築地川公園の7月は、先ずはお隣の聖路加看護大学構内の「ネムノキ」。
漢字では、合歓の木とかきます。桃色と白の花が綺麗です。
夜は眠ります。 葉も閉じていますね。
築地川公園のムクゲ。夕方には、花を閉じようとしています。
翌朝には、別の新しい花が咲きます。
観察すると、とても興味深いですね。
4,5月にご紹介した、キウイフルーツ、リンゴも大きく成長中です。
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築地川公園 7月
築地川公園の7月は、先ずはお隣の聖路加看護大学構内の「ネムノキ」。 漢字では、合歓の木とかきます。桃色と白の花が綺麗です。
夜は眠ります。 葉も閉じていますね。
築地川公園のムクゲ。夕方には、花を閉じようとしています。
翌朝には、別の新しい花が咲きます。 観察すると、とても興味深いですね。 4,5月にご紹介した、キウイフルーツ、リンゴも大きく成長中です。
「はみだし交番」の今昔
現<西仲通地域安全センター> 元<西仲通交番>
交番が先に建っていたが道路の拡張で歩道からはみ出した為、地元住民から「はみだし交番」と親しまれていた月島の元「西仲通交番」。 月島警察署の前身京橋月島警察署が大正10年頃に設置した巡査派出所の1つ。大正15年に木造から鉄筋コンクリート造りに改築、警視庁最古の現役交番として活躍していたが、平成19年に廃止。現在は「地域安全センター」に生まれ変わっている。 「地域安全センター」とは昼間帯に地域安全サポーターが配置され、主に地理案内、地域安全活動を行っている。因みに「地域安全センター」は青色標灯(交番は赤色標灯)、名称は青色の看板に表記される。 明治7年に警視庁に「交番所」が初めて設けられたが、その名称の由来は、当時警察官が警察署から特定の場所に出向いて、交替で立番をしたからといわれる。明治14年、交番所の建物が建てられ、そこで仕事をする現在の形に変わった。 明治21年に「派出所」「駐在所」という名前で全国統一されたが、創設当時の「交番所」という名称がそのまま「交番」という呼び名で残った。今日「交番」という呼び名が市民の間に定着し、国際語としてもそのまま通用するほどになっていることから、平成6年、正式名称も「派出所」から「交番」に改められた。 交番は、市街地の各所におかれ、警察官が交替で勤務。
<リバーシティ駐在所>
かわってこちらは、平成14年都内初の夫婦駐在所として開設の佃「リバーシティ駐在所」。 駐在所は原則として、一人の警察官が家族と共に地域に居住し、地域の安全を守る活動を行っている。 旧い街並みと高層マンション群が同居する人口急増地域。時代の要請に応えて誕生の由。現在3代目の警察官夫婦が駐在。
<晴海埠頭警備派出所>
平成3年「晴海埠頭派出所」として開設され、平成19年に「晴海埠頭警備派出所」として運用開始。 「警備派出所」とは空港や大使館、各種公邸や要人私邸の門前などに設置される警察施設。 晴海客船ターミナルと一体化したデザインが目を引く。 浜離宮便り 花・水上バス・レインボーブリッジ
サンセット(メキシコ産)・・・ ビル群を背にして・・
浜離宮のキバナコスモスが盛りを迎えています。 昨年は9月に入って咲いたピンク・白のコスモスが今年は種まきが早かったのかすでに咲き始めました。 そしてサンセット(メキシコ産)と云うキバナコスモスが纏まって植えられているのですが元気な品種なので普通のコスモスの中で咲いたりサニーイエローと云う黄色のコスモスの中に混じって咲いています。
サニーイエロー
コスモス (白とピンク)
むくげ(韓国の国花)・・・・花芯に虻が入っています。
百日紅・・・ピンクは盛りを過ぎましたが白は真っ盛りです。
水門を出る水上バス・・・30分から1時間程で浅草やお台場海浜公園等に行くコースがあります。 水上バスの向こう側は勝どき方面です。
新樋の口山からレインボーブリッジを眺める事が出来、お台場や臨海副都心も一望できます。 ベンチもあり涼しい風が吹いています。
路地裏の井戸端 <佃>
現在の佃1~2丁目にまたがる一部は元々石川島・佃島と呼ばれる隅田川河口に出来た自然の干潟。 名の由来は、各々江戸期に「船手頭」を務めていた石川氏が洲島を拝領し居を構えたこと、摂津国佃村の漁師が石川島南の干潟を拝領し島を造成して移住したことによると伝えられる。 明治初期石川島が佃島に合併。明治29年新佃島完成。戦後住居表示法の実施により、旧佃島は佃1丁目、元々の石川島は佃2丁目、周辺の新佃島西町1,2丁目は佃2丁目、新佃島東町1,2丁目は佃3丁目に各々変更されている。 佃地区はその大部分が関東大震災、東京大空襲を免れ、江戸時代に遡る敷地割の残影を留め、独自の文化・風俗を育み、情緒豊かな街並みが保たれている。 こぢんまりとした家並みと細い路地。とりわけ植木鉢や縁台が並び、お地蔵さんまで祀られている路地は、暮らしに密着した"共有空間"。 植木の水遣りと共に夏の暑い時期は打ち水もされる。 路地や道路の清掃、狭い空間の創意工夫に基づく緑化や潤い造り。 自然と防犯や助け合いも生まれると聞く。 佃島は1950年代まで漁業集落的機能を留めており、水需要は旺盛。加えて近世から引継いだ敷地割に関連して「表台所」も長らく残存し、上水道敷設後も井戸は生活用水・雑用水の供給源として重要性を保持してきた。今は植木鉢として利用されている古い石製の用水桶、かつての家業用屋内井戸、そしていまだに現存する手押しポンプ式の(共同)屋外井戸・・・。 ゆったりと時間が流れていく様子が体感できる。
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