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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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築地夏祭り!「波除神社」

[達磨] 2018年6月12日 14:00

つきじ獅子祭』・・・3年に1度の本祭は6月6日~10日に斎行されました6月8日は江戸時代に執り行われていた『船渡御』が100年ぶりに復活、さらに『水鎮祭』の神事が復興しました。また、女性限定でのお歯黒獅子の宮入・宮出(河岸内)・・・築地頑張れ!"感動"でした。さあ~「千貫宮神輿」の宮出しです。市場内渡御は今年が最後です。「水神社」前で一本締のあと、市場内の岸壁からクレーに吊り上げられて、船上に...隅田川を上って、築地辺りでUターン、銀座側テラス勝鬨橋付近で「水鎮祭」が行われました。この後、翌日9日の『渡御祭』スタート地点「浜離宮御旅所」に下ります。

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水神舎-230.jpg場内神輿岸1-240.jpg

舟渡御-1240.jpg神幸祭-240.jpg

 

 

【築地で朝活】しんらんさまの日

[Hanes] 2018年6月12日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です。
時が経つのは早いもので、梅雨の季節になりました...
雨が多いと、通勤・通学が憂鬱になりがちですよね

それに伴い、早朝ランニングのような屋外での朝活も天気次第に...
しかし築地には、雨が降っていても貴重な朝活ができるスポットがあるのです。
今回は朝活シリーズ第2弾として、皆さんご存知の築地本願寺を取り上げます

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ここは6時から参拝できるので、朝が早いイメージはあるのですが、
今回ご紹介したい朝活は、通常の参拝ではありません!
毎朝7時から行われている朝の読経「晨朝勤行(じんじょうごんぎょう)」です。
こちらは一般の方も自由に参加でき、ためになるお話も聞くことができるので、
私はこれまでに数回参加しています

今回は、築地本願寺の広報担当の方から許可をいただき、
その詳細をご紹介させていただけることになりました。

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晨朝勤行は、読経に始まり、お坊さんのお話(法話)という流れで進みます。
お坊さんのお話の内容も毎回変わるので、何度参加しても新たな発見があります
先月16日「しんらんさまの日」のお話は、日々の生活を見直すきっかけとなるような
心に響く内容でしたので、簡単にご紹介させていただきます。
(しんらんさまの日:浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の月命日で、毎月16日にあたります。)

■本当に大事なこととは
ジャズシンガーの鈴木重子さんがウガンダで平和活動に参加した時、「暗闇の豊かさ」を感じたそうです。
ウガンダの人々は暗所視が優れており、暗闇の中で日本人の私達には見えないものが見えます。
さらに、彼らにとっては昼間も星が見える時間帯なのだといいます
私達は昼間という明るい時間帯でも、星があることに気づきません。
このことは、便利になった時代の明るさが故、私達は物事の本質が見えなくなっているとも言い換えることができます。

AI(人工知能)が活躍するようになってきた現代
20年以内に仕事の7~8割がコンピューターに取って代わられるとGoogleの創業者ラリー・ペイジ氏は述べました。
それを受けて、専門家が20年後に残る仕事を分析したところ、興味深いことに一番にお坊さんが挙げられたそうです
いくら優れた人工知能であっても、生死のことは語ることができないといった観点から導き出された結果だといいます。
そう考えると、お寺の未来は予想以上に明るいのかもしれません

また、Yahoo!の元CEOマリッサ・メイヤー氏は着任してすぐに、
在宅勤務ではなく、会社に来て直接顔を合わせることからこそ新しい物事が生まれるとお話になったそうです。
確かに在宅勤務は現代の働き方の一つでもあり、徐々に普及しつつあります
コンピューターが普及した現代だからこそ、必要な時だけ出社すればよいという考え方もあるでしょう。
これに対し、評論家の山田五郎氏は、「自分に何が必要で、何が必要でないか」、それがわかっているというのは傲慢であると話しています。

つまり、便利な社会に生きる私達が、いかに自分の都合だけで毎日を過ごしているかに気づくことで、
本当に大事なことは何かということを考えるきっかけができるそうです
そして、そうしたことに気づくことの大切さを教えてくれたのが親鸞聖人なのだそうです。
お寺は現代社会とはまた異なる空間とはいえ、予想以上に現代社会の動向を把握しながら存在しているのかもしれません。

特に毎月1日と16日には、そのようなためになる晨朝勤行の後、
親鸞さまの好物だという"小豆"が入ったお粥の接待があり、
お坊さんや参加者の皆さんとともにいただきます。

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さらに、16日のしんらんさまの日には、築地本願寺のロゴマーク焼印が押されたオリジナルのけしの実あんぱんがいただけます
こちらは晨朝参加者のみいただける非売品で、製造元はあんぱんが名物の築地木村家さんです
一度食べてみたくなりませんか?
しんらんさまの日の詳細については、こちらのウェブサイトをご覧ください。
http://tsukijihongwanji.jp/shinran-day

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その一方で、晨朝勤行に参加するのはハードルが高いという方は、
築地本願寺に併設されているインフォメーションセンターのカフェ、築地本願寺カフェTsumugi(ツムギ)へGO
全国で「カフェ&バープロント」を展開するプロントコーポレーションが運営するこのカフェでは、
阿弥陀如来の四十八願の根本の願「第18願(本願)」にちなんで、
お粥とお味噌汁を含む18品からなる、栄養のバランスを考えた朝ご飯がいただけます。
8時に開店するので、出勤前にここでエネルギー補給をしてみてはいかがでしょうか
営業時間につきましては、こちらのウェブサイトをご確認ください。
https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/about_information_center.html

最後に、築地本願寺に参拝した際にいただいておきたいものがあります。
それが、「参拝記念カード」です
たいていスタンプが設置されている台上に置かれています。
法要等に用いられる華葩(けは/花びらをかたどったもの)をイメージしており、
毎月デザインが変わります。ちなみに5月は牛(Cow)!
築地本願寺内で見られる牛の彫像をイメージしたのでしょうか。

築地本願寺.jpg

この参拝記念は、12種類集めると記念品がいただけるそうです。
ぜひ集めてみてくださいね

梅雨の時だからこそ、心を落ち着け、現代社会と自分自身を見つめ直すこのような朝活はいかがでしょうか

 

 

◆ 築地・海軍の石碑から伝わるもの

[隅田の花火] 2018年6月11日 18:00

今年の3月に日帰り旅行で訪ねた軍港の街・横須賀。旧日本海軍の記念艦三笠の展示や、日米艦船を見物する軍港巡りなど、この街独特の観光スポットがあり、とても楽しい街だった。

 

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横須賀海軍カレーを食べながら、東京中央区の「築地」も昔は海軍の街だったんだよなぁ、と思い起こしてみた。確か今の築地には、石碑や説明板が残っているだけ。横須賀と比べてしまうと寂しい感じがしてしまう。 

 

しかし石碑には、「石碑にしよう」とした人の大きな思いが込められているものである。

 

石碑を建てた理由の多くは、無くなるもの、無くなったものを偲ぶ人がいて、その思いを後世の人に伝えたかったから、ということなのだろう。

なので石碑を見るときには、建てた人が伝えたかった思いを、「感じてみる」ことが必要なのかもしれない。

 

そう思いながら、築地の海軍関連の石碑を巡ってみることにした。

 

 

築地の国立がん研究センターの敷地には、2つの旧海軍関連の石碑が仲良く並んでいる。

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左「海軍兵学寮跡」と右「海軍軍医学校跡」。

 

石碑を建てた人の思いは、石碑のどこかに記されているものだ。 

 

フェンスに密着している「海軍兵学寮跡」碑の裏側を頑張って見てみると、何やら文字が書かれている。概略は次のような感じである。

 

 『海軍兵学寮沿革

  ・1871(明治4)年7月29日に海軍兵学寮をこの地に新築

  ・1876(明治9)年8月31日に海軍兵学校と改称

  ・1888(明治21)年8月1日に江田島に移転

 1934(昭和9)年5月建立』

  

この碑が建てられたのは、海軍兵学校が江田島に移転した時ではなく、その46年後であった。

 

築地は明治初頭から海軍の街として栄えてきたものの、1923(大正12)年の関東大震災で多くの海軍施設を失ってしまう。そして帝都復興で、この海軍用地に市場が移転してくることに決まるのである。

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築地の中央卸売市場の開場は1935(昭和10)年。なのでこの碑は、市場が出来上がった頃に、築地から離れていった海軍施設を偲んだ人によって建てられたことが想像できた。因みに碑名を記した齋藤實は、時の内閣総理大臣で、この学校の卒業生である。 

 

 

一方の「海軍軍医学校跡」碑。医学校は終戦の1945(昭和20)年まで続いた。石碑の文字は、最後の校長の神林美治軍医の筆であるということなので、学校が無くなってしまったことを偲んで建てられたのだろう。

 

海軍の医学教育は、1873(明治6年)に築地で海軍病院付属学舎として始まっている。その後、いろいろな変遷を辿ったものの、多くの医療関係者を育て、終戦を築地で迎えている。

 

 

関東大震災前の大正時代の頃に、かつての築地川の采女(うねめ)橋辺りから眺められる築地方面の建物があった。

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采女橋があるところは昔、築地川と築地川東支川の交差点だったそうだ。東支川に架かる「北門橋」のむこうに見えるのは、海軍大学校の海軍参考館という建物だった。

 

築地の海軍施設へ行くときは、この北門橋を渡ったのだろう。今はもう、東支川は完全に埋め立てられていて、川が流れていたという面影はない。

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采女橋の袂の高速出入口の隣の道は、かつて海軍の敷地に繋がる「北門橋」が東支川に架かっていた辺り。海軍の敷地への橋を渡るかのように道を進んでいけば、この海軍の2つの石碑を見つけることができる。

 

 

さて、築地の海軍関連で外せない石碑に向かってみる。築地場内市場の魚河岸水神社遙拝所にある「旗山」の石碑である。

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この石碑は、築地市場開場後の1937(昭和12)年に建てられた。この石碑の前面に書かれている文章は少し薄くなっている。読むのが難しいので、いい加減かもしれないが、概略はたぶんこのような感じである。

 

『・ここは徳川時代に松平定信の別邸「浴恩園」の景勝地に設けられた築山の一部だった。

 ・1869(明治2)年に海軍関連施設がこの地に置かれた。

 ・1872(明治5)年に海軍本省設立後、海軍卿旗をこの丘に立て、「旗山」と呼んだ。

 ・この地はまさに海軍経営の大元であり、その発祥の地といってよい。』

 

と、この地が海軍発祥の地であるいわれが語られている。

碑文はまだ続いていて、読むと石碑が建てられた時の思いが伝わってくる。

 

『・それ以来長い年月あった海軍施設が移転していき、わずか1、2の官庁が残っているのみである。

 ・地形はだいぶ変わってしまい、昔の面影を見つけ出すのも難しくなってきた。

 ・この旗山の地に碑を建てて思い出となるように残すことにした。

 ・1937(昭和12)年1月5日  海軍大臣 永野修身 』

 

今年の10月に豊洲へと移転する築地の市場。去っていくことを寂しいと思う気持ちは、築地から海軍施設が去っていった80数年前も同じだったようだ。

s_hanabi61-7.jpg市場の移転に伴い、魚河岸水神社の遙拝所も豊洲へと移転していく。しかしこの旗山の石碑は、建てられた時の心情と共に、ここ築地の地に残り続けていくのだろう。

 

 

そして最後に、勝鬨橋の袂にある「海軍経理学校之碑」の石碑である。

s_hanabi61-8.jpg鏡面仕上げで、勝鬨橋も碑面に映すこの石碑は、碑文が分かり易くて読む人に優しい。

 

学校は1874(明治7)年に芝山で海軍会計学舎として開設され、その後築地に移転。日露戦争後の1907(明治40)年に海軍経理学校となり、震災後、今の築地市場の立体駐車場辺りに移されて終戦まで続いた。

 

石碑は1976(昭和51)年、戦後30年を機に、学校の同窓会によって建てられている。

 

この石碑には裏側にも文字が刻まれている。それは、この学校で学んだ人たちが見ると喜ぶ仕掛けになっている。またその内容は、学校がここ築地にあった頃の情景が伝わってくるものである。

 

ここでは内容を書かないことにしておこう。

s_hanabi61-9.jpg場外市場は築地に残り続ける。市場で楽しんだ後に、隅田川を眺められる勝鬨橋の袂で、石碑の裏を見て感じ取ってもらえたらと思う。

 

 

築地には、海軍関連の史跡はまだある。最近では史跡の碑も案内板のような形で作られることが多くなった。

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形にもよるかもしれないが、石碑は古くなっても保存しようとする心が働き、後年まで残り続けるものだ。そして建てた時の素直な心情が碑文に記されていれば、後年に読まれた時に味わい深いものが伝えられる気がしてならない。海軍の石碑を巡ってみて、そう感じた。

 

もしかしたら、こういうブログ記事も石碑みたいなものなのかもしれない。何かに感動したり、残念に思ったりしたことがあったら、後年に誰かが読んでくれることを信じて、素直にその時の心情を書き記しておいたほうが良いのではないかと思った。

 

 

 

NHKスペシャル、シリーズ「大江戸」

[CAM] 2018年6月11日 14:00

 

昨日(6月10日)のNHKスペシャルは、シリーズ「大江戸」の第2回でした。

NHKのサイトでは、下記のように紹介しています。

「第2集 驚異の成長!!あきんどが花開かせた"商都"」

「過去2000年間の世界経済を分析した国際共同研究によって、江戸中期の経済成長率(1人あたり)が、同時期の世界トップクラスだったことが判明しました。貿易を制限していた日本で、経済発展を支えたものは何だったのでしょうか?

日本橋の商家の記録などから、江戸に広がっていた庶民経済と、激しい競争社会の中で生まれた、独自のセーフティネットを探ります。」



 第1回は、4月29日の放送で、以下のような内容でした。第1回は、CGによる復元画像、最近発見された画像なども交えたもので、興味深いものでした。第2回は、日本橋の商家の歴史などを紹介するものでしたが、個人的には分析がやや浅かったように感じました。

「第1集 世界最大!!サムライが築いた"水の都"」

「江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市となりました。その原動力はどこにあったのでしょうか? 最近、江戸初期の都市計画を描いた図面や、幕末の写真ネガが見つかり、その変遷が分かってきました。

江戸は水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だったのです。"水の都"江戸誕生の秘密に迫ります。」(NHKサイトから)



第3回は、次のような内容で、放送は7月1日の予定です。

「第3集 不屈の復興!!町人が闘った"大火の都"」

「江戸は3年に一度の割合で大火に襲われる、世界に例のない"火災の町"でした。最新の研究では、竜巻のような炎=火災旋風が猛威をふるっていたことも判明。人々はこの災厄の町とどう向き合い、復興を成し遂げたのでしょうか?

幕府による江戸大改造や、町民たちが生み出した防災対策の数々。それらの成果を、最新シミュレーションから解き明かします。」 (NHKサイトから)

 

 

千貫 船渡御、御旅所入

[あすなろ] 2018年6月11日 12:00

2018年のつきじ獅子祭は3年に一度の本祭りです。

江戸時代に行われ、近年川の埋め立てで行われなくなっていた「水鎮祭」が約100年ぶりに復活し、千貫宮神輿を船に乗せての「船渡御」が行われました。

 船渡御450.jpg

子供神輿も勢ぞろいし、水鎮祭が斎行され隅田川を下り、船はそのまま浜離宮へ。

 御旅所450.jpg

とても立派な浜離宮の御旅所で一泊し、翌日は築地周辺を渡御しました。

今年は特に力が入っていましたね。

◆波除神社
 東京都中央区築地6-20-37

◆浜離宮恩賜庭園
 東京都中央区浜離宮庭園1-1

 

 

縹色 閑寂な四葩の花

[あすなろ] 2018年6月 6日 09:00


人形町の紫陽花も見頃ですね。

日本紫陽花の在来種、額(萼)紫陽花です。

 末廣神社_450.jpg

ガクアジサイは、よく見かける華やかな品種と比べると

少し地味な感じですが、

控えめに咲く花は、雅な趣がありますね。

鑑賞花として改良され、

日本に逆輸入された西洋紫陽花も

梅雨の季節に、鬱陶しい気分を晴らしてくれます。

 人形町_450.jpg


「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」/子規 


 時の移ろいと重ねて、観るのもいいですね。

レトロな街並みに縹色の紫陽花がよく似合います。


◆末廣神社と人形町界隈(
東京都中央区日本橋人形町2-25-20