[wombat]
2014年6月30日 15:00
前回の続きで、今回は太文字のところを散策します。
月島駅(マクドナルド月島店)・・・佃波除稲荷神社の力石・・・佃小橋・大幟の柱・・・佃島渡船
場跡・・・住吉神社・・・五世川柳・水谷緑亭句碑・・・佃公園・・・石川島灯台跡・・・リバーシティ21・・・石川島公園・パリ広場・・・日本初民営洋式造船所発祥の地・・・海水館跡・・・砲台跡・・・月島仲通り(もんじゃストリート)夢や
劇作家・北條秀司は花柳章太郎とともに佃を愛する。
住吉神社の門前にある一軒家の古井戸。現在も使用している。 新派の「佃の渡し」は有名。
住吉神社。扁額は陶製。有栖川宮幟仁親王の染筆による鮮明な青色で焼き付けされる。
「八角神輿」天皇即位式の高御座を模して八角にする。
五世川柳・水谷緑亭句碑。「和(やわ)らかでかたく持ちたし人ごころ」佃の風紀を心配し出考節義を論じ、矯正に尽くした。神社内。
すみよしこはし
佃公園護岸全面にある歌川広重の浮世絵のレリーフ。 名所江戸百景「佃しま住吉乃祭」、
富士三十六景「東都佃沖」、東京明細図絵「佃島灯明治下汐干」が往時の風景を伝えている。
平成11年設置。パリに東京広場が建造されたお礼として隅田川のスーパー堤防に整備された。「友情から未来へ」のモニュメント。
海水館跡。 関東大震災で焼失。吉井勇歌集・毒うさぎにて「冬の海 見れば悲しや 新佃海水館は わび住みにして」が掲載されている。
これは月島もんじゃ仲通の入り口の手前からちょっと離れたところにあり、ほとんど気づく人もいない。
さあ、最後は美味しいもんじゃ焼きとお好み焼きと焼きそばで
大いに飲んで食べて今日一日をしめくりました。
[佐平次]
2014年6月26日 14:00
日本一の高級商業地の銀座にも昭和30年代までは多くの路地がありました。
裏通りには木造の家屋も結構残っており、木造の家屋は民法上境界線から50㎝以上離して建てなければならないため、必然的に1m以上の隙間ができるのです。住民も多かったので、実際は生活上の便からそれ以上の広さが取られた私道、つまり路地が造られていたのです。
しかし、何と言っても「土一升金一升」と言われた土地ですから、どんどん木造家屋は壊され、或いは火災で焼失した(この頃はとても火事が多かったのです)跡には効率の良いビルディングが建てられてきました。
不燃構造の建築物は建物が接して建てられるため、私道である路地は新しいビルに吸収されて消滅していったのです。
その当時は、私道は地主の持ち物であり、其処を通る人たちは地主がビルを建てて、路地が通れなくなっても仕方がないと思われていたのでビルを建てる場合は敷地いっぱいにビルを建てるのは当然だと思われていたのです。
現在は、私道といえども其処を日常使用している人たちには通行する権利が発生して、勝手に私道を閉鎖することは出来ないとされています。難しく言えば、私道を通行する権利は取得時効できて、その権利(通行地役権)は登記が無くても地主に対抗できるとの判例があります。つまり地主といえども勝手に私道を閉鎖したり潰したりすることはできないのです。
まあそんな小難しい話はおいといて、今でも木造の古い建物が残る裏通りや、ビルになっても利便性を考えて残した路地が所々に残っており、その中には隠れた高級バーがあったり、サラリーマンのための居酒屋があったりします。
今回はその中の一つ、銀座八丁目の路地を紹介しましょう。
そこは、高級社交場のひしめく花椿通りと御門通りに挟まれた銀座八丁目のちょっと新橋よりにあり、金春通りから並木通りに抜ける路地で、かつて高級官僚やエリートサラリーマンから「出世路地」と呼ばれていた路地があります。
以前は銀座通りから続いていたのですが、銀座通りと金春通りの間はあまりに狭くて危険なためか現在は鍵の掛かった扉が設置されて通れなくなっています。
ですので、今は金春通りにある鮨の名門店「久兵衛」の近くの入り口が出発点(俺のフレンチが目印)、飲み屋が立ち並ぶ路地を抜け、続いて左手に「ポルシェ・ビル」のある路地を抜けるとそこは並木通りになり、その先は路地ではなく広い車道になります。
そのまま真っ直ぐ、外堀通り、JRの高架をくぐり、日比谷通りを突っ切って行くとやがて霞が関に出て国会議事堂にぶつかります。(約15分~20分)
銀座八丁目にあり、どんどん末広がりに広くなっていく道を真っ直ぐにつき進めば日本の政治の頂点である国会議事堂に突き当たるところから「出世路地」と呼ばれていたのでしょう。
まあ実際には薄暗い路地の中で酔っ払いが立小便をすることが多いところから「小便横丁」とも呼ばれていましたが・・・(笑)
[whatever]
2014年6月25日 09:00
新大橋通り沿いにあるこの建物。多くの方の目に留まっているかもしれません。入り口を探してみると「正金アパート」と書いてあります。「しょうきんアパート」と読むようです。通るたびに「古いな〜」というよりも、正直「ボロいな〜」と口に出しながら眺めていました。悪気はありませんよ。むしろ親しみを込めて。古い建物、まだまだがんばれ〜、と応援したくなります。
調べたところ、なんと1931年に建てられたとのこと どうやら、数年前まで入居者を募集していたようです。とは言っても、人が住んでいるようには見えませんでしたが、1階部分には飲食店などが入っていて、生活感は漂っていました。確か今年の4月頃までは・・・
6月になり、建物の前を通る機会が2度ほどありましたが、以前と様子が違うような・・・ もしかしたら、1階の大部分の店舗が閉店してしまったかもしれません
もちろん何度かリノベーションされているとは思いますが、それも限界に達しているのでしょうか。もしや、取り壊される運命にあるのでしょうか・・・
最初の2枚は今年の4月に撮影。3枚目は6月に撮影。
4月以前は、歩道側に商品を並べていた店舗があったような気が・・・
2〜3階には、小さなベランダがついているんですね。
エレベーターは取り付けられていないようです。
4〜5階は、間取りが違うのでしょうか、窓が少し小さめのようです。
いつ頃まで使われていたのでしょか。
お店の看板がまだ残っています。もしかしたら、ここだけまだ営業している可能性が・・・
***
まだまだ古きものと新しきものが混在する中央区。この建物も、引き続き気にかけていこうと思っています。
正金アパート
中央区新富1−17−6
[お江戸太郎]
2014年6月24日 18:00
銀座の街をぶらぶら歩いていると、
銀座松坂屋の工事現場の壁に
銀座の風景が錦絵で紹介されてました。
その中の1枚をご紹介します。
江戸名所尾張町之図
歌川 芳宗 画
文久3年(1863年)
尾張町の呉服店の前を通る14代将軍家茂の上洛の様子が描かれています。
尾張町は現在の銀座5~6丁目のあたりです。
出展 :中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)
[けんけん]
2014年6月24日 14:00
私の好きなことの一つに、早朝の街中をMY チャリ(自転車ですね)で巡ることがあります。
この日は、人形町界隈のいわゆる「日本橋七福神」を「チャリ散歩」してきました。
「七」福神といっても、全部で8か所の神社を回ります。恵比寿さまをお祀りする神社が2か所ある、ということで、より有難いものと受け取られているようですね。
自宅を5時前に出発し、まずは自宅から一番近い場所にあるということで、福禄寿・弁財天をお祀りする小網神社。入って左側には「銭洗い弁天」があります。
小網神社から半時計回りに進み、次は茶の木神社。布袋様をお祀りしているんですね。
ここはいかにもビル群の谷間、都会の真ん中にある神社の風情ですよね。
3か所目の弁財天をお祀りし、安産・子授けで有名な水天宮は現在新築中により、浜町公園の近くに仮移転しています。
大国神をお祀りする松島神社(大鳥神社)はまさしく都会の真ん中にある神社ですね。ビルの1階が神社、です。
毘沙門天をお祀りする末廣神社は特に勝負運、災難避けにご利益があるということですね。
6か所目の笠間稲荷神社は、江戸時代末期に3大稲荷神社である常陸笠間神社から分社されたんだそうです。長寿の神様、寿老人をお祀りしています。
椙森神社は恵比寿神をお祀りしています。この神社は江戸時代に流行した、富くじ興行の場所としても有名だったんですね。富くじといってもその収益金は神社仏閣の改修費用に利用されていたということだそうです。
早朝の人形町界隈を自転車で巡るこの「チャリ散歩」も最後の8か所目。寶田恵比寿神社はこれまた恵比寿神をお祀りする神社ですね。
祭壇の中央にある恵比寿神は「運慶あるいは左甚五郎の作と伝えられるもので一見の価値あり!」とのことでしたが、朝6時半ということもあり(?)、覗き込んでみたのですが、祭壇の扉はきっちりと閉められていました(笑)。
自転車で巡る「日本橋七福神」。2時間弱での早回りでしたが、ご利益はあるでしょうか?運動には多少効果があるとは思いますが...。
次の機会にはゆっくりと一つ一つに伺いたいと思います。
[じいちゃん]
2014年6月23日 09:00
6月15日(日)朝 天気
サッカーの祭典ワールドカップでの日本代表の試合を前に
日本中で徐々にボルテージが上がりはじめているなか、
中央区内では朝9時から「ハッピー買物券」の発売ということで、
販売場所では区民の長蛇の列ができる大盛況となりました。
中央区の人口は、平成10年(約72,000人)以降年々増え続けており、
現在では135,000人を超えるまでになっているそうですね!
この「ハッピー買物券」の列も年々長くなっているような気がします。
私も朝8時から列に並びましたが、8時30分頃には
最後尾がどこなのか分からない程になってしまいました・・・
お疲れさまでした
同じ日 昼 天気
ひと休みをして、次の目的地は日本橋中央通り。
同じ日に行われる、山王祭の神輿行列「下町連合渡御」の見物に
少し早目に到着したところ、珍しい景色をみることができました。
※交通規制で中央通りがスッキリ。
日本橋2丁目あたりから京橋付近までが見渡せてなかなか爽快でした。
その後は、祭りを盛り上げる人や神輿が次々に押し寄せてきて
さすがに天下祭の大賑わい。
天気にも恵まれて、中央区での休日を満喫しました。