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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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浜離宮庭園 冬の風物詩  雪吊り(南部式) 霜よけ(オバケ) 

[ゆりかもめ] 2011年11月17日 08:30

   晴天の続く浜離宮では冬の風物詩である雪吊りが飾られました。

御庭が寂しくなる頃にアクセントを持たせてくれます。3月末頃まで目を楽しませてくれます。

この飾りは本核的な雪を支える事は出来ずあくまで飾りです。

本格的には「兼六園式雪吊り」ですがこれを小さくした物が芝離宮庭園に飾られます。

東京の雪吊りは「北部式」と「南部式」に分かれ「小石川後楽園」「六義園」は北部式で「浜離宮庭園」「日比谷公園」は南部式です。

当時の親方の手法が今も伝承されております。            

                       2011_1113  浜 雪吊り(全体) 写真0013.JPG

2011_1113 浜 雪吊り(テッペン) 写真0011.JPG

帆柱の先端はバレンと云われます。

吊り縄を編みこんだ装飾がなされています。

細めの綱を沢山 吊り込んだ装飾 豊なな雪吊りです。

2011_1113 浜雪吊り(ブチ2)写真0020.JPG 裾の部々分をブチと云いブチはバチ(竹の先端の骨組み)の先端に縄をまわしてそれに吊り縄を結んで行きます。

横に通している竹の事をカンザシと云います。

            2011_1113 浜 わらぽっち 写真0041.JPG

暖かい地方ではソテツやディゴ等、寒さに弱い植物は冬の間は藁で捲いて冬の寒さから樹木を守ります。

浜離宮の庭園にあるこの写真の中身はソテツではなく竹を地面に差してその上を藁で飾っています。ですから職人さんの間での呼び名は「オバケ・・・・」と云う事になっています。                  

                         

 

 

松島神社(大鳥神社)/大国主神  酉の市 11月14日

[ゆりかもめ] 2011年11月17日 08:30

松島神社・・・・日本橋人形町2-15-2   

 財宝無限、大願成就、霊験あらたかと云われる神社です。

お正月に三越本店を出発する「日本橋七福神めぐり」のコースにも入っています。

明暦の大火(1657年)が起る以前は周囲に芝居小屋が多くあった為に人形細工の職人、呉服商人、歌舞伎役者,芸妓の参拝が多かったようです。

11月の「酉の市」は今も盛大に行われ昔は歓楽街であったようです。

           2011_1114  松島神社 酉の市 写真0013.JPG 縁起物として鷲が獲物を「掴む」と云うところから熊手が売られるようになり他に「頭の芋」(とうのいも)栗で作った「黄金餅」「山椒餅」が売られます。

冬に向かっての風邪の予防でもありました。

最近では「良夢」の札も売られ若い人の参拝も多いそうです。

       2011_1114 松島神社 大飾り 写真0011.JPG    熊手は年々「大きな熊手」を買う風習があります。

    一つ「参万円」との値段なら「弐万円・・・・にして」って値切れば良いそうです。

   「弐万円」で買う事が出来れば壱万円」は「御布施」として収める事を忘れずにね・・・・

   一つ、熊手が売れると「三三七拍子」の拍手が起ります。

   私も皆と一緒は拍手しました。

 ※ 昔、お祖母チャマが酉の市で買った「熊手のカンザシ」 を髪に付けていました・・・・

   と一緒に行った友人が話してくれました。 

          2011_1114 松島神社 正面 写真0009.JPG

 

 

私の見たダイアモンド富士

[ゆりかもめ] 2011年11月11日 08:30

日本の四季の変化は美しいし また面白いことが沢山あります。

太陽が西に沈む時 丁度富士山頂に乗っかるような姿になるのは中央区では何時見れるでしょう?

中央区でも北の方と南の方とでは 同じ日には見れないでしょうか。

年に2回ある筈ですが ここ勝どき からは秋は11月1日前後だと計算して待っていました。その日は西の空には雲があって駄目かと諦めかけましたが、見た目よりも雲の厚さが薄く 実際に富士山頂に懸かる頃には雲を透してまだ眩しく、光が雲に滲んで 太陽の円い輪郭は 明確ではありませんでした。 まるで富士山が噴火しているように見えました。 

富士山に沈む夕陽2011_1101写真47.JPG

 

そして、ぐんぐん噴火口に吸い込まれるかのように沈んで行きました。それに連れて周辺の雲の色や模様が刻一刻と変化して行きました。中天にある時は動きは感じませんが、山などの比較対象が近くにある時は凄いです。 約2分間で太陽の直径分沈んで行きました。 

           富士山に沈む夕陽2011_1101写真48.JPG  

やがて、夕陽が富士山の後ろにすっかり隠れてしまうと 山の近くは赤い夕焼けに そしてその上は朱色に 更に上は白く その上は淡い空色に 更に上空は まだ昼間のように白い雲を浮かべた青空が広がっていました。  浮世絵の景色の空の色付けと同じ具合です。    

          富士山に沈む夕陽2011_1101写真64.JPG  春は2月10日頃です。 下の写真は昨年2月9日に写したものです。 まだ1,2日早くて山頂より南側に沈み始めました。翌10日は雲が濃く、11日は夕方雨で撮影出来ませんでした。雲の濃さ、季節による黄砂の飛来状況などによって輪郭と色が変わります。   

                           富士山に沈む夕陽2010_0209写真08.JPG

 

 中央区は北の日本橋馬喰町神田川に掛かる左衛門橋から南の晴海埠頭まで 約5.67㌔あります。 富士山は中央区役所から 約101㌔あります。 富士山から見て 中央区の南北の隔たりは視角3度13分あります。 (角度も1度未満の単位は分・秒を使います。1度が60分、1分が60秒です)

 富士山頂の平らな部分は北は白山岳から南の駒ケ岳まで約825㍍あります。この山頂の平らな部分を中央区から見た視角は約28分07秒です。地球から太陽までの平均距離は約1億5000万㌔です。太陽の直径は約139.2万㌔です。視直径は31分59秒です。即ち山頂より太陽の直径の方が約14%大きく見えます。

そして晴海埠頭で 丁度富士山頂に太陽が乗っているように見えている時には 左衛門橋から見ると富士山頂から右側の かなり離れた所の同じ高さで輝いている事になります。 丁度富士山頂に乗っかった姿が見れるのは 中央区の中でも所によって 日にちが異なるとは思ていませんでした。

  

        富士山に夕陽が沈んだ後に月2011_1101写真72.JPG富士山に沈む夕陽を眺め その余韻に浸っている内に 地上には照明がつき夜の風情になりましたが天空はまだ明るく半月が薄く懸かっていました。

 

 

 

 

日本橋架橋百年祭パレード (その3)

[ゆりかもめ] 2011年11月 4日 08:30

 大震災からの復興を祈って東北の伝統ある踊りが続きます。   これは「浦浜念仏剣舞」です。  そういえば、中央区佃島の夏 7月には 由緒ある「念仏踊り」が 行われますネ。 

日本橋百年祭パレード写真048 浦浜念仏剣舞 .JPG

聞き慣れた歌が聞こえて来ました。 「山田町八木節」です。 ジェスチュアよろしく 一生懸命踊っています。   とてもリズミカルなので、つい一緒になって唄ってしまいました。 みんなほんとに元気でした。                

日本橋百年祭パレード写真053 山田町八木節 .JPG

 急に雰囲気が変わりました。 「相馬野馬追 騎馬武者」です。 鎧兜に身を固めた騎馬武者が中央通りを闊歩するなんて、滅多に見れるものではありません。 クラシックカーのパレードも格好よかったけど、このタイムスリップした情景は貴重な写真になりました。 故郷の皆様の環境の復興を祈ります。

         日本橋百年祭パレード写真069 相馬野馬追騎馬武者 .JPG

 「第3部架橋100周年記念パレード」 に移って地元の番です。 先ずは 伝統ある町の「高張り提灯隊」の集合です。長い竹ざおの先につけて高く掲げた町の誇りです。   「うちのは どこにあるのかな? あった! 誰が持ってんのかな? 早くこっちに来ないかなァ」 

日本橋百年祭パレード写真079 高張り提灯隊 .JPG「江戸っ子の誇りっていやァ  なんたって 神輿よ」  「日本一の神輿って知ってるかい。 ほら あれを見てごらん。 金ぴかの 神輿のテッペンの 日本一って書いてある御札を!」  「日本橋一丁目のことさ」 「好いとこに住んでるなァ!」 

日本橋百年祭パレード写真091 神輿(日本橋一丁目) .JPG

続いて「京橋 一之部」です。  神輿は重厚でありながら しかも粋なデザイン。 みんなの法被の色も粋な緑色。 キリッとした綺麗なお姐さんも一緒になって担いでます。 みんな揃って 担ぎっぷりも 威勢も好かった。 意気の合った組でした。

        日本橋百年祭パレード写真096 神輿(京橋一之部).JPG  延々と続いた見事なパレード。  とてもとても 全部は紹介しきれません。   これらを 全部見ていた「日本橋」。 そしてその上に乗っかっている首都高のガードにはられた「日本橋百年祭」の横断幕も見ていたでしょう。  これからも 次の百年 皆で大事にしよう 「日本橋」!!! 

日本橋百年祭パレード写真100 フィナーレ .JPG        

                 

 

 

日本橋架橋百年祭パレード (その2)

[ゆりかもめ] 2011年11月 3日 08:30

オープニングセレモニーの一つとして 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の皆さんが 当時の鎧兜をつけて火縄銃や幟を持って現れました。 

 川越市のメインストリートは 建替え時には 江戸時代の建築様式 を守るように規制しています。

その街並から「小江戸」と呼ばれています。

日本橋百年祭パレード写真023 小江戸川越火縄銃鉄砲隊.JPG 

次は「第1部・オープニングパレード」   地元 日本橋中学校吹奏楽部の皆さんです。 隊列も姿勢も勿論 曲の音も中学生とは思えないほど立派でした。  頼もしいですね。

         日本橋百年祭パレード写真026 日本橋中学校 .JPG

       

 続いて地元、中央区立城東小学校の皆さん、丸棒の拍子木でリズムを奏でながらやって来ました。

永代通りの信号の加減などで 隊列を揃えるために 小走りになりました。 みんな一生懸命に演奏してくれました。

         日本橋百年祭パレード写真029 区立城東小学校 .JPG  

 「第2部 東北復興パレード」 大震災からの復興を祈って 伝統的な踊りが披露されました。

先ず、「仙台すずめ踊り」  2枚の色鮮やかな扇を羽に見立てて、元気に、優雅に、可憐に踊って見せてくれました。 

日本橋百年祭パレード写真038  仙台すずめ踊り連盟  .JPG 

 「金津流鹿踊」 鹿頭を被り太鼓を打ち鳴らし 勇ましく かつ整然と演じていました。

日本橋百年祭パレード写真042 金津流鹿踊 .JPG

 

「川原鎧剣舞」 鎧に身を固め 太刀を振りかざし 勇壮に 鋭く 伝統的な演舞を舞ってくれました。     

日本橋百年祭パレード写真046 川原鎧剣舞.JPG 

             

 

 

日本橋架橋百年祭パレード ( その1)

[ゆりかもめ] 2011年11月 2日 08:30

日本各地へ広がる五街道の基点 「日本橋」 の架橋百周年を記念して10月30日に 大パレードが 中央通りで実施されました。

日本橋三越前をスタートして 京橋まで ゆっくりと 賑やかに進みました。

 

第30代中央区観光大使・ミス中央の皆さんも大活躍です。 

日本橋百年祭パレード写真006 中央区観光大使 .JPG

 

先導の白バイ隊に続いて クラシックカーのパレードです。 ここを走ったのは ほんの数台でしたが、実は数十台の歴史的著名な名車や愛車が日本銀行前に展示され数多くのマニアが集まり熱心に

見ていました。          

             日本橋百年祭パレード写真009 クラシックカー 1 .JPG

 

  クラシックカーをお持ちのマニアの方々は本当に車を愛して良く手入れしています。

 架橋百年の日本橋が経てきた長い歴史と併せて 見ている私達も感慨一入です。

 御覧下さい。  この堂々とした風格を!  

日本橋百年祭パレード写真015 クラシックカー 2 .JPG

 

東京消防庁の"CAPITAL TOKYO FIRE BIRD" の皆さんです。

全てが完璧で 整然と行われ 頼もしい限りです。       

日本橋百年祭パレード写真017 消防庁1 .JPG  

 格好いいですね。 大パレードの最初を ピシッと決めてくれました。

日本橋百年祭パレード写真018 消防庁2 .JPG         

リズムの良い楽団です。 画面では この音色とリズムを お聞かせ出来ないのが 残念です。

日本橋百年祭パレード写真020 消防庁3 .JPG          

 

 
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