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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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3月15日は「靴の記念日」-靴業発祥の地ー

[滅紫] 2013年3月13日 09:00

「今日は何の日」には歴史上の記念日、偉人や有名人の誕生日、そして上手いのやちょっと苦しい語呂合わせの記念日がありますが、この「靴の記念日」は明治3年(1870)西村勝三が革靴の製造工場を現在の入船3丁目に創建した日を記念したものです。

 

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日本人名辞典(新潮社)によると西村勝三は「天保7年(1836)江戸生まれで下総佐倉藩側用人の三男。兄の西村茂樹は明治期の官僚、道徳思想家で貴族院議員、華族学校長。西洋砲術を学び、安政3年、脱藩して商人に転じる。慶應3年(1867)江戸に鉄砲店を開業、維新後大総督府御用達となる。明治3年以後伊勢勝製靴工場、製革工場、メリヤス工場を設立。明治8年耐火煉瓦の製造を始め、20年品川白レンが製造所を設立、斯業の先覚となった。」とあります。


「武士を捨て商人に転じた」のはやはり時勢を見据えての才覚があったのでしょうか。製靴業を始めたきっかけは陸軍の創始者である大村益次郎が輸入した軍靴が大きすぎるため「日本人の足にあう西洋靴を作る」提案に応じたことによるそうです。その工場を造った場所が現在の入船3-2-10、ITOKIさんのビルのエントランス植栽の中にこの「靴業発祥の地」の碑が立っています。「進取の気性に富んだ佐倉藩主の堀田正倫も支援した」とありますが、この堀田正倫の父は歴史の教科書でお馴染みの堀田正睦(老中首座)で、下総佐倉藩は中央区との縁も深く、茶の木神社(人形町1丁目)の場所は堀田家の中屋敷がありその守護神を祀っていたところだそうです。


散歩の足を少しのばしてみると中央区では「?!」という碑に出会います。江戸や明治がそこここに生き続けているのを見つけるのは思いがけない楽しみです。散歩には最適の季節になってきました。


花粉とPM2.5に注意しながら「歴史散歩」に出かけませんか。


「靴業発祥の地」の碑 入船3-2-10 地下鉄新富町駅そば

 

 

 

戦争の傷跡

[北遊人] 2013年3月10日 09:00

 清洲橋通りを南に歩いて行くと、右側久松町のところに"きくの家"という洒落た和食のお店があります。このお店の通り側壁面に終戦の日の浜町周辺のパネル写真をみることができます。

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 一面焼け野原で空襲の惨劇がそのまま残されている感じです。

明治座まで歩いて行きますと、前の浜町公園への緑道入り口に小さなお堂が見えます。

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 "明治観音堂建立の由来" 碑には

 本堂は昭和20年3月10日の戦災に依り死没せる幾多の霊の冥福を祈る為建立す

      昭和25年12月

       発願主  新田新作

とあります。(新田新作氏は明治座再興に尽力された方です)

 明治座は空襲時の避難場所にもなっており昭和20年3月10日の東京大空襲の被災時に大勢の方々が亡くなられたそうです。

 奥に見える貼り紙は3月10日の明治座で行われる慰霊供養に関するお知らせです。

 3月11日は東日本大震災の2周年に当たり、こちら(東京大空襲)は徐々に風化されていくのでしょうか、、。

 

 

 

中央区鉄道ものがたり <番外編> 「日比谷線相互直通運転の歴史」

[下町トム] 2013年3月 9日 09:00

寒かった冬もようやく季節の変わり目を迎え、少しずつ春の兆しが広がってきました。中央区の各地域でも草花の芽吹きやちょっとした風の香りに春を感じる機会も増えてくることでしょう。denim 

 

2013.3_日比谷線 (0)-2_R.JPG春は交通機関にとっても節目のシーズンです。主にこの時期にダイヤ改正が行われるからです。需要と設備事情に応じて新たなダイヤが設定されます。今年は3月16日にJRや私鉄で改正が実施されます。

東京での話題といえば、東京メトロ副都心線と東急東横線が相互直通を開始します。これにより、東武東上線、西武池袋線が副都心線を経由して東急からさらに先のみなとみらい線まで含めた5社相互直通を実現することになりました。これを契機に人の流れを引き寄せようと沿線各地で商戦も活発になっているようです。present 

 

東急(北千住行き).jpgそれだけでは中央区にはあまり関係ないようですが、そうではありません。まず、副都心線と並行運行されている有楽町線では増発などの措置が実施されます。それよりも今回の5社相互直通運転開始に伴い、副都心線・有楽町線のラッシュ時の混雑が増し、特に朝のダイヤの乱れが一層大きくなることが想定されます。区内の有楽町線「銀座一丁目」ならびに「新富町」「月島」各駅を利用される方はご注意下さい。

 

さらに、最も衝撃的なのは、副都心線と東急東横線の直通に伴い、東急と日比谷線との相互直通が終了することです。(東武側は継続して実施)

日比谷線は中央区にとっても重要な路線です。区内に7つもの駅があります。銀座線の4駅、都営浅草線の5駅に比べても多く、身近な路線でもあります。また、始発列車が八丁堀を5時に出発するのも親しみを感じます。subway 

2013.3_日比谷線 (4)_R.JPGそもそも日比谷線と東急東横線、東武伊勢崎線との3社相互直通は今からほぼ半世紀前の1964(昭和39)年に開始されました。東京オリンピックに間に合わせるために日比谷線全線開通が急がれたそうです。もちろん、激増する人の流れを円滑にすることにも貢献してきました。わが国の多路線相互乗り入れのパイオニア的存在でもあります。

当時、議論になったのは使用する列車の長さでした。18m車にするか20m車にするかで意見が分かれたのですが、結局カーブが多いことを理由に営団地下鉄(現東京メトロ)が主張した18m車が採用されました。現在ではほとんどの都市型鉄道では20m車が使われていますので、よく観ると日比谷線の車両は車長が短いことに気づきます。

 

2013.3_日比谷線 (5)-2_R.JPG埼玉県東部や神奈川県北東部から都心に通う通勤・通学客にとって、乗換なしで直通できるこのしくみは大いに歓迎され、長く親しまれてきました。しかし、その後、東京の鉄道網はさらに整備され、たとえば、横浜方面から都心に向かうのに、日比谷線に頼っていた人たちがJR新宿湘南ラインや地下鉄南北線、地下鉄三田線などに分かれていくようになって、だんだんと日比谷線の相対的価値が下がってきました。さらに今度の副都心線直通により、日比谷線の役割は大きく低下することになったと考えられます。

そのうえ、前述の車長の問題もあり、積載容量の比較から18m車を東横線で走らせることに東急が見切りをつけたともいえます。train 

 

20120817日比谷線の東急車輛_R.JPG結果として、3月16日からは日比谷線から菊名方面への直通運転が見られなくなり、一抹の寂しさを禁じ得ません。各駅の時刻表に記されていた行先表示の中から「菊名行き」や「武蔵小杉行き」が消えることになります。

同時に、東急から日比谷線に乗り入れていた<東急1000系>の運行もこれを機に終了となる見込みです。日比谷線直通専用として運用されていたので、廃車になるか他社に転用されるか分かりませんが、この東急カラーを日比谷線で見られなくなることだけは事実です。weep  

以前にたまに運行されていた臨時列車「みなとみらい号」(北千住―元町・中華街)ももう見られないでしょうか。

 

時代とともに交通機関の運用も変化していくのは当然ですが、昭和の都市アクセスをしっかり支えてくれた日比谷線の直通運転の歴史に思いを馳せ、感謝の気持ちでこの節目を見守りたいと思います。confident 


 

 

常盤稲荷神社 築地市場内の水神社との関係

[銀造] 2013年3月 7日 08:30

 2月のある日、日本橋小舟町にやってきました。 ふとしたことで知り合いになった方に、地元の歴史秘話、隠れた名店を教えて頂きました。 そんな歴史秘話の一つが、日本橋本町一丁目八番地に鎮座される、「常盤稲荷神社」です。

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 常盤稲荷神社について、こちらの説明板に詳しく記述されていました。

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 ご由緒について、ご祭神は倉稲魂命(稲荷大神)で室町時代に大田道灌が江戸城築城の際に、京都伏見稲荷大神の御分霊をいただき、常盤稲荷と名づけ同城の守護神として勧請された。後に、徳川家康公開府により、江戸城廓拡張工事が行われ現在の常盤橋辺りに社殿が移された。その後、更に日本橋魚市場内に移り、市場の守護神水神大神(罔象女命みずはのめのかみ)を相殿に祀り、鎮座された。当時は、大市場交易神と称され盛大な水神祭が行われ、神田祭、三天王祭と共に、大江戸の名物行事でもあった。この水神大神は、明治34年に神田神社境内に遷され水神社と改称し、築地市場の守護神として祀られ今日に至っている。・・・とのご説明です。 shine

やはり、地元の方のお話を伺う機会を沢山持たなくてはいけないなと思った次第です。

 

 

 

◆中央区の地域活動団体が集合 「まちの大文化祭」 ~3/2、協働ステーション中央~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年3月 5日 13:00

中央区内で活動しているNPO・ボランティア団体が参加したイベントが32日(土)午後1時から6時まで、十思スクエア内の協働ステーション中央で開かれた。この日は一般公開され、参加団体は訪れた人々へ日頃の活動を披露する機会となり、さらには団体間の交流の場にもなった。

 

0913_491_130302 daibunnkasai01.JPG「知る・笑う・つながる まちの大文化祭」と銘打ち、中央区文化財サポーター協会をはじめ13団体がワークショップなどで参加・出展した。このイベントは、これまで見本市の呼び名で区役所会議室などで開催されたが、今回から会場をここに移した。

 

中央区の歴史・観光まち歩きボランティアガイドで活動する中央区文化財サポーター協会は、午後1時から30分間、中央区のまち歩きバーチャル体験を紹介した(写真)日本橋、築地・佃島、銀座の3コースについてスライドショーを使って上映し、見どころや隠れたスポットを各コース担当者が解説・プレゼンテーションした。実際のまち歩きとは違った中央区の歴史・観光の魅力再発見をしてもらおうと企画したもの。

 

この文化祭で、「十思公園の春をみつけよう!」ワークショップは公園を歩いて、植わっているビワの木の花弁などをルーペで観察したり、触ったりして植物を身近で見る体験や人形町在住の落語家による「落語de地域を知る」と題した噺など楽しいプラグラムが繰り広げられた。●巻渕彰

 

◇詳しくは「中央区社会貢献活動情報サイト」 >>こちら をご覧ください。

 

 

 

MIKIMOTO's 120th anniversary and Primula sieboldii

[銀造] 2013年3月 5日 08:30

真珠で有名な、銀座4丁目のミキモト。 今年は120周年記念だそうです。おめでとうございます。

入り口の植え込みには、サクラソウが鮮やかな色を添えて、一足早い春です。

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そして、入り口右手の小さなウインドウには、素敵なオブジェ。

是非、訪れて、何かをお確かめ下さい。 ギョッ!とするでしょう。

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