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人形町亀井堂  Traditional Japanese Bisquit, Ningyocho Kameido

[HK] 2016年5月 5日 14:00

瓦煎餅の有名店、人形町亀井堂さんに行ってきました。

甘酒横丁の交差点を浜町公園方面に数十メートル進んだ右手にあります。 

One of the most famous and established Japanese confectionery is Kawarasenbei made and sold at Ningyocho Kameido. The head store is located along Amazake Yokocho Street.

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実は瓦煎餅は好物ではありませんでした。 ところが人形町亀井堂さんの瓦煎餅を頂いてからはその概念は覆されました。今まで食べてきたものは何だったのだろう?なぜこんなに違うのだろう?素朴な疑問をずうずうしくも社長の佐々木さんにぶつけてみたところ、満面の笑みを浮かべて答えて下さいました。

「うちは創業来の製法を頑なに守っています。 砂糖、小麦粉、卵、蜂蜜以外の材料は使いません。 また保存料は一切使用せず、3日を過ぎた袋入り人形焼は店頭から外します。」と、きっぱりとおっしゃいました。 伝統を守り品質管理を徹底することが美味しさの秘訣のようでした。 暖簾を守るとはこういうことなのでしょうね。

For long time, Kawarasenbei, which is the nomenclature of the traditional japanese bisquit, was not one of my favorite sweets, but after I have experienced Kameido's delicacy, my whole image of this bisquit have changed.  What have I been eating before? Why is this so good and special? 

Mr. Kenji Sasaki, the president of the company gave me an answer distinctly and that is;

"We have not changed the recipe ever since company's foundation.  We only use sugar, flour, egg, and honey.  No preservative included and no display if the product (packed ningyoyaki) is over 3 days."

So, traditional recipe and strict quality control may be the key points.

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そして社長から人形町亀井堂の由来を教えて頂きました。

明治6年、神戸元町に創業した亀井堂総本店より、昭和4年、江戸初期から東京に在住する旧家、人形町佐々木家嫡流にのれん分けのかたちで任されたのが、初代人形町亀井堂のご主人 佐々木顯發(ささき げんぱつ)さん。 京橋の親柱の橋名を揮毫した佐々木支陰の孫にあたります。

また、佐々木支陰の父に当たる信濃守顯發(しなののかみあきのぶ)は、幕末の重鎮であり、大身の旗本でした。

The first Kameido store, famous for its product Kawarasenbei, had started its business in Kobe in 1874.  In 1927, Mr. Sasaki's grandfather Genpatsu Sasaki was given privilege to use the name "Kameido" and start a business of his own in Tokyo after many years of training. 

Genpatsu's grandfather was Shiin Sasaki who is famous for the calligraphy of the Kyobashi bridge pillar.

Genpatsu's great grandfather, Shinanonokami Akinobu who was great grandfather of Genpatsu was high ranked magistrate during Edo era.

 

 

朝散大夫信濃守顯發(ちょうさんだいふしなののかみあきのぶ)

幕末に江戸南北町奉行や外国奉行を歴任し、その名奉行ぶりは落語の「佐々木政談」によって知ることができます。

また、朝廷より信濃守任官を宣下する朝廷の宣旨が本店に掲げられています。 

人形町亀井堂 初代店主 佐々木顯發(げんぱつ)の曾祖父にあたります。

Shinanonokami Akinobu

During Edo era, Akinobu was high ranked magistrate bugyo in charge of finance, law, and foreign affairs. His management competence is known through Rakuko (Japanese comic story), "Sasaki Seidan (political talk)".  He was honored by Emperor as Shinannookami.  The written imperial order can be seen at Ningyocho Kamiedo.

Akinobu is the great grandfather of the founder of Ningyocho Kameido, Genpatsu Sasaki.

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佐々木支陰(ささきしいん)

信濃守顯發の長男であり漢学者で詩人。 揮毫した「京橋」の親柱は今も「京橋碑」として銀座中央通りに風格を与え、中央区の区民有形文化財に指定されています。

佐々木顯發(げんぱつ)の祖父にあたります。

Shiin Sasaki

The firstborn son of Akinobu who was scholar and poet. The name of the Kyobashi bridge engraved on the pillar of the bridge which is registered as tangible cultural asset of the city of Chuo-ku, had been written by Shiin.

Shiin is the grandfather of the founder of Ningyocho Kamiedo, Genpatsu Sasaki.

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佐々木顯發(ささきげんぱつ)

人形町亀井堂の初代店主。 士族の出でありながら幼い頃から奉公に出て、幕府互解後の混乱、大正の大震災、昭和の大戦など激動の時代をその機知と才覚で駆け抜け成功をおさめた快男児。 神戸の亀井堂総本家の創業者や上野亀井堂の主人に認められ、一店を任されます。 「~亀井堂ものがたり~ 東京下町噺」は、顯發の三男 佐々木雅發が父親から聞き取りまとめた記録文書で、当時の街並みや明治後半から昭和の高度経済成長期迄の史実が詳細に記述されており、歴史本としても楽しめる書物です。

顯發は現在の社長の祖父にあたります。 

Genpatsu Sasaki

The founder of Ningyocho Kameido.  Though born in noble family, Genpatsu had to make a living after the great reform of the government.  He had gone through the confusion of Meiji era, survived the great earthquake of Taisho era, and lived through the World War of Showa era, and won his success with his wit and talent.  After years of training, he was given privilege to use the name "Kameido" and start his own business in Tokyo.   Genpatsu's biography "Kameido Story" written by his third son can also be enjoyed as a history book which also writes about the culture and historical events from Meiji to Showa.

Genpatsu is the grandfather of Mr. Kenji Sasaki, now president of the company.

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人形町亀井堂さんの瓦煎餅、人形焼きは本店ビル3階と6階で作られており、いつでも出来立てを買うことができます。 そして瓦煎餅は軽くて持ち運びが便利なうえ常温で3ヵ月保存がきくので、季節問わず贈答品として重宝されています。 瓦煎餅は2~3枚ずつ小分けに包装されているので、湿気の心配もありません。 また、社長のアイディアから生まれた国産のピーナッツを使った柿ピーは大好評で、まとめ買いをする顧客もいるそうです。 品質維持のため量産されていないので、なるべく早い時間帯に買いに行くことをお勧めします。

Kawarasenbei (japanese bisquit) and Ningyoyaki (sponge cake filled with red bean paste) are freshly made at the upper floor of the store. Kawarasenbei is made without any perservative, neverthelesss keeps at least for two months. It is wrapped in a small portion to avoid moist.  Since Kawarasenbei is so light to carry, many people buy them for souvenirs. 

The current popular selling line is Kakipea (peanuts and spicy rice crackers mix) using peanut only made in Japan, which came through the idea of Mr. Sasaki.  Since it is so crispy and good, some customers buy them in bulk.  To keep the good quality of the product, Kakipea is not produced in large quantitiesass, so if you buy them, visiting the store in early hours is recommended.

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品数が豊富なので迷ってしまいますが、用途に合わせた選び方をアドバイスして頂けます。

Varieties of products are displayed, but you can have an appropriate advice at the store.

CIMG1177.JPGCIMG1160.JPGのサムネイル画像<補足>

(「~亀井堂ものがた~東京下町噺」より)

Quote from  "Kameido Story"

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またこの頃、谷崎潤一郎と松子夫人が買い物に来た。 黒いインバネスを羽織った谷崎は店の中には入らず歩道の端に立って店の看板を見上げたり、時々店の仲を覗くように見たりしていたが、松子夫人は親しく店の奥まで入り、いろいろと話したりしていた。

In these days, *Junichiro Tanizaki visited the store with his wife Matsuko.  He wore black inverness coat, did not get in to the store but stood at the edge of the sidewalk, looking up at the signboard, sometimes peeking inside.  Matsuko walked in and chatted with the shopkeeper.

*Junichiro Tanizaki: Japanese author, one of the major writers of modern Japanese literature.

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谷崎潤一郎夫妻は瓦煎餅を自宅で召し上がったのでしょうか、それともどこかにお土産として持って行ったのでしょうか、当時と同じ味を頂けると思うと少しうれしいです。

Did Tanizaki and his wife tasted the sweets at home or did they brought it to someone as a souveniour?  Kawarasenbei that you can have now tastes as same as their time.

店前.JPG佐々木社長、どうもありがとうございました。 

いつまでも美味しいお菓子を世に送り続けて下さい。

Thank you very much Mr. Sasaki!

A great appreciation for the great story.

 

 

 

聖路加国際病院

[CAM] 2016年5月 4日 18:00

 

 家人が入院、手術したことから、連日、聖路加国際病院へ通っています。私自身も、毎年同病院付属クリニック・聖路加予防医療センター(聖路加タワー3階)で定期検診を受けているので、その清潔さ、スタッフの優秀さについては十分に認識していたつもりでしたが、家人が実際に入院し、連日見舞いに通ってみて、あらためてこの病院の素晴らしさが分かりました。

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  玄関にはこの病院の理念が掲げられています。

This hospital is a living organism
designed to demonstrate
in convincing terms
the transmuting power of Christian love
when applied
in relief of human suffering.
                                       Rudolf B.Teusler(1933)

キリスト教の愛の心が
人の悩みを救うために働けば
苦しみは消えて
その人は生まれ変わったようになる
この偉大な愛の力を
だれもがすぐわかるように
計画されてできた生きた有機体がこの病院である
                        ルドルフ・B・トイスラー(1933)

 

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 また、「受診される皆様の権利」として、「聖路加国際病院は、当院を受診される皆様が以下の権利を有することを確認し、尊重します」とされています。

  1. 人間としての尊厳をもって医療を受ける権利
  1. 最善の医療を受ける権利
  1. 自らの心身の状況に関わる情報を得る権利
  1. 医療サービスの内容と予測される結果について説明を受ける権利
  1. 他の医療者の意見(セカンドオピニオン)を求める権利
  1. 十分な情報を得た上で、自己の自由な意思に基づいて医療を受け、あるいは拒否する権利
  1. 研究や教育への参加を拒否する権利
  1. プライバシーが保たれる権利
  1. 医療費とその公的援助に関する情報を受ける権利

 

 このたびの経験から、これらの権利が尊重され、理念が実践されていることが感じとられました。

 ある医療の世界に詳しい知人は、「聖路加国際病院に入院できることは本当に幸せですよ」と言っていました。東京都中央区の住民として、このような幸せを享受できることには感謝するべきでしょう。ただし、私は意気地なしだから、できればこのような"幸せ"は実地に体験しないまま、手術を受けることなど経験せずに世を去りたいものとは思いますが・・・

 

 私事になりますが、私は関西の某公立医大に合格したことがあります。実際には、医大には入学金(当時で5万円)を払っただけで、某大学(文系)に入学・卒業したのですが(当時は、国立大学の入試は5教科7科目で、数学の試験範囲、配点が異なることを除けば文理の科目上の差はなかったし、公立医科大学は、国立Ⅰ期・Ⅱ期の前に、別日程で入試を行っていた。それだけに、競争倍率はかなり高かった)、聖路加病院で優秀な医師の姿に接し、愚かな人生を送った清貧老人という自分の現実を哀しくかみしめました。

 

 

 

「ミズノプリンティングミュージアム」見学

[O'age] 2016年5月 4日 14:00

入船2丁目にある「ミズノプリンティングミュージアム」を見学させていただいた。予約が必要なので、ちょっとためらっていたが電話で簡単に予約できた。見学当日はまず印刷関連のスポット「築地・明石町エリア」の「活字発祥の碑」を、さらに「慶応義塾発祥の地・碑」を見て、「居留地中央通り」を通り「ミズノプリテック(株)」ビル着。忙しい中、総務の方が親切に案内、説明して下さいました。平野富二の活版印刷機、百萬塔陀羅尼経、西欧の印刷機械など貴重な展示品であふれていました。印刷会社会長の水野雅生さんの個人のコレクション、「印刷機の遺産収集」のようです。

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「活字発祥の碑」

平野富二の名前があります。

 

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「慶応義塾発祥の地・碑」

平野富二は福沢諭吉と交流があったようです。

 

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「ミズノプリテック(株)ビル」   このビルの上層階にミュージアムが有ります。

平野富二の活版印刷機を見てから

近くの鐵砲洲稲荷神社へ。

 

以前通った時は解体工事の真っ最中でした。富士塚もちゃんと復旧しますよと関係者の方からの説明あり。

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「鐵砲洲稲荷神社」前の看板。 来年(平成29年3月頃)竣工予定との記載有り。

 

隅田川の向こう側、石川島公園内には、水戸藩が造船所を設立、その後、平野富二が日本初の民営洋式の造船所として再スタートさせた旨の「日本初の民営造船所 発祥の地・碑」がある。

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茶ノ木神社 ー献茶祭ー

[クラさん] 2016年5月 3日 16:00

茶ノ木神社(リガーレ日本橋人形町敷地内)では、立春から数えて『八十八夜』の5月1日(日)に第9回目の献茶祭が開催されました。

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式典終了後、新茶(鹿児島、宇治、静岡)の試飲や日本茶インストラクター協会によるミニ講座も開かれました。

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五月晴れの好天下、今年の新茶(3種)を賞味しました。

 

<茶ノ木神社の歴史>

徳川時代に、下総佐倉藩主堀田家の中屋敷に守護神として祀られていたお稲荷様が茶ノ木神社の発祥だそうです。その頃、社を囲むように植え込まれていた茶の木が神社の名の由来ですが、現在も茶ノ木神社にはお社の左右に茶の木が植えられています。

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長い間、堀田家の屋敷はもとより、近隣にも火災が起こらなかったことから火伏の神様として崇敬されていました。どのような経緯で現在の地に定まったのかは明確ではありませんが、様々な人々の手によって守られ続け、1933(昭和8)年以降は蛎殻町や人形町などの町内会がお守りしてきました。1985(昭和60)年に新たに布袋様を合祀して日本橋七福神巡りの1社に加わり、その後日本橋人形町地区の都市再開発事業を経て、2008(平成20)年に再度旧社殿が再建されました。現在では、福徳円満と防災の神様として信仰を集めています。