[下町トム]
2012年3月30日 08:30
中央区の鉄道に関わるエピソードをお伝えしているこのシリーズ、今回を入れてあと2回の予定です。最後までご覧いただけたら幸いです。
今回はちょっとした〝番外編〟です。というのも本物の鉄道の話ではないのです。今回の主役は〝鉄道模型〟。好きな人にはたまらないちょっと高価な大人のコレクションだと言えるでしょう。
ぼくも中学生の頃、HOゲージのレールを居間に敷き並べて列車を走らせるのが楽しみでした。当時でもなかなか子どもには手の出ない値段だったと憶えています。ちなみにHOゲージとは「軌間16.5mm」のサイズのことであり、車両は一般に縮尺1/87とされています。20世紀前半には鉄道模型の主流として世界に定着しました。
今やさらに小さなサイズで値段も手ごろなNゲージ(軌間9mm)が普及していますが、やはり質感といい、迫力といい、HOゲージの魅力は色あせません。
HOゲージのレールの上を列車が走る様はなかなかに勇ましいものです。
そんな憧れの鉄道模型のメッカともいうべき店が中央区銀座にあります。
ご存知〔天賞堂〕さんです。
もともと印房店としてスタートし、戦後、昭和24年から鉄道模型の製造販売に着手されたそうです。きっかけは当時の社長の趣味だったとか・・・。
天賞堂の鉄道模型は品質が優れているため、当初は海外からのほうが注目度が高かったといいます。実際、細かいところまでよくできており、ぼくも子どもの頃、天賞堂製の模型が欲しくてたまらなかったのです。ようやく手にしたのは〝EF65系電気機関車〟でした。そのときの感動やいかに。
今も天賞堂のビルに入ると愛好家たちがひっきりなしに訪れます。人気なのは国鉄カラーの特急電車や気動車、寝台車など、さまざまです。人それぞれに好みがあって、店内でも鉄道談義がやみません。
もう一つの見ておきたいのは、ビルの端にまといつくように立っている愛らしい天使像です。1997年のリニューアル時にシンボルとして設置されたとのこと。未だに少年の夢を追い続ける鉄道模型ファンの気持ちをうかがうようにも見えます。
中央区のまたまた一つの名所として、「鉄道模型の殿堂」を紹介させていただきました。
続きを読む: 中央区鉄道ものがたり <その8> 「憧れの鉄道模型」
[下町トム]
2012年3月29日 08:30
昨年の東北大震災の生々しい記憶は簡単に消えそうもありませんが、現地では少しずつ着実に復興に向けて前進していると聞いています。当方の方々の粘り強さと人間性に感心するばかりです。
ぼくは募金くらいしか参画できていないので気恥ずかしいところですが、せめて東北の温泉に旅行に出かけたり、東北産の農産物を購入したりして経済復興に少しでも貢献できたらと考えています。
そんななか、築地場外の〔築地スマイル広場〕では、毎週土曜日に「緑のマルシェ」が開催されています。東北の農産物などを屋台に並べて新鮮な味覚を提供してくれます。
この企画は「NPO築地食のまちづくり協議会」が主催し、今年の5月26日まで毎週土曜日に開催されています。
築地に買い物の折には是非立ち寄ってみて下さい。
通常は朝8時から始まります。(31日は9時から)
先週の土曜日24日はあいにくの雨でしたが、屋台からは元気な呼び込みの声が広がっていました。皆さん本当に明るくてたくましい。見て歩きながら言葉を交わすのも愉しいものです。
来週31日は特別イベント「B級グルメチャンピオンがやってくる」と題して、今や国民的話題のご当地グルメ〝富士宮やきそば〟や〝厚木シロコロホルモン〟が登場します。一皿100円が復古支援に役立てられますので、「うまいものを食べて少しの貢献」を体験できます。おいしいもの好きな皆様、是非いらしてみてはいかがでしょうか。
なお、近くには常設の「緑の駅」もありますので、こちらも覗いてみて下さい。店内に横断幕が掲げられており、くじけない〝東北魂〟に触れる思いがします。
築地場外散歩の一コースとしてお役立て下さい。
続きを読む: 東北復興支援は〝食文化〟から・・・・築地「緑のマルシェ」
[下町トム]
2012年3月 9日 08:30
今回も中央区の鉄道関連のお話です。
一時「廃線ブーム」というのがありました。廃止されてしまった鉄道の軌跡を訪ねて歩くというものです。もちろん今でも人気があります。このところ、また廃止される鉄道が増えてきて、かつての姿を懐かしむ人々の郷愁を誘っています。
中央区にもそんな想い出の場所があります。
一つは以前にもご紹介したことのある〝銀座の踏切〟です。
正確には〔浜離宮前踏切跡〕としてぽっかりと時代の記憶を留めています。今は〔汐留シオサイト〕になっているところに、かつて国鉄汐留駅があり、そこから築地市場にレールが伸びていました。貨物の形態がトラック輸送に移るにつれて列車の需要が減り、とうとう1987(昭和62)年に廃止されました。
ぼくは廃止寸前の汐留駅とこの築地に伸びる線路のことをかろうじて憶えています。今思えば、物流や情報の世界が大きく変わる時代の節目だったんだなぁ、と思います。
鉄道輸送が築地市場の物流を支えていた時代は遠くなりましたが、その名残りは市場の独特の施設の構造に見られます。円弧を描くような建屋は貨物のレールに合わせて造られたものです。この姿もさていつまで見られることでしょう。
もう一つの〝記憶〟は晴海の貨物線です。
かつて、「東京都港湾局専用線」があって、越中島を起点とした線路は、深川線として豊洲に至り、晴海線として分岐していました。この線路は春海橋と並行して晴海運河を渡り、晴海埠頭の倉庫群まで伸びていました。当時の鉄橋(晴海橋梁)は錆付いたままウォーターフロントの風景の一部に溶け込んでいます。
何年か前まではまだ線路も一部残っていましたが、豊洲や晴海の再開発が進むにつれどんどん姿を消しました。かつてレールが並んでいたあたりは造成のための草地になっています。当時の姿をとどめた案内板がなぜか残っていて、かえって哀愁を誘います。
かつてぼくはこの辺りに住んだことがあって、この貨物線の脇を歩くのが好きでした。春には沿道の桜によくマッチする風景だったことを思い出します。1989(平成元)年に廃止されたときは一抹の寂しさを禁じえませんでした。今や遠い記憶になりました。
久しぶりに晴海埠頭の倉庫街を歩いてみたら、レールの痕跡を見つけました。かつてこの一帯にはセメントや小麦粉を運ぶ貨車が並んでいたんだなぁと思いをめぐらせるばかりです。
こんな東京の真ん中にも〝廃線〟の郷愁があります。時代の移り変わり、都市の変貌を反射させてきた銀色の鉄路は、今は鈍い錆色の中にじっと想い出を噛み締めているようです。
レールは消えても〝記憶〟は残ります。繁栄の歴史とともに、そこで働いた人たちや関わった人たちの思い出として、永く、懐かしく・・・。
続きを読む: 中央区鉄道ものがたり <その7> 「レールの記憶」