[銀造]
2017年8月25日 09:00
日本橋本石町の東北は、千代田区鍛冶町に面した地域にあり、沢山の飲食店がひしめいています。今日は、本石町の界隈の地形を探索に来ました。
"Cul de sac"という店名に魅かれて、昼食に入店しました。奥の突き当りのお店です。
この店名は、私が40年も前に駐在していた、仏領サン・マルタン島の地名に同じです。意味は、「行き止まり」とか、「袋小路」という意味です。地形的には、公道に面した大きなビルを取り囲むようにして、奥や周囲に飲食店が林立しています。
丁度、13時頃でしたので、店内に招き入れられて、お勧めのサラダ、厚さ1cmほどの、焼き立てのローストビーフ、
カフェ、デザートのシフォンケーキを頂きました。
美味しい物をそれなりの値段で提供してくれるので、若い女性客が多く、隣のテーブルにはフランス人男性客2人が来店しました。(一人は私と同じ物。他の男性は、ヴィシソワのスープ、フランス産豚肉のソテーを注文していました。)
ランチは税込で、¥1,000ぽっきりでした(20170818現在)店内には、沢山のワインのボトルがあり、今度は夕方に来てみようと思いました。お店の住所は、日本橋本石町4丁目4-16 です。お店へのアクセスは、こちらでご確認下さい。http://www.id3.jp/cul/
[銀造]
2017年8月22日 14:00
日本橋本石町と言えば、かつては金座、そして現在は日本銀行のある場所として有名です。 そして、日本橋本石町四丁目5-16に鎮座され、地元の方々の崇敬を集めているのが、「白旗稲荷神社」です。
8月のある金曜日、参詣に行ってきました。 境内は丁寧に掃き清められており、御手水を使わせて頂き、二礼二拍手。
お社への参道の周りの椿、頭上には厳しい夏の熱射を遮る"棗(ナツメ)"が、優しく迎えてくれました。
大変清々しい気持ちになりました。 お世話をされている町会の方々に深く敬意を表します。(参拝出来るのは、火、金曜日だけの様です。夜間は施錠している様です。御朱印のお願いは難しいと思います。)
ご由緒は、沿道からでもご覧になれます。白旗稲荷神社崇敬会、日本橋本石町町会がご掲示の、こちらの御来歴をご覧ください。
ご興味のある方の為に、御来歴を書き写しました。(一部ひらがなを加えたり、句読点を加えましたのでご了承ください。)
「白旗稲荷神社 来歴
抑抑 白旗稲荷神社は東京府武蔵国(旧日本橋区本銀町壱丁目拾八番地)官有地白旗橋詰にあり、御祭神は宇迦之御魂神。古来白旗稲荷と称す。享保三戌戌年 当山派修験大寿院元明が別当職たりし以来、神勤す。八世小野秀麿に至り明治六年神勤を免ぜられ、神田神社兼勤社となる。鎮座年代不詳なれども社伝に依れば、源義家が奥州下向の途次、社頭に白旗を樹てしに始まると云ふ。また、「新編江戸誌に三宝院派別当大寿院 和銅4年(711)鎮座」とあり、何れか詳かならずと雖も、本区最古のものなるべきか。 往時、武蔵国福田村の一部にして、江戸開府の頃には神田八丁堀乃ち龍閑川界として以南を江戸とし以西を神田とせり。 町名は江戸時代に銀工の多数居住せしに依り起これりと云ふ。 当社は大正拾二年九月壱日大震火災の際烏有に帰したるも幸いご神体を奉避し以来区画整理にて当町六番地へ換地指定、町会員並に建築委員の努力により再建の準備を整え昭和四年拾月建築に着手す。昭和五年五月拾五日完成。同時に大祭礼を行ふ (昭和五年五月 旧本銀町四丁目会史に依る)
昭和四十九年二月 東北・上越新幹線東京駅乗り入れのための用地買収に応じ、現在地(本石町4-5-16)に移転、現在に至る
昭和四十九年四月六日・七日 新社殿への遷座祭・奉祝祭をとり行う
昭和六十一年十月末日 白旗稲荷神社崇敬会設立
平成六年四月六日遷座二十周年記念祭を行う
白旗稲荷神社崇敬会
日本橋本石町町会 」
[銀造]
2017年8月16日 16:00
8月の暑い日、都営浅草線日本橋駅D1を上がったところで、外国人のご夫婦が大きなバッゲージを持って、何やら困った様子でした。
お節介の銀造は、近づいて、Excuse me. May I Help you?と声を掛けましたが、何やら通じないので、スペイン語に切り替えて話すと、"Kabuto-cho"という返事。 兜町なら、東京証券取引所のあるところだからと、北を指さして、"あっちでしょ!"といったのですが、どうも合点がいかない様でした。
ご主人が地図を持っていたので、ビルの曲がり角などを図示した写真も載っているメールを見せて頂いて、
"それなら、こっちです。" 、 Vamos ! と歩き出しました。
無事、ご案内出来て、ホっとしました。 喜んで頂いて何よりでした。
「センターホテル東京:日本橋兜町15−13」と「新馬場区民館:日本橋兜町11番9号」のある辺りは、兜町なのですね。 外国人に教わりました。
*ちなみに、茅場町は、永代通りより北側が茅場町一丁目、永代通りより南側が二丁目、三丁目です。
[銀造]
2017年8月15日 12:00
東京メトロ東西線の茅場町駅3番出口を上がって、30㍍、1分程度のところにあるスマイル・ホテル。
ホテルの地下には、レストラン・シェルブールがあります。
日替わりメニュー¥930で、この日は、サーロイングリルと週替わりの魚ランチがありました。+200円で、スープ、ドリンクが自由になる、「ドリンク・バー」制があります。ビーフコンソメ、クリーム・コーンシチューを美味しく頂きました。
友人は、150g以上ありそうなサーロイングリル。 お肉がジュージューと湯気を立てて、テーブルに。
私は、大きなメカジキのフィレのソテーです。 Ummai ! Gostozo!
食後のコーヒーも美味しく、充実した気分で活力が漲りました。
<期間限定ですが、ワイン単品60分¥980という催しを実施中でした。>今後の催しも見逃せませんね。
アフター・ファイヴは、雨が降っても、シェルブールで!
ホテルとレストランのHPは、こちらです。
http://www.chuo-kanko.or.jp/#we-page-entry?spot=118661&cat=10960&pageno=3&type=spot&theme=theme-1
レストラン・シェルブールのご案内は、こちらです。
http://www.cherbourg.jp/tokyonihombashi/
[銀造]
2017年8月14日 09:00
久しぶりに中央通りのブリヂストン美術館(現在閉館中。新美術館は2019年秋オープン予定です)前から越前屋さんの方面に散歩しました。
越前屋さんの店先で、素敵な刺繍の数々を拝見した後、今日は東京駅地下街を探検してみようと思いました。
最寄りの地下道を下りると、沢山のお店が営業をなさっていらっしゃいます。
毎年10月末から11月初めにかけて開催される、「まるごとミュージアム」のパレードの時には、
こちらの施設を利用させていただき、安近短の昼食を頂いています。
今日も訪れたのは、階段を下りて直ぐのお店、948 美味しいおうどんと小丼のセットが、格安でお召し上がりになれます。
昼食ゆえ、適量を、それなりのコスト・パフォーマンスのあるお値段で頂きます。
海鮮丼・うどんセットは、美味しいおうどんと鮪の赤身を使用した海鮮丼。
お値段は、税込みで¥580。夕方4時から、串カツや、利き酒セット¥780を堪能できるようです。立飲みの居酒屋より、値打ちのあるお店かなっと思います。
最寄りの越前屋さんには、手芸用品が充実して、素敵な作品も展示しているようなので、
いつも入店したいと希望していますが、女性客に人気で遠慮気味です。その、越前屋さんのHPは、こちらです。
http://www.echizen-ya.co.jp/
[銀造]
2017年8月 9日 09:00
ヤン・ヨーステンの像は、東京駅地下街と八重洲通りの分離帯にあります。
東京駅の地下街の銅像は、10年以上前に行ったきりで、場所は随分移動していました。
八重洲中央口から下りたメイン・アべニュー地下街にある案内所の方に、とても親切な応対で、所在地を教えて頂きました。
東京駅八重洲口からなら、八重洲中央口から下りて、ソフトバンクの角を右折、中国料理の「鳳鳴春」を過ぎて、ラーメン店「遊亀亭」の隣に、ヤン・ヨーステンと九州の大分県臼杵に漂着したオランダ船「リーフデ号」と同船が辿った航路が図示されています。
大西洋をひたすら南下して、チリの最南端ケープ・ホーンから、(私が読んだ本では、そこからチリの内陸を通っている運河を航行し)、
ハワイ沖、日本の大分の臼杵へ漂着したということです。
この時、英国人船員ウイリアム・アダムスも乗船していました。ウイリアム・アダムス(後に、三浦按針と名乗る)は、日本橋に屋敷を与えられて、按針町という町名が誕生したのですね。
八重洲通りの分離帯には、中央区が平和宣言した1年後に設置された「平和の鐘」と一緒にヤン・ヨーステンの顔の銅像が置かれています。 毎年、暑い夏に思うことですが、世界が紛争の無い平和であって欲しいと願っています。
平和の鐘の説明は、こちらです。
http://www.city.chuo.lg.jp/heiwa/monument/kane/