[坂の上のねこ]
2010年4月28日 14:00
数多くの舞台作品が誕生し、育まれてきた中央区。
伝統芸能が長い年月を刻み続ける一方、新たな作品に
触れることができる場もたくさん存在しています。
そのひとつ、銀座マコトシアターでは、ハロルド・ピンター作、
高瀬一樹演出の「Celebration 祝宴」が上演されます。
関係者によると、ピンターの新たな魅力を味わえるお洒落な作品とのこと。
連休中、賑やかな銀座の大通りからちょっと離れて閉じた空間に身を潜め、
舞台で繰り広げられる洗練されたおとなの会話を楽しみながら、演劇通を
気取ってみたい気がします。
上演日時:5月5日(水) 13時、17時の2回
劇場:銀座マコトシアター 地図
問い合わせ・チケット:電話 090-8117-1598 e-mail Kazkit098@gmail.com
*観光協会のウェブサイトを見て申し込んだ方は、チケットが500円引!
<祝宴>(フライヤー解説文より)
2000 年にピンター自身の演出により初演。ロンドンのハイクラスなレストランを舞台として、そこに出入りするバブル世代の象徴のような人間たちを辛らつに描く。一見一連のピンター作品とは一線を画するかのように感じるほど、軽妙でユーモラスな会話が流れ出る。しかし、その即物的な欲求だけを追い求める、レストランの客たちの世界に対して、それと相対する世界・・・ピンター的な世界がその向こう側に描かれている。それは、人間存在の不可思議さであり、人間の記憶の持つ力と意義、その重大さであり、もうすでに我々が失ってしまった何かをうっすらと想起させる世界である。
[サム]
2010年4月26日 01:11
浜離宮には潮入りの池の畔に、5棟の御茶屋があった。その多くは11代将軍家斉の時代に建てられたもので、いずれも震災や戦災で焼失したが、「中島の茶屋」は昭和58年に再建されている。御茶屋は庭園の景色を構成するだけでなく、園遊の際の食事や休憩、賓客をもてなす場であり、専ら茶事をとり行なう「茶室」とは異なり、現存する類例は少ないとされる。
さて平成16年から始まった復元・修復事業の一環としての「松の茶屋」の復元。平成20年に発掘調査を行って礎石などの状況を調べ、現存する資料に基づき工事が進行中。 上棟直後の期をとらえ、普段は目にすることが出来ない復元工事現場見学会が4月24日開かれた。
復元の方針、施工上の工夫や工法、現況等々工事関係者の方々から約1時間にわたって説明を受けた。柱材は栂・天井板は屋久杉・屋根はサワラ材といった創建当時と同じ材料使用の話、継手・仕口と呼ばれる結合技法の話、礎石遺構の動態保存と現代工法の組合せによる安全性配慮の話等々興味深く聴かせていただいた。
[みど]
2010年4月25日 11:26
日本橋にある「貨幣博物館」に行ってみました。
貨幣博物館は、日本銀行本店に隣接していて、館内には古代から現在に至
るまでの日本の貨幣、記念硬貨、世界の珍しい貨幣などが展示されています。
昭和57年に日本銀行創立100周年を記念して設置され、昭和60年11月に開館して年間7万人もの人が訪れているとのこと。
博物館が所有する貨幣コレクションは300万点もあるそうですが、展示されているのは、そのうち約5400点だそうです。
赤い絨毯が敷き詰められたロビーを通って、展示室に入るとそこには大判小判がザクザク。「徳川家康の遺産」と伝えられる尾張徳川家ゆかりの金塊が目立っていました。
自分が子供の頃に流通していた、岩倉具視の五百円札や板垣退助の百円札伊藤博文の千円札など妙に懐かしく思えました。
世界の珍貨幣で驚いたのは、インフレに見舞われた時のドイツ紙幣、100兆マルク札。さらに上を行くのがハンガリーの10億兆ペンゴ札! 0の桁数は29桁という天文学的数字。
重さ100㎏や直径3.6mの石貨なんかもびっくりしました。
また実際の1億円の重さを持ってみる体験コーナーや紙幣せんべい、金の延べ棒ようかんなどの面白グッズも販売していて、期待以上に楽しむことができました。
※10億兆ペンゴとは・・・
=10垓(がい)ペンゴ =1×1021ペンゴ =1,OOO,OOO,OOO,OOO,OOO,OOO,OOO
ゼロが21個も並ぶそうです
▼ 貨幣博物館
東京都中央区日本橋本石町1-3-1(日本銀行分館内)
開館時間 : 9:30~16:30 無料 月曜休館 TEL 03-3279-1111
http://www.imes.boj.or.jp/cm/
[下町トム]
2010年4月21日 12:00
〔歌舞伎座〕がいよいよ今月限りで閉場となります。
連日、名残を惜しむ多くの人々が駆けつけてきています。
この日も雨模様のなか、ぞくぞくと人が集まってきます。ぼくもチケットを握り締めて、何度も通った正面玄関をゆっくりとくぐったのでした。入場した途端にほわっと芝居小屋の空気に包まれます。
場内はいつも以上に観客の興奮が広がります。ぎっしりと詰まった観客席には、最後の公演をしっかりと眼に焼き付けようという姿勢が見て取れます。
ご存知のとおり、現在の〔歌舞伎座〕は、何度かの改築を経て大正14年に現在の様式で建築され、戦災で消失後、昭和26年に復興されたものです。日本の歌舞伎文化の発信地として長く人々に愛されてきました。
東銀座というよりも、やはり〝木挽町の・・・〟というほうが雰囲気があるようにぼくには思えます。
3年後に次世代の劇場がオープンするまで、しばらくはお別れです。〝定式幕〟の前に設えられた〝付け板〟(舞台の効果音として拍子木を叩き打つ板)にも愛惜の風情が漂うようでした。
中央区に燦然と輝く芝居文化は、今後も歴史を育みます。歌舞伎座が休場の間も、新橋演舞場や明治座、三越劇場、ル・テアトル銀座など、いくつもの劇場で楽しむことができます。
都市文化の華としてこれからも大切にしたいものです。
続きを読む: しばしのお別れ〝歌舞伎座〟
[坂の上のねこ]
2010年4月12日 16:23
住吉神社、西仲通り(もんじゃストリート)といった有名観光スポットから
ちょっと離れているせいか、訪れる人はあまり多くありませんが、
佃3丁目の春海運河に面した護岸沿いは、通好みの穴場の散歩道といえるでしょう。
ここには、海水館跡の碑が建っています。海水館は、明治38年(1905年)に
開業した割烹旅館です。当時は、目の前に東京湾が広がり、房総の山まで見渡せる
風光明媚な場所だったため、多くの文化人が海水館に滞在したそうです。
島崎藤村の「春」、小山内薫の「大川端」は、ここで生まれた作品です。
「冬の海 見ればかなしや新佃 海水館は わび住みにして」
(by吉井勇・歌集「毒うつぎ」より)
そして、ガイドブックには決して載っていない見所がもうひとつ。
護岸の内側に沿って、見渡す限りのミニガーデンが連なっています。
ひとつひとつのブロックごとに、四季折々の花々が植えられているので、
隣のブロックと見比べながら歩くのも楽しいでしょう。
ただのコンクリートの塀でしかない護岸を、こんな風に利用して、エコと園芸の楽しさを
実現させているとは・・。地域の人々の柔軟な発想と美意識に脱帽です。
[銀造]
2010年4月11日 09:44
皆さん、こんにちは。 和泉橋から浅草橋までは歩いた事が無かったので、一巡りしました。
たんぽぽが咲いている好い季節です。 さあ、今日はどんな出会いと発見があるでしょうか?
神田川に沿ってあるくのは、浅草橋までは無理ですが、昔日に想いを馳せながら
昔から、柳原には、美人がつき物です。 迷子になっていた留学生を案内、パチリ!
浅草橋の郡代屋敷跡は、写楽斎さんが発表しているので、割愛。両国郵便局は中央区内です。
お隣の初音森神社です。ちょっとお参りしていきましょう。
「明暦の大火」について、説明を拝見。 いやはや、火事には気をつけましょう。
2階の踊り場には、ご由緒が説明されています。
川端を柳橋まで来ました。 椿油の香り、チントンシャンが聞こえてきそうです。
両国橋のたもとで。武蔵の国から下総方面へ愛犬と散歩の方もアングルに入りました。
両国広小路の碑を読んで。 横断歩道を渡って、
やはり、隅田川テラスを歩いてみましょう。
左手に水上バス、ヒミコなどをみて、右手に「ボタン博物館」などの建物を右に見ながら。
ここで上がりましょう。
金座通りを久松警察署、笠間稲荷神社の前を通って、人形町駅へ。
人形町駅で「玄冶店跡」、「うぶけや」さんの前を通って、椙森神社、宝田恵比寿神社を左にみて
小伝馬町駅前。 4月10日は真っ白な木蓮の花が咲き乱れていました。(この木蓮の学名は?)
十思公園で、吉田松陰さんなどが収監されていた「牢屋敷跡」で歴史のお勉強。
歴史とチャンバラに、ご興味のある方は、ちょっと先の「お玉が池跡」もお勧めです。
先ほどの小伝馬町駅前に戻り、馬喰町駅方面へ50mほど進んで、「江戸バス」で帰路に。
今は、区役所前の花桃が綺麗ですし、江戸バス(乗車賃¥100)に乗ったままでも
木蓮や水天宮周辺の桜など季節の花を楽しめますよ。