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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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不思議なマーク「不」を探して三千里

[Hanes] 2019年1月25日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
皆さんには、まち歩きをする際についつい見てしまうものってありますか?
行列のできるお店、ショーウィンドウ、道端の花、道行く人等、色々あるかと思います。
私はというと、以前話題にした送水口(前編後編)の他に、
地図作成や測量の際に用いられる基準点(特に三角点水準点)もついつい見てしまいます。
登山をする方の中には、山頂で三角点を見かけた方もいらっしゃるかもしれませんね

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そのような全国に数ある三角点と水準点の中でも私が特に好きなのが、
几号水準点(きごうすいじゅんてん)と呼ばれるものです!
この水準点は、日本全国を見ても数が限られており、なおかつ大都市に偏って残っています。
特徴は、漢字の「不」に似たマーク。
通常の水準点と異なり、これが水準点ですといった分かりやすい表示はなく、
思いがけないところにひっそり存在している知る人ぞ知る不思議なマークなのです

タイムドーム明石での郷土天文館サポーターの方々による水門に関する展示では、
なんとこの几号水準点も紹介されており、
本ブログでは、先輩特派員の朱房の十手さん巻渕彰/写楽さいさんも取り上げていました。
中央区には几号水準点が1箇所、そしてそれに関する場所が1箇所あるので、
今回は区外で見られる例も交えながらご紹介をしたいと思います

■几号水準点との出会いと不思議な縁
英国在住の方のご厚意で、とある古い教会に連れて行っていただいた時のこと...
外壁に刻まれた不思議な「不」マークを見つけました。
最初は悪戯か日本でいう石垣の刻印のようなものだと思い、気に留めていませんでしたが、史跡を訪れる回数が増えるほど見かける機会も増え、
これには何か意味があるのではないかと気になり始めました

それから約1年後、世界遺産に登録されている街の大聖堂でボランティアガイドを始めた際、
偶然にもその教会のドアの下の方にひっそり刻まれている同じマークを発見しました!
すかさずボランティアリーダーに確認したところ、不思議なマークの正体は、
日本でいう几号水準点だということが分かりました

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(上段:出会いの几号水準点、下段:ボランティア先の几号水準点)

■几号水準点・三角点巡り in 英国
それ以降、切手や記念硬貨を収集するが如く几号水準点や三角点の写真を撮って歩くようになりました。
歴史的建造物にはマークが刻まれているだけですが、
新しい建物や山・丘の頂上には、ナンバリングされたプレート(現地ではFlush Bracketという)が設置されていることに気づき、
プレートにあるOSBMは、Ordnance Survey Bench Mark(英国陸地測量部水準点)の略だと知るようになりました。

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■几号水準点巡り in 日本
そして帰国後、日本にも少ないながらこのタイプの水準点があるという話を聞きつけ、
出張の機会を利用し、最初に向かったのは大阪城。
半分隠れていたのは残念でしたが、無事に見つけることができました。

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続いて都内の例を見るべく、日比谷公園にある心字池のそばの平たい石や
烏帽子石に刻まれているもの、皇居内に残るもの見に足を運びました

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■几号水準点 in 中央区
前置きが長くなりましたが、中央区にも1つこの水準点が残っているということで向かった先が...
安政4年(1857)*に建てられた一石橋迷子しらせ石標
(*Hanes流覚え方:嫌(18)だ、こ(5)んな(7)迷子。安心せい(安政)よ(4)。ここで見つかる

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下の方にひっそりと刻まれているので、お近くに行かれた際にはチェックしてみてください

タイムドーム明石の展示解説によると、明治初期の水準標石は英国式インチが採用され、
横棒が標高を示す「不」字形の几号水準点を石柱、道標、灯篭、鳥居等に付したそうです。
そして後に、測量事業がドイツ式に移行し、1891年に「霊岸島新点・交無号」(水準路線の交差点0号という意味)が設置されました。

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現在中央大橋のそばにあるものは、2006年に移設されたものだそうです

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このように、中央区内では水準点の発展史の一部を追うことができます。

■几号水準点に興味を持たれた方へ
測量の日(6月3日)の前後に開催される国土地理院主催のイベントでは、
憲政記念館の敷地内(陸地測量部跡)にある日本水準原点が一般公開されます。
日本の高さの基準となっているものを間近で見る貴重な機会です

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このイベントでしか聞けないような興味深い話もあるので、
水準点に興味を持たれた方は、ぜひこちらにも遊びに行ってみてください。
区内にある交無号についての理解が深まるかもしれませんよ

 

 

Tokyo Parks Navi 〜浜離宮恩賜公園を訪ねて〜

[東京ダンボ] 2019年1月23日 18:00

 浜離宮恩賜庭園を楽しく観光する際のツールとして「Tokyo Parks Navi」が東京都から公開されています。

 

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「サクサク巡れる手軽なコース、たっぷり時間をかけて知識を吸収するコース。楽しい観光の思い出記録。都立公園散策アプリ「Tokyo Parks Navi(東京パークスナビ)」は、マップ機能とルート表示機能、音声・動画などの豊富なデータ、触れて楽しい、カンタンな操作であなたの目的に合わせた公園散策のお手伝いをします。」とのことで、Apple StoreもしくはGoogle Play からアプリをダウンロードできます。東京ダンボも早速スマホにIN!

 

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園内で設定しているガイドスポットに近付くと、端末が自動で反応(又はタグにタッチ、QRコード読込み)し、スポットの詳細情報がテキスト、音声や動画で提供されます。園内を散策しているだけでは知ることのできない情報も、簡単な操作で得ることが可能です。また、道案内機能やイベントなどのお知らせ機能もあり、園内を効率的に楽しく散策するためにご活用できるようになっています。

 

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また、日本語だけでなく、英語・中国語・韓国語・フランス語での案内もあるので、海外の方をお連れする際にもとっても役たちますよ。

 

 

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寒い日が続きますが、東京ダンボTokyo Parks Navi をガイドにゆっくりと浜離宮を散歩してきました。

お花畑では、黄色く咲いた菜の花とピンクに色着いた紅梅が春は遠くないこと教えてくれました。

 

 

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公益財団法人 東京都公園協会

https://www.tokyo-park.or.jp/teien/contents/tokyoparksnavi.html

 

 

身延別院耳寄り情報(2)家紋が語る意外な事実

[Hanes] 2019年1月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
突然ですが、NHK大河ドラマを見ているという方はいらっしゃいますか?
始まったばかりの「いだてん~東京オリムピック噺~」の初回では、
日本橋等、中央区に関する場所も登場しましたね

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(橋洗い時に撮影。)

私は世界史専攻ですが、過去に2度だけ全部通してみた大河ドラマがあります。
それが、「功名が辻」と「おんな城主 直虎」です。
特に後者には知らず知らずのうちにハマってしまい、
静岡県や群馬県まで、井伊家ゆかりの地を見に行ってしまいました

井伊家というと、やはりかの有名な『関ヶ原合戦屏風』にも描かれている
井戸の「井」を示す替紋の井桁ではないでしょうか。
また、定紋に見られるも有名ですよね。
そんな井桁と、似たような橘を組み合わせた紋章が、身延別院の随所に見られることに気づき、「井伊家とつながりがあるのだろうか?」と気になり、早速調べてみました。

まず分かったことは、井桁に橘の紋章は、日蓮宗の寺紋だということです

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訪問時の写真を見返してみても、お賽銭箱から瓦まで実に様々なところにその寺紋が配されていることが確認できます。

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そして気になる寺紋の由来ですが、これまた諸説あります。
比較的知られている説が、日蓮聖人の5代前の祖先が井伊家の出であるというもの。
もう一説が、日蓮聖人誕生時に湧き出た泉にちなんで井桁と、聖人の大好物であったといわれる橘を合わせたものだというものです。
ここではどちらの由来が正しいかを断言することはできませんが、思いがけないところに井伊家との意外なつながりを見つけ、
「やはり紋章は面白い」と再確認することとなりました。

さて、2回にわたり身延別院の油かけ大黒天と寺紋をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
七福神巡りをされている方や歴史がお好きな方に、「一度行ってみたい」と思っていただけたら幸いです。

【参考文献・ウェブサイト】
レファレンス協同データベース「日蓮宗の寺紋は井桁に橘のようだが、日蓮宗である中山法華経寺や、その末寺の清寿寺(市川市妙典3)は、桔梗の寺紋を使っている。理由を知りたい。」

 

 

中央区の本

[湊っ子ちゃん] 2019年1月22日 09:00

こんにちは、湊っ子ちゃんです。

今回は、中央区より刊行されている図書を、ご紹介したいと思います。 中央区立京橋図書館、日本橋図書館、月島図書館の、すべての図書館に所蔵されていますので、ご利用いただけます。

♪ 中央区の文化財

江戸開府以来、経済・文化の中心として発展してきた中央区に、数多く残る文化遺産を紹介しています。全7集。 (中央区教育委員会・たて21cm・80ページ前後)

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(一)改訂新版中央区の文化財 史跡・旧跡・記念碑 平成7年刊 

(二)中央区の文化財 美術・工芸・古文書 昭和51年刊

(三)中央区の文化財 橋梁 昭和52年刊

(四)中央区の文化財 有形民俗文化財-信仰- 昭和56年刊

(五)中央区の文化財 有形民俗文化財-道具類- 昭和59年刊

(六)中央区の文化財 有形民俗文化財-道具類二- 昭和62年刊

(七)中央区の文化財 建造物 昭和63年刊


♪ 中央区の昔を語る

昭和59年から、毎年区内各地にて行ってきた文化財懇談会「昔を語る会」の収録内容をとりまとめたものです。おもに、大正初期からの町の様子、関東大震災、戦争の記憶、小学校での生活を中心に、中央区で生まれ育った方たちが、昔の暮らしや町の移り変わりなどを、今に語り継ぎます。全17集。 (中央区教育委員会・たて21cm・80ページ前後)

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(一)中央区の昔を語る 八丁堀・佃島 平成元年刊

(二)中央区の昔を語る 東日本橋・馬喰町・横山町 平成元年刊

(三)中央区の昔を語る 入船・湊・月島 平成2年刊

(四)中央区の昔を語る 京橋八重洲(二)・京橋大根河岸 平成3年刊

(五)中央区の昔を語る 浜町・小網町 平成3年刊

(六)中央区の昔を語る 室町・本町・新川 平成4年刊

(七)中央区の昔を語る 明石町・富沢町 平成5年刊

(八)中央区の昔を語る 小舟町・新富 平成6年刊

(九)中央区の昔を語る 箱崎町・築地 平成7年刊

(十)中央区の昔を語る 本石町・久松町 平成8年刊

(十一)中央区の昔を語る 人形町・堀留町 平成9年刊

(十二)中央区の昔を語る 大伝馬町・蛎殻町 平成10年刊

(十三)中央区の昔を語る 茅場町・小伝馬町 平成11年刊

(十四)中央区の昔を語る 兜町・日本橋 平成12年刊

(十五)中央区の昔を語る 八重洲一丁目・中州 平成13年刊

(十六)中央区の昔を語る 勝どき・豊海町・晴海 平成14年刊

(十七)中央区の昔を語る 銀座 平成16年刊


♪ 中央区文化財調査報告書

中央区の文化遺産において、それぞれのテーマごとに、深く掘り下げて行われた調査による、記録と報告書です。全5集。(中央区教育委員会)

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(写真は上段・下段とも左から順に)

中央区文化財調査報告書第1集

築地の外国人住宅 -聖路加国際病院の付属外国人住宅 「ポラバ・バンガロー」に関する調査報告- 平成4年刊(たて26cm・118ページ)

中央区文化財調査報告書第2集

中央区の木造建造物 平成5年刊(たて30cm・154ページ)

中央区文化財調査報告書第3集

中央区旧家所蔵文書-小津商店・佐々木印店・中村家文書- 平成7年刊(たて26cm・195ページ)

中央区文化財調査報告書第4集

椙森神社所蔵文書 平成8年刊(たて30cm・208ページ)

中央区文化財調査報告書第5集

中央区の橋・橋詰広場-中央区近代橋梁調査- 平成10年刊(たて30cm・354ページ)


♪ 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて-

一年の暮らし、街並、文明開化、文学、などの視点から中央区をみつめ、区内の文化遺産と中央区の足跡を紹介した本です。全9集。 (中央区企画部広報課・たて18cm・200ページ前後)

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第1集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 昭和63年刊

第2集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成4年刊

第3集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成7年刊

第4集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成10年刊

第5集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成13年刊

第6集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成16年刊

第7集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成19年刊

第8集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成22年刊

第9集 中央区区内散歩 -史跡と歴史を訪ねて- 平成25年刊

※ 中央区立京橋図書館 地域資料室に申請のうえ、本の撮影を行いました。

今、私たちの知っている中央区が、時代の移り変わりとともにどう変化し、そして中央区だからこそ変わらないものがあることを、実感できる本たちです。 街歩きや地域研究に、ぜひ活用したいですね。

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第33号 平成31年1月18日

 

 

身延別院耳寄り情報(1)油をかけて福をいただこう!

[Hanes] 2019年1月20日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、小伝馬町を散歩した際に、身延別院に立ち寄りました。
こちらでは、瞳が水晶製の木造日蓮聖人坐像(都指定有形文化財)が有名ですが、
実はそれ以外にも興味深いものがたくさんあるのです。
ということで、2回に分けて立ち寄りたくなる身延別院の魅力をご紹介します。

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今回取り上げるのは、「油かけ大黒天」です。
花まつりでは、お釈迦様に甘茶を注ぎますが、こちらにいらっしゃるのは一年通していつでも油をかけられる大黒天...
そのいわれが気になり、調べてみました

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【いわれ】※諸説あります。
京都伏見には「油かけ町」という町があり、昔、油売り商人が道端の石像に間違って油をかけてしまったものの、
それ以来商売が大繁昌したという伝説がありました。
伏見出身で昭和の名優長谷川一夫氏のしげ夫人は神仏に厚く帰依しており、
戦後間もなく、偶然この油かけ天神を夢に見て、
天神様から東京に祀って大勢の人と結縁せしめよとのお告げを得ました。
そこで、当時の身延別院の住職藤井日静上人に相談した結果、
身延別院にお祀りすることになりました。

【ご利益】
商売繁盛、開運、安産

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全国的に見ても油かけ大黒天をお祀りしている神社仏閣はあまり多くありません。
お近くにお越しの際には、大黒天に油をかけて祈願してみてはいかがでしょうか

■身延別院
住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-2
アクセス:東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」4番出口から徒歩1分
     JR山手線・京浜東北線・中央線「神田駅」南口改札口から徒歩12分

【参考文献・ウェブサイト】
一般社団法人植物油協会「植物油こぼれ話 油をかけて福をいただく油掛大黒天」http://www.oil.or.jp/trivia/daikokuten.html
小伝馬町 身延別院 http://minobu-betsuin.jp/index.html

【関連記事】
illy-ship燦壱朗さん「油掛け大黒天(身延別院)」

 

 

中橋東側は下がっていた

[yaz] 2019年1月20日 09:00

現在の八重洲通りは、慶長17年(1612年)江戸城建設のための資材運搬用運河として掘られた紅葉川を埋め立てたものです。この運河(舟入堀)は、首都高速道路の江戸橋ジャンクションから京橋ランプの間の海岸線に10本掘られました。このうち8本は元禄3年(1690年)に埋め立てられました。八重洲通りの運河(紅葉川)は鍛冶橋~呉服橋間の外堀に連絡していました。延宝年間(1673年~80年)には、西半分つまり中央通りから外堀側の紅葉川(西側)は埋め立てられ延焼防止用の火除地となり、安永3年には京橋交差点から久安橋まで(紅葉川の東側)が埋め立てられて、それまでの火除地に「中橋広小路」という細長い町が出来ました。

中橋広小路の街並みを示す絵が、江戸名所図会に出ています。2つの道(中央通りとそれに直角に通る道)が描かれていますが、どちらが中央通りでしょうか?右から左に走る道が恐らく「中央通り」だと推測できますが、断定出来ますか?

中橋広小路(江戸名所図会).jpg

太い道には町人が多いですから日本橋・銀座の商業地をせわしなく歩いているのでしょう。左上から右下にクロスする道には武家・その使用人が歩いていますが、恐らく城中に向かうのでしょう。この推測を"正"とすれば、左右に向かう道は中央通りということになります。この状況証拠に基づく推測が正しいかどうかを分析してみましょう。

現存する沽券図で最も古い「宝永7寅年(南伝馬町図)」を見ると通町(現在の中央通り沿いのブロックです)の道幅は下図のようになっていました。宝永7寅9月書上担.jpg

  A=田舎間10間 B=京間6間 C=横丁・新道 京間3~4間(京間の1間は約2m、田舎間(江戸間)の1間は1.83mです) 

「宝永7寅年(南伝馬町図)」によると、中橋広小路の東側は中央通りから"XーA"間だけ下がっているのが判ります。これを理解した上で、江戸名所図を見てみましょう。中央通りと推測される街並みの庇を南北それぞれつないでみると(赤線)となり、東側が予想通り数間下がっているのが判ります。この考察から名所図会の左右に通る道は「中央通り」であることが判ります。ただXが幾つかは不明です。