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中央区鉄道ものがたり <その6> 「海外へのアクセス」

[下町トム] 2012年3月 3日 08:30

中央区にまつわる鉄道のエピソード、第6弾です。

今回は海外へのアクセスルートについてとりあげてみます。airplane 


B787飛行.jpg中央区の海外アクセス拠点としては何と言っても箱崎の〔東京シティエアターミナル〕(愛称T-CAT)が思い浮かびますが、今回のシリーズはあくまで〝鉄道〟が主役ですので、その視点で眺めてみます。 


わが国の航空行政は、国内と海外の分離を目指し、1978(昭和53)年に海外空路の拠点として〔新東京国際空港〕(成田空港)が開港しました。海外へ出かける方、入国される方それぞれに、多くの人々が東京都心と成田との間を移動します。

馬喰町の総武線快速.jpg
区内を走る鉄道のなかでは、JR総武快速線(地下)に〝成田エクスプレス〟や〝エアポート快速〟が走りますし、都営浅草線を〝成田アクセス特急〟が走っています。いずれも、都心から乗換なしで海外の窓口までたどり着ける便利なアクセス路線です。train 


ところで、実はかつて〝成田新幹線〟という計画があったのをご存知でしょうか。


成田空港行き電車_R.JPG成田の開港前の開業を目指して1974(昭和49)年に着工されたものの、沿線住民の反対で頓挫し、着工凍結のあと、国鉄の民営化もあって、とうとう途中で断念された〝まぼろしの高速鉄道〟です。bullettrain

その時に取得された駅用地や線路用地を利用して、東京都心側では〔京葉線〕が開通しましたし、千葉県側では〔成田アクセス路線〕に転用されました。桜川公園_R.JPG今の京葉線・東京駅はもともとは新幹線のために準備されたものだということです。

もしそのまま新幹線が建設されていれば、鍛冶橋通りの地下から八丁堀あたりという今の京葉線とほぼ同じルートを走っていたはずです。八丁堀駅脇の〔桜川公園〕の地下近くを新幹線の電車が高速で走っている姿を想像してみると、少し不思議な気もします。sign02


東銀座駅ホーム_R.JPG

時は流れて、羽田空港も再国際化し、前述の都営浅草線はこちらの空へのアクセスとしても重宝されています。成田と羽田との直結路線として価値が高まっています。さらに高速化をするために、浅草と泉岳寺あたりを別線路で短絡させる計画もあるそうです。


空への憧れはますます高まります。中央区から、中央区へ、中央区を通過して、海外への新たな夢が広がります。またどこかに出かけたくなりました。heart04


 

 

芥川龍之介 3.1 生誕120年

[与太朗] 2012年3月 1日 08:30

IMG_0539.JPG 芥川龍之介は明治25年(1892)3月1日、京橋区入船町8丁目1番地(現・中央区明石町10,11聖路加看護大学あたり)で誕生しました。自作年譜によれば、辰年辰月辰日辰刻に生れたので龍之介と命名されました。今年も辰年、干支はちょうど二巡して生誕120年になります。


IMG_0183.JPG 実父新原敏三は牛乳業「耕牧舎」を営み、入船町に牧場を持っていました。ここは当時築地の外国人居留地で、日本人は三軒だけだったそうです。父43歳、母33歳の厄年の生れで、迷信から捨子の形式を踏んだそうですが、生後七ケ月で母が発病、母とともにその実家芥川家に移り、のち伯父道章の養子となります。芥川家は本所区小泉町十五番地(現・墨田区両国三丁目)にあり、代々江戸城のお数寄屋坊主の家柄、養母は江戸の大通人細木香以(『孤独地獄』)に登場しますね。)の姪で、生粋の江戸人の気質と趣味が一家に色濃く流れており、これが後の彼の芸術に大きな影響を与えたことはまちがいありません。


 彼は幼少年期を過ごした本所、両国を愛し、とくに大川(隅田川)には熱烈な讃歌を歌っています(『大川の水』)が、生誕の地・築地について書いたものはあるでしょうか。


IMG_0542.JPG 生後すぐ本所に移り、直接の記憶はあるはずもないですが、「僕は生れてから二十歳頃までずつと本所に住んでゐた者である。」(『本所両国』)などと入船町は端折られてしまっています。かろうじて築地居留地を描いた銅版画についてですが、和洋折衷の美しい調和を示していると懐しみをこめた表現がありました。(『開化の良人』)

 「時々私は二十年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が來ると云ふ事を想像する。---(略)--- けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に當つて、私の作品集を手にすべき一人の讀者のある事を。さうしてその讀者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気樓のある事を。」(『後世』)


 生誕120年、没後85年。彼の想像を裏切って、彼を愛する読者は増え続け、彼に対する評価は蜃気楼ではなく、スカイツリーのごとく高く確固たるものになっています。生誕120年の今年、「生誕地」中央区ではとくにイベントはないようですが、愛読者の一人として、やや寒気がゆるんだ一日、生誕の地を訪れてみました。

 

IMG_0543.JPG 蛇足を一つ。生誕の地は浅野内匠頭屋敷跡、生育の地の南に吉良上野介屋敷跡、と忠臣蔵にご縁があります。『或日の大石内蔵之助』執筆中、彼はこんな偶然を思い起こしたでしょうか。

 もう一つ蛇足を。今年は辰年、旧暦流に三月=辰月とすると、辰月辰日は3月8日と20日。はたして辰刻(午前8時前後)に平成の龍之介君が誕生するでしょうか。

 

 [ 写真上 ]   中央区明石町、生誕の地付近

 [ 写真右上 ]  生誕の地、説明板

 [ 写真右中 ]  江東区両国三丁目、生育の地付近

 [ 写真右下 ]  北区田端 終の住居「我鬼窟」跡付近

 


 

 

日本橋長門ー江戸風御菓子司の「雛あられ」

[滅紫] 2012年3月 1日 08:30

雛祭りが近づいてきました。雛人形、桃の花、あられ、菱餅、草もち、白酒、ちらし寿司、蛤。3月3日は季節の女の子のお節句として定着していますが、


―雛祭りの由来は複雑で、中国から伝わった人形(ひとがた)を流して祓う「上巳の祓え」、奈良・平安時代の貴族の間で行われていた「曲水の宴」、そして貴族の女の子たちの遊び「雛(ひいな)遊び」の三者の伝承を背景として今日の形へ変化したものと考えられる―([日本の暦と年中行事]新谷尚紀監修)のだそうです。


同書によれば、―中国では邪気に見舞われやすい忌み日として3月初めの巳の日に水辺で体を清め桃の酒を飲んで邪気を祓う風習があり、やがて上巳は同じ陽の日が重なる3月3日に定められた。―とのこと。「雛遊び」も女の子の遊びとして年中行われていたようで「源氏物語」にも様々な季節(末摘花ー正月、野分ー8月)等に出てきます。

この独立していた3種の風習が結びつき3月3日に雛人形を飾るようになったのは室町時代以降で、江戸時代に入ると江戸城への登城日である「五節句」に定められ、人形は段々手の込んだものとなり一般庶民にも定着したと云われています。


「東都歳時記」(天保8年1837年)には「上巳節供として●三日上巳御祝儀諸侯御登城。良賤佳節を祝す。蓬餅、桃花酒白酒炒豆等を以って時食とす●女子雛遊び2月末より屋中に段を構えて飾るなり。当歳の女子ある家初節句とて分て祝す●宿下がり・薮入り・汐干狩」とありますので、ほぼ現代と同じような雛祭りになっている様子が伺えます。喜田川守貞の「守貞漫稿」には「雛市、2月25日より3月3,5日頃まで江戸十軒店及び尾張町、麹町等、平日他業の家をも雛商人これを借り、また、中店(なかだな)と号して大路の中央に往来を残し両側ともに仮店を列す。官許なり」と雛市の賑わいを描いています。因みに「雛祭りが終わると早く人形を片付けないと・・・・」と云われているのは本来人形(ひとかた)として流していたのが豪華な人形になり、流すにしのびなくなったため、その代わりに「早く片付ける」ことで「穢れを祓った」とみなすことになったということです。「・・・・・」については不明!です。


雛祭りのお菓子は京都の「引千切り」、「草もち」などたくさんありますがこのお節句だけの特別なものはやはり「雛あられ」でしょう。今回ご紹介するのは「日本橋長門」さんの雛あられです。

100_0415.JPG
長門さんはご紹介するまでもない有名店ですが、八重洲口から高島屋に通じる桜通りにあります。お店の案内によれば創業は享保年間(1716~1735)将軍吉宗の頃、幕府御用の菓子司となり「松岡長門掾藤原信吉」の名前を拝領、苗字帯刀を許されていたそうです。


「雛あられ」は黒砂糖味で可愛い袋に入っている(800円)と菱餅型の箱に入っている(3300円)の2種類があります。写真は袋入りです。また他にも将軍家お出入りだったことを示す「葵最中」、「松風」(これは予約だけ)「わらび久寿餅」「江戸風切り羊羹」が人気です。写真は「わらび久寿もち」(850円)です。本わらび粉使用で一度いただくとやみつきになります。


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世界各地で日本食品がどこでも手に入る現在とは違う30年以上前、クウエート支店に異動になった上司のところに出張者にこの長門の切り羊羹を託したところ、テレックス(メールのない時代です)の返事の最後に「YOUKAN NAMIDA」(羊羹 涙)とありました。


日本橋長門

中央区日本橋3-1-3 TEL3271-8662 日祝休み


 

 

麒麟の翼のアイテム~和紙十色

[みど] 2012年3月 1日 08:30

現在公開中の「麒麟の翼」は日本橋・人形町を舞台とした
ミステリー映画であることは皆さんもご存知かと思います。
この「麒麟の翼」で鍵になっているのは「和紙十色」という
和紙専門店「小津和紙」が販売する色紙セットなのです。

お店にお邪魔したところ「麒麟の翼」のポスターやチラシ
と一緒に「和紙十色」(1,050円)が販売されていました。
書籍(原作)には「和紙十色」が登場している箇所にライン
マーカーで塗られていたりして・・・

「和紙十色」は名前の通り10センチ角の和紙が10色、各10枚
ずつセットになっていますが、実は映画が製作される前は
「和紙百色」(大=2,100円、小=1,050円)で販売されて
いたそうです。映画化される際に、物語に合わせた10色を
選んで商品化したとのことです。
商品の隣には十色の和紙で折り鶴がありましたが、とても
いい感じで心が癒されました。ちょっとしたプレゼントにも
なるのではないでしょうか。

小津和紙の二階には「小津ギャラリー」「小津史料館」
「小津文化教室」などあり「里山サロン」という無料休憩室
も設置してあります。無料でお茶も飲めるので、日本橋
界隈の散歩で疲れた時には、ちょうど良い休憩所ではない
でしょうか。

小津和紙  http://www.ozuwashi.net/
 中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル
 TEL 03-3662-1184
 営業時間 10時~19時(日曜定休)

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