[銀造]
2010年12月30日 13:16
今日は築地川公園を通って、お買い物。
冬の青空のキャンバスをバックに、「生きた化石」と呼ばれる「メタセコイア」
が黄銅色に光り、そびえています。
では、何故「メタセコイア」が「生きた化石」と呼ばれたのかをお話しましょう。
三木茂という香川県木田郡三木町に1901年に生まれた方が、木田農林学校を卒業後
農家の跡取りでしたが、父親を説得し、盛岡高等農林学校に入学。3年生のときに植生
調査を行ったり山の地層をも研究しました。また、植物分類学を学ぶために、京都帝国大学
理学部植物学科に入学しました。 --話はずっと 飛んで、1939年
それまで欧米や日本でヌマスギ属やセコイア属と同定されていた化石を、絶滅した
メタセコイア属と命名したのです。 1941年には、標本とした化石を証拠として論文を発表。
ちなみに、「メタ」(Meta- )とは、「後の・・・)というセコイア属につけた接頭語です。
1945年、中国の湖北省で発見された未知の植物が、三木博士が化石で発見したメタセコイア属と同じであることがわかりました。 この事は、下の本の中でも紹介されています。
INAXギャラリーの1階の書店で発売されていました。電話03-5250-6571でお確かめ下さい。
普段よく見かけるようになった「メタセコイア」の木にも、こんな発見とお話があったのですね。
[ゆりかもめ]
2010年12月26日 11:52
水上バス・竜馬(浜離宮)
年末の浜離宮は いつもより御客様も少なく 静かで落ち着いています。
「将軍お上がり場」付近を歩いていたら 水上バス「竜馬」を見つけました。
今年の大河ドラマを思い出しつつ 水上バス(竜馬)を 見送りました。
将軍お上がり場・・・・11代将軍 家斉や 12代将軍 家慶の頃までは 賓客を招待したり、お出掛けの際は必ず使われた華やかな場でしたが 幕末には悲劇の場となりました。
14代将軍 家茂の御遺体が船で大阪より運ばれたり 15代将軍 慶喜が鳥羽伏見の戦で破れ 船で逃げ帰り ここから馬で江戸城に向かった場所です。
パシフィック ヴィーナスと歓迎の噴水(晴海埠頭)
パシフィック ヴィーナスが晴海埠頭に近づいています。
噴水を上げて歓迎しています。
[下町トム]
2010年12月24日 02:42
地下鉄月島駅のすぐ近く、清澄通りを佃大橋から続く新月陸橋がまたぐところがあります。
この交差点の名前は〔初見橋〕といいます。ちゃんと標識にも名前が読み取れますね。
清澄通りの中央分離帯の標識にもはっきりと〔初見橋〕と記されています。
かつて地下鉄有楽町線が開通するまでは、このあたりは都営バスだけが唯一の公共交通であり、「新佃島」という停留所がありました。さらにその前はというと、昭和47年までは都電が走っていたのです。(23系統・柳島方面、昭和43年までは11系統・新宿方面も存続)
つまり、現在陸橋(都道473号線)が通る位置には運河が横たわり、月島と佃島とを分けていたのです。〔初見橋〕は当時月島通り呼ばれていた大通りがこの運河に架かる橋でした。今では名前だけが往時の記憶を留めています。
左の地図は中央区発行の復刻版の引用です。(昭和7年)
当時の月島駅付近を見ると、〔初見橋〕の隣に〔新月橋〕、さらにその横に〔佃橋〕の名が見て取れます。
月島西河岸通りから佃島に続くところに架かっていたのが〔佃橋〕であり明治期から存在していました。その後に、今は〝もんじゃストリート〟となっている月島西仲通から続くところにも橋がかけられ、〔新月橋〕と名付けられました。
佃と月島の間の交流が徐々に盛んになっていったことがうかがえます。
左の写真が現在の月島西仲通りを佃方面から望んだところであり、かつて〔新月橋〕がかかっていた場所です。右のほうが、陸橋の下に少々肩身の狭い格好になっているのが月島西河岸通りに続くところであり、〔佃橋〕がかかっていた場所です。
かつての〔佃橋〕のあたりから佃島に抜けると、児童公園があり、その向こうに、ちょっとした汐溜まりがあります。
ここはかつては月島と佃を分かっていた運河に続く水路であり、まさしく佃は〝島〟であることを実感させてくれます。
今では、住民の憩いの場所となっており、その先に目をやれば、佃小橋や住吉神社の社殿の一部が望めます。その後ろにそびえる〔佃リバーシティ21〕の高層マンション群は、変わり行くこの地域の景色の中に少しずつ馴染んでいくように思えます。
ご存知のように、佃大橋が完成するまでは〝佃の渡し〟が対岸の湊町と佃島をつないでいました。隅田川べりに出て往時の賑わいを偲んでみるの一興です。
今も昔も人々の威勢のよさと温かみが息づくこ一帯は〝よき時代の香り〟を残しています。是非、かつての風景も思い浮かべながら、ゆっくりと散歩してみて下さい。きっと懐かしい気持ちになることと思います。
[下町トム]
2010年12月20日 09:00
中央区の名物であり、隅田川最下流の橋としても有名な〔勝鬨橋〕は、周りの景色を楽しむのにも絶好の場所であり、ぼくのお気に入りのスポットでもあります。
築地市場を背景に川を行く船をのんびりと眺めるもよし、上流の高層マンション群が織り成す風景に親しむもよし、です。
橋のたもとには2種類の説明板がありました。勝鬨橋が1940年(昭和15年)に完成し、1970年(昭和45年)11月29日を最後に開閉しなくなるまでの歴史を偲ぶ事ができます。
また、築地方面に下ったところには〝かちときのわたし〟と記された記念碑が建っています。かつて橋ができるまではここに渡しがあったんですね。
その上流には〝月島の渡し〟や〝佃の渡し〟などもあったということですから、かつては、隅田川を行き交う舟のざわめきが周りにこだましていたんでしょうか。
「かちどき橋の資料館」もすぐ傍にあります。毎週、火曜日、木曜日、金曜日、土曜日、9;30~16:30 (12月1日~2月29日は、9:00~16:00、ただし、12月29日~1月3日は休館)
勝鬨橋に関する資料が展示・公開されていますので、是非一度のぞいて見て下さい。
それから、特筆したいのは、橋から見る〔東京タワー〕の姿です。いまやスカイツリーが評判ですが、やはり東京の顔としての東京タワーの存在は揺るぎません。
勝鬨橋からは築地市場の奥にしっかりとそびえるタワーを眺めることができます。ぼくの好きな風景一つです。
[サム]
2010年12月16日 10:30
12月15日~26日まで、ECO EDO 日本橋実行委員会主催、名橋「日本橋」保存会共催で、昨年に引き続き「年の瀬日本橋2010~ECO EDO 日本橋 グリーンプロジェクト~」が開催中。
太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどCO2を排出しない自然エネルギーでつくられた電力「グリーン電力」の認知向上と普及拡大を目的とした経済産業省 資源エネルギー庁の「グリーン・クリスマス・ライトアップ」の活動趣旨に賛同したイベント。(全国106施設で展開中)
本イベントでは、重要文化財である「三井本館」「日本銀行本店本館」が「グリーン電力証書」を活用した緑色の照明によりライトアップされる。自然エネルギー発電を手掛ける会社から「グリーン電力証書」(グリーン電力のもつ電気自体の価値以外のもう一つの価値<=環境付加価値>を取引可能な証書<=証券>にしたもの)を購入することでプレミアムを上乗せして支払う仕組み。グリーンエネルギーに対する助成方法の一つと云う。
12月15日17:00から江戸桜通り三井本館前にて点灯式が行われ、女性5名のクラシック・ア・カペラ・グループ「AURA(アウラ)」の歌声に合わせて、歴史的建造物が幻想的なグリーンライトに照らし出された。
本イベントは「人と人、人と自然のつながりを大切にしていた江戸の人々の共生の精神を今に伝え、循環型社会を目指す」という「ECO EDO 日本橋」の理念に基づき、「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに官民地元が一体となって地域の活性化と街に新たな魅力を創造する「日本橋再生計画」の活動の一環でもあるという。
[illy-ship燦壱朗]
2010年12月 3日 21:22