[サム]
2014年11月29日 09:00
11月28日は、小網神社「どぶろく祭」。
五穀豊穣を感謝する「新嘗祭」で供え物のにごり酒「どぶろく」を参拝者に振舞ったことが起こりとされる。
新嘗祭は通常11月23日に行なわれるが、同地域は休日の人口が減るため、例年11月28日(日曜の場合は29日、土曜の場合は27日)に開催されていると云う。
当日は、当神社の御利益に因んだ日本酒「強運」の一合瓶、強運厄除の「みみずく」が限定頒布されるため、この日も朝早くから長い列。
「みみずく」は、11月のどぶろく祭に因み、秋の七草を代表する「すすき」を素材にし、強運厄除・営業繁栄の御利益が自らの「み」(身)と家族の「み」(身)に「つく」ということから授与されている由。
どぶろくは朝9時から夕方まで参拝者に振舞われる。
(大中小、容量の異なる3種類の紙コップが用意されている)
12時から祭礼の後、国指定無形民俗文化財「里神楽舞」が神前で奉納される。
小網神社は文正元年(1466年)に鎮座され、来る平成28年に550年を迎えるとされる。
この佳節を奉祝し、昨年より順次境内整備が行なわれている。
平成25年には授与所の移設、「銭洗いの井」の移築。
今後社殿及び神楽殿の屋根銅板葺き替え工事が予定されていると聞く。
[与太朗]
2014年11月28日 14:00
人が 詩人として生涯ををはるためには
君のやうに聡明に 清純に
純潔に生きなければならなかった
さうして君のやうに また
早く死ななければ !
(三好達治『暮春嘆息』)
同人誌「四季」の仲間、三好達治がその夭折を嘆いた詩人こそ、日本橋生れの立原道造(1914-1939)でした。今年は彼の生誕100年、没後75年という節目の年にあたります。
立原道造は大正三年(1914)七月、日本橋区橘町三丁目一番地(現、中央区東日本橋3-9-2辺り)に生れました。母方の祖には名高い儒学者立原翠軒、その子で画家の立原杏所がいます。生家の家業は荷造用の木箱の製造で、日本橋の問屋街の中心でかなり手広く営まれていました。下町文化の中で成長した彼は、浜町の養徳幼稚園、久松小学校へと進み、久松小では開校以来の俊童といわれ、六年間首席を通しました。その後、芥川龍之介・堀辰雄と同じく三中・一高・帝大と進みますが、大学では文学部ではなく建築を学び、こちらでも才能を発揮、最優秀の学生に与えられる「辰野(金吾)賞」を三度も受賞しています。卒業後は数寄屋橋畔にあった著名な建築家石本喜久治の建築事務所に入社、いくつかの建物を設計しました。
詩作の方面では、中学時代に北原白秋の世田谷若林の自宅を訪問するなど、早くから興味を持って詩作を続け、大学入学後は創刊された月刊「四季」の同人として活動が本格化します。石本建築事務所入社の年(昭和十二年)には詩集「萱草に寄す」「暁と夕の詩」を立て続けに刊行、昭和十四年三月、結核の病状急変で短い生涯を終える前月には「中原中也賞」の第一回受賞者に選ばれました。彼の詩は十四行のソネット形式で、繊細・純粋で音楽的な抒情詩と評されます。三好達治は「我々の国語を以て語りうる、歌いうる限りの微妙に軽快な音楽」と言っています。ソネットという設計図面と日本語という建築素材で建てられたすぐれた抒情詩という感があります。彼の詩はよく音楽的といわれますが、「建築は凍れる音楽」という言葉があるようですから、むべなるかなですね。日本の抒情詩によくある感傷・詠嘆的なものや私小説的なものは極力排した抽象画のような、理科系頭脳による抒情詩に思えます。
彼の設計した建築物はすべて失われてしまいました。ただ、彼が職場で知り合った水戸部アサイとの新婚生活を夢見て、死の直前まで準備を進めていた浦和の別所沼畔の別荘「風信子荘(ヒヤシンスハウス)」が、遺された構想スケッチをもとに有志の方々の尽力で2004年に建てられました。(彼の考えていた場所は沼の反対側だったそうですが。) 今年でちょうど10年になります。
生誕100年の今年、堀辰雄との縁でしばしば訪れ、しばしば彼の詩の舞台ともなった信州の軽井沢や別所沼では記念のイベントが行われました。生地であり、短い生涯のほとんどを過ごした中央区では特段のイベントはなかったようです。彼は本来の江戸っ子的な部分を外に出さなかったり、地元を作品の舞台にすることもなかったのでなじみが薄いのでしょうか。ちょっとさびしい気もします。ということで、小春日和の一日、立原道造を偲んで、(信州まではちと苦しいので) 生家辺り・久松小・谷中の多宝院の墓・別所沼ヒヤシンスハウスなどを歩いてきました。
【写真上から】
● 現在の旧橘町生家辺り
震災後に新築された家の屋根裏部屋で多くの詩と建築設計図が生れました
● 久松小、正門左側の「立原道造ここに学ぶ」碑
● 谷中多宝院の立原家の墓
● さいたま市南区別所沼公園内の風信子荘(ヒヤシンスハウス)
[巻渕彰/写楽さい]
2014年11月26日 14:00
秋の中央区歴史散歩2014「江戸初期の埋立地を歩く」の前編第1回が11月22日(土)開催された。この歴史散歩は中央区の成り立ちを探訪するシリーズで、春の「江戸前島を歩く」に続く第2弾。明暦の大火(1657年)以前に形成された江戸初期の埋立地を古地図を見ながら歩こうという企画。第1回は京橋・八丁堀・新川編で、第2回は11/30、大川端・中洲・浜町編を開催する(申込締切済)。実施はまち歩きボランティアガイド団体の中央区文化財サポーター協会。くわしくは「区のおしらせ中央」11月1日号、こちら>>
第1回のこの日は穏やかな小春日和。京橋の東京スクエアガーデン前から出発し、江戸前島だった京橋跡、三十間堀跡を経て、「三つ橋跡」を越えると、江戸初期に埋め立てられた地域に入る。堀割の「八丁堀(明治期以降は桜川)」に沿って陸地が築かれた。亀島川に接する場所までが江戸市中に物資を運ぶ八丁堀舟入である。現在は稲荷橋跡に面影が残る。
南高橋を渡ると新川。隅田川テラスに出て、船手番所があった辺りは江戸湊の最先端であった。明治期にはここで水位が測られ標高の基準がつくられた。中央大橋手前の八重洲通りは越前堀があり、松平越前守屋敷跡でもある。北側一帯は霊巌寺が創建された場所である。明暦の大火後は新川が開削され酒問屋で賑わった。新川大神宮(写真)を経て、霊岸橋を渡り、茅場町で解散した。@巻渕彰
[下町トム]
2014年11月20日 09:00
中央区は交通網が発達した便利な地域です。公共交通も、JR、地下鉄、都バス、コミュニティバスなどが縦横に走っています。なじみが深いのは銀座や日本橋を通っている「銀座線」かもしれませんが、もうひとつ地下鉄路線で忘れてならないのは「日比谷線」です。区内に銀座線を上回る7つの駅を配し、区民だけではなく多くの利用客にとって重要な路線です。
日比谷線は、都内交通の至便性を高めるために早い段階で計画され、当初から私鉄との相互直通を前提に建設されました。1961(昭和36)年に部分開業した後、前回の東京オリンピックに間に合わせるため工事を急いで進め、1964(昭和39)年に全線開業にこぎつけました。そして今年はその50周年の節目を迎えたのです。まさしく、戦後の日本や東京の発展の歴史とともに生まれ、育ってきた鉄道路線といえるでしょう。沿線の中でも、最も存在感があるのは中央区の駅群ではないでしょうか。小さな区域をこまめに走って、域内流動の足としても重宝されています。
日比谷線では長い間、3000系というユーモアあふれるフェースをした銀色の車両が親しまれました。東京メトロで配布した記念パンフレットの表紙も飾っています。何しろ、当時の営団地下鉄では初めて採用された"セミステンレス車両"だったのです。また安全向上のために初めてATC(自動列車制御装置)も搭載されました。そのデザインも含めて画期的な名車だったと思います。
その後、現在では03系という銀色の帯をまとった車両が走っています。他にも相互乗り入れしている東武鉄道からの車両もやってきます。昨年までは東急線とも相互乗り入れをしていたので、東急車両もときどき見られたのですが、それはなくなってしまって少々さびしい気もします。東京メトロと東武は、このたび、2016年度から新型車両を投入する計画を発表しました。現在の18m8両編成から、20m7両編成に2019年度までに統一し、あわせてホームドアも整備するそうです。進化する日比谷線にますます関心が高まります。
日比谷線は、当時道路を地上から掘削して鉄路を建設する工法が採用されたのであまり深いところを走っていません。そのせいもあって道路の下を基本的に走るためにあちらこちらで急カーブがあります。地上の通気口からそのカーブを通過する際の軋む音が漏れ聞こえることもあります。何だか親しみのある電車なんです。中央区内の仕事、買い物、散策の際に、是非日比谷線を愛用してください。いろんな町を訪れることができますよ。
[ジミニー☆クリケット]
2014年11月19日 09:00
中央区の築地エリアと勝どきエリアを結ぶ勝鬨橋は、国指定の重要文化財です
この橋は、昭和15年(1940年)に完成した双葉跳開橋で、橋の中央部が跳ね上がるしくみで、そのために築地側に設けられた変電所が、現在、「かちどき 橋の資料館」になっています
資料館の前には、「かちどきのわたし」の石碑もあります。この「渡し」は明治38年(1905年)に設置され、「かちどき」の名前は、日露戦争における旅順陥落に因むそうです
資料館の壁面には、歴史を感じさせる「勝鬨橋変電所」のパネルが残っています
資料館の1階に、勝鬨橋を動かしていた発電機が当時のままに保存・展示されています
階段を上がると、2階では、電気設備の配電盤を見ることができます
建物に入った時に、かすかにオイルのにおいがして、思わず「今も機械にオイルを差しているのですか」と、受付の方に聞いてしまいました。「差していません」との回答で、変電所の頃の残り香ということでしょうか?
資料館の開館時間は、9時30分から16時30分まで
休館日は、日・月・水曜日で、入場は無料です
橋脚内を見学できるツアーもありますよ
ちなみに、上の写真は、勝鬨橋から見た、最も新しい橋、築地大橋です
「かちどき 橋の資料館」のHPは ⇒ http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kachidoki/
[Mr.Chuo-ku]
2014年11月 6日 09:00
東京駅が今年12月20日に開業100周年を迎え、八重洲・日本橋エリアへの玄関口として整備が進められていた八重洲口駅前広場が全面使用開始されたことを記念し、東京駅から日本橋まで歴史を感じながら散策するイベントが開催されます。
イベント期間中は、東京駅および、大丸東京店、日本橋髙島屋、日本橋三越本店、日本橋案内所(コレド室町)の5ヶ所で、東京駅~日本橋間の散策マップと限定ノベルティである記念レプリカ硬券が配布されるそうです。
記念レプリカ硬券(イメージ)
散策マップには、東京駅・八重洲と日本橋エリアの、江戸・大正および現在の地図と、老舗店舗や歴史的見どころが掲載されており、参加者は歴史を旅する感覚で散策を楽しめるようです。
期間:2014年10月11日(土) ~ 12月20日(土)
場所:JR東日本 東京駅、大丸東京店、日本橋髙島屋、日本橋三越本店、日本橋案内所(コレド室町)