[お江戸のマーシャ・堀内]
2016年1月29日 09:00
お昼に、室町3,4丁目をブラリ。
先ずは、大きなビルが取り壊され建築中のものがいくつもあるのに気付く。
2020年に向けて、南側の日本橋辺り含め中央通りが変貌するというが、江戸時代からの繁華街の町並み感は
そのままだろう。近い将来、福徳神社の横に出来るという緑の空間が楽しみである。
そんな室町4丁目に「三渓洞」という画廊がある。時々立ち寄り、時々の季節を味わわせて
頂いている。
そこに、「日本画五山」の一人である高山辰雄の絵が掛かっていた、これはヨーロッパの静かな
田舎の風景だろうか、ゴッホの糸杉のような木がシッカリと家を守っているように見える心象風景画だろう。
「三渓洞」は、江戸時代には両替商をされていたとか、大正時代から現在地で美術商を営んでおられる。
都心のオアシスとして、度々、訪れたいものである。
http://www.sankeido.co.jp/art/newworks/
そして、室町3丁目、ここもビルの建替中である。
江戸時代、3,5,12月の季節の変わり目には、特に賑わった「十軒店」の跡地でもある。
←こちらはクリックすると大きくなります
温故知新
[皐月の鯉の吹き流し]
2016年1月26日 16:00
人形町コース_1
1..椙森神社 → 2. 西郷隆盛屋敷跡 (日本橋小学校) → 3.小網神社
1.椙森神社 日本橋七福神の恵比寿神
・
椙森神社は、中央区日本橋堀留町にある神社です。
江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、
江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われていたといいます。
ここには、富塚があり大正9年に建立されましたが、関東大震災時に倒壊してしまい
その後、昭和28年11月に再建されたのがこの富塚です。
この富塚は、他に類を見ないと言われ、日本で唯一の物だそうです。
落語の宿屋の富に登場する、富くじが行われたのは
ここ椙森神社と思っていたのですが残念ながら湯島天神でした。
ただし宿屋は、馬喰町と言うことです。
落語の宿屋の富のエビソードです。 ある噺家さんが
この「宿屋の富」の落ちを「お客さん、草履履いたまま寝ている」と言うべきところ
「草履抱いたまま寝ている」と間違えたことがあると言っていた事を思い出しました。
2. 西郷隆盛屋敷跡 (日本橋小学校)
現在の日本橋小学校があった周辺、ここは西郷隆盛の屋敷があった場所です。
歴史教科書に掲載されている西郷隆盛の写真、信頼性がないということで
近年疑問視されているようです。
写真の上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌だという説が濃厚です。
中央区を離れますが、上野の西郷隆盛の銅像も似ていないという話もあります。
これは除幕式に立ち会った妻の西郷いとが、「うちの人はこげんおひとじゃなか。」と言って
関係者を愕かせたエピソードがあります。
ただこの似ていないのは、なにが似ていない、あるいはどこが似ていないのかはハッキリしないそうです。
また、飼っていたのはお気に入りの薩摩犬、雌犬名前は「ツン」という犬ですが
銅像作成時は死んでいたため、雄犬をモデルにして作成されたとのことです。
さらに実際の薩摩犬は像よりもっと小さいらしいです。
3.小網神社
修復工事が終わり屋根が綺麗に葺かれました。この写真を撮ったのは大晦日ですが、
この日も御参りに来る人が途切れませんでした。
[お江戸のマーシャ・堀内]
2016年1月21日 12:00
久しぶりに、夕方の銀座をブラリ、
1)最初に、
四丁目の銀座煉瓦画廊(歌舞伎座横,オムライスで有名なYouのお隣)で、
建築家で江戸の水彩画を書かれる木下栄三さん(江戸検1級保持者)の作品を観てきました。
江戸城がどういう風に出来ていたのか、神田が当時はどういう処だったのかなど
とての興味深く見させていただきました。
http://ginzarengagarou.com/exhibition/2016/eizo_kinoshita.php
2)そして、
一丁目のPOLA MUSEUM ANNEX、"祝いのよそほい"ということから、江戸の浮世絵、使われていた
化粧道具など、美の追求への古の成り立ちに思いを馳せました。
http://www.po-holdings.co.jp/m-annex/
3)最後、二丁目のブルガリ銀座タワーです。他にも高級ブランド店が集まる街に変身してしまいましたね。
帰りは、キムラヤのアンパンをかじりながら帰りました。次回はゆっくり食事をしたいところです。
[銀造]
2016年1月19日 14:00
2016年1月18日、関東地方にも雪が降りました。 中央区内でも6cmほど積もったようです。
足元がおぼつかないところですが、特派員魂で、雪の明石町から築地を歩いてみました。
築地橋公園から聖路加国際大学の雪景色。 柊に雪が積もり、風情があります。
聖路加病院開設のトイスラーさんの記念館、
あかつき公園の滑り台。凍ったら、ボブスレーが楽しめそうです。
シーボルトさんも雪を被って、厳しいお顔をされています。
はとば公園で、砂場に降り積もった雪で遊ぶお子さん。 (写真は割愛しました)
球体のオブジェは、井上武吉さんが制作した「My sky hole」というものです。
重要文化財の勝鬨橋。
皆さん、お出かけの際には、ラバー性の底の靴を履いて下さいね。
(この時期、「滑る」という言葉は禁句ですね。)
[サム]
2016年1月16日 14:00
晴海トリトンスクエア内ポケットプラザ「花・水・樹」のグリーンアドバイザーの案内で園内を散策する毎月恒例のミニガーデンガイドツアー。
今月は1月14日に開催されました。(12:30~ 14:30~)
冬枯れの時期ではありますが、花壇には彩りの演出に工夫が加えられています。
ノーストリトンパークでは、正月の縁起物として使われるマンリョウ(万両)、センリョウ(千両)の他、カラタチバナ(百両)、ヤブコウジ(十両)が観察できます。
因みに一両はアリドオシ。
春の七草のナズナ、タビラコも顔を出しています。
サウストリトンパークでは日本の代表花木のひとつ「ツバキ」が開花中。
今期は暖冬を反映して、昨年12月26日、平年より45日早く昨年より20日早い、東京管区気象台の「椿開花」宣言でした。
花のテラスではギンヨウアカシア(ミモザ/マメ科)が早くも花を付け始めています。
稀少品種のツバキ "エリナ" の蕾姿も見ることができます。
細い枝と葉のしなやかな樹姿で、春先に淡いピンクの可憐な小花が咲きます。
葉を揉むとゴマの香りがするゴモジュ(スイカズラ科)、
金魚がパクパクと口を開けている様、鰭を広げてひらひらと泳いでいるような様子から
名付けられたとされるキンギョソウ(ゴマノハグサ科)、何れもユニークです。
英名は、花筒の部分を横から指で挟むと上唇弁と下唇弁との間がぽっかりと開いた様を
竜に見立て、「スナップドラゴン(噛みつき竜)」。
今回のテーマのひとつが春を待つ「花芽と葉芽」。
ソメイヨシノの花芽と葉芽を例に、「冬芽」を観察。
花芽は卵形~長卵形、葉芽は細長い紡錘形。
冬芽の中では、春への準備が着々と進められているものと想像が及びます。
命のメカニズムの巧みさを感じる一コマです。
厳冬のガーデンですが、「見て、聞いて、触れて」、またひとつ新たな切り口を学んだプランツウォークでした。
左から、ツバキ "エリナ"、ゴモジュ、キンギョソウ、ソメイヨシノ 花芽/葉芽
[四方の風]
2016年1月15日 14:00
四方の風です。
久しぶりの投稿になります。申年も早くも半月が経過。私事ですが、今月が誕生月なので年明け早々、ひとつ歳を重ねることになります。
さて、わたしの中央区のまち歩きは1月5日、今年が終いの年になった築地の初セリ見学と当日が初戌で賑わう水天宮詣ではじまりました。
年はじめの記事は、5日のことではなく1月10日{日) 鉄砲洲で行われた、中央区新年の極め付け行事である寒中水浴大会(寒中禊)を
書きます。昭和30年以来今回で61回目を迎えた今回は、神社改修工事のため神社境内ではなく隣接する鉄砲洲公園で行われました。
今年は暖冬といわれますが、当日も快晴に恵まれ、水槽に予め入れられた大きな氷柱も少し解けるのが早まっていたようです。
寒中水浴は、神前で冷たい水を浴び心身を清め無病息災を祈願する行事。実際に水浴される方だけではなく、見物している私たちも供に
祈願をさせていただきました。
当日の進行は、氏子会会長、鉄砲洲神社宮司、中央区区長の挨拶に続き 板橋氷川神社篠直嗣宮司の指導の下、準備体操として
神社一周ランニングで始まりました。 舟をこぐ仕草とともに 指導者にあわせ歌う和歌と 艪押すとき「エーイツ」引くとき「イーエツ」の掛け声
は新春の青空に力強く響き渡っていきました。このあと振魂(ふりたま)以下邪気を払う行事を幾つか済ませ、氣吹と呼ぶ深呼吸動作を
へて、いよいよ「エイ!」の掛け声とともに寒禊がスタート。胸の前で玉子を包むように両手を上下にかさね、目を閉じず前を見据え
「祓戸大神、祓戸大神」と唱えていました。参加者が多くふたグループに分かれておこなわれましが、若い女性と外国人の参加が印象に
残りました。水浴が終わると最初の動作が繰り返され行事は終了となりました。
伝統の行事を目の当たりに触れ元気をもらうことができた一日でした。