を発足としています。つまり、今年で開業百周年になるわけです。関東大震災や戦争の被害も乗り越えながら、長い間、市民・都民の足として愛されてきました。 数寄屋橋交差点_R.JPG



しかし高度経済成長期のモータリゼーションの波の中で〝都電〟は次々と廃止され、最後まで中央区内にも残っていた日本橋-永代橋間も1972(昭和47)年11月に姿を消しました。多くの路線は都営バスや地下鉄に継承されています。


19代日本橋絵葉書.jpg古い絵葉書に残る写真を眺めてみると、電車が町の風景に溶け込んで、生活の一部になっていることがうかがわれます。きっと当時の人たちにとって、親しみやすい存在だったのでしょう。

近くに住まわれる年配の方から、「都電に乗って高校に通った」とか「乗換の電停でよく誰かに会った」とかいう話を聞かせてもらいました。 人々の思い出にしっかり刻まれているのですね。


日本橋たもと_R.JPG



しかし、もしかしたら中央区にも〝路面電車〟が復活するかもしれません。中央区が今年度に調査を開始した次世代型路面電車(LRT)の計画が注目されています。将来、銀座-晴海間に敷設される可能性が出てきました。もし実現すれば1971(昭和43)年に銀座から〝都電〟が消えて以来の復活になります。


パリのトラム.jpg

既にヨーロッパなどでは多くの大都市で路面電車が活躍しています。主に〝トラム〟と呼ばれています。低騒音・省エネ・環境保護の面でも期待が高まっています。

今夏訪れたフランスのパリでも、かっこいい電車が行き来し、街に定着していました。2006年になんと69年ぶりに復活した路面電車なのです。


 

都営交通百周年の記念年にあたり、路面電車にまつわる歴史と展望に触れてみました。地域の皆さんが気軽に利用できる公共交通の発展に期待しましょう。

 

※写真左上 「戦前の数寄屋橋交差点」(市販絵葉書から引用)

※写真左中 筆者撮影「現在の数寄屋橋交差点」

※写真右上 「日本橋付近の図」(市販絵葉書から引用)

※写真右中 筆者撮影「現在の日本橋たもと」

※写真左下 知人撮影「パリの路面電車(トラム)」

 

 

 

 

中央区鉄道ものがたり <その1> 「鉄道馬車」

[下町トム] 2011年12月12日 08:00

日本の鉄道の始まりといえば、仮営業の期間を経て、1872(明治5)年秋に新橋(汐留)-横浜間で官営鉄道としてスタートしたことは多くの方の知るところです。新暦に直した開業日の10月14日は「鉄道記念日」として今に名を残しています。始発駅であった旧・新橋駅は現在、汐留新開発地区の一角に再現されています。

 

さて、わが中央区も鉄道の歴史に大きく関わっています。そもそも官営鉄道の旧・新橋駅はそのまま当時の築地の外国人居留地につながる立地であることから、多くの外国人が利用するのに便利であったと伝えられています。このシリーズでは、中央区の鉄道に関する四方山話を何回かに分けてご紹介したいと思います。どうぞお付き合い下さい。

 

東京名所内銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図.jpgまず第1回は「鉄道馬車」を取り上げます。

 前述の官営鉄道に接続する形で、1882(明治15)年に新橋(汐留)から銀座・京橋を経て日本橋まで〔東京馬車鉄道〕が開業しました。当時の様子が浮世絵になって残っています。なかでも3代目歌川広重が描いた「銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」には当時の文明開化の雰囲気が現れているようです。場所は当時の尾張町二丁目あたりといいますから、現在の銀座6丁目付近でしょうか。銀座通りを馬車鉄道が走る姿はどんなものだったのでしょう。

鉄道馬車切手.jpg

この〔東京馬車鉄道〕は民間資本で開設されたため、日本の私鉄第1号という見方もあります。いずれにしても新しい交通の形が中央区を中心とした地域で実現されたことは記念すべきことだと思います。


ほかには、歌川芳邨が描いた「東京鉄道馬車図」が郵便切手になっています。


ちなみに馬車鉄道の軌道幅は1,372mmでした。この軌間は後に路面電車にもそのまま採用されたため、現在の都電荒川線も同じ軌道幅です。国際的に一般的な軌間は1,435mmであり、日本では新幹線や一部の私鉄が採用しています。(JR在来線は狭軌1,067ミリメートル)

珍しい例では、もと路面電車としてスタートした京王電鉄が1,372mmであるため、相互直通している都営新宿線が同じ軌間です。したがって中央区内ではこれらの全ての種類の軌道幅を見ることができます。鉄道ファンにとってはなかなか興味深い話なのですが、今日のところはこのあたりにしておきます。

銀座4丁目を望む_R.JPG 

明治の和魂洋才の気風の中を颯爽と走った「鉄道馬車」はその後全国に波及しますが、やがて蒸気機関車や電車に置き換わっていき、非定期の営業を含めても昭和30年頃までには全てなくなったそうです。今となっては歴史の中にうずもれそうな記憶ですが、交通史の1ページとして大切に残しておきたいと思います。

 

※写真上 「銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」引用

※写真中 「日本郵便切手」(国際文通週間1971年)引用

※写真下 筆者撮影・・・ このあたりを「鉄道馬車」が走ったのでしょうか。

 

 
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