[御末]
2012年5月30日 08:30
5月26日、江戸検1級の「五期の会」・町歩きが行われました。
今回は石川英輔著「神仙伝」シリーズの洋介、いな吉が愛した日本橋・人形町を巡るというテーマです。
地下鉄三越前に集合し、熈代勝覧から始まって常盤橋、一石橋、日本橋高札場と当然のコース。
コレド付近では自由な買物タイムと粋なはからい。
江戸時代は「照降り町」と呼ばれた小舟町を通り人形町へ歩く歩く。
蛎殻銀座跡、玄冶店跡、そして最後に小伝馬町因獄跡。
しばし高杉晋作の気持ちになって吉田松陰終焉の地の碑を見学。その気持ちをすぐに忘れて楽しみな打ち上げ居酒屋へ。
行程17000歩あまり、平均年齢の高い会員達には明日の体調が心配な、しかし楽しい町歩きでした。
[kimitaku]
2012年5月16日 08:30
「有りがたや いただいて踏む 橋の霜」
「初雪や かけかかりたる 橋の上」
この二句は、俳人 松尾芭蕉が
詠んだ句です。
新大橋ができた嬉しさを、句にしたためたものです。
新大橋は 元禄6(1692)年架橋後、何度も架けかえられ、明治45(1912)年に鉄橋として架
けかえられました。
両国橋のまたの名前「大橋」に続く橋として「新大橋」の名前がつきました。
中央区の浜町と 江東区の森下方面を結び、全長 170M 幅 24Mです。
橋を渡る途中には、
由来、元の橋、歌川広重の錦絵が レリーフとなっていますが、
ゆったり流れる隅田川に、橋の色とマッチして美しく、
足を止めて碑文を詠む人も多くいらっしゃいます。
この橋のまたの名は「人助け(お助け)橋」 由来を説明しましょう。
(これからの話は多く「区内散歩6巻 川端茅舎 の項」に寄ります)
大正12(1923)年9月1日昼間際
東京は未曾有の揺れに襲われました。
>>>「土蔵の多くはまたたくまに崩れ、砂煙が巻き、目も開けられない状態でした。直後は物音もせず静寂の状態が続いたそうです。人々は不安にかられました。
近くの倉庫からの火はたちまち広がり火の粉の雨を降らせました。すぐ鎮火したものの、神田方面からの火勢は、人形町を焼き尽くしていきました。
川では津波ように真っ黒な水が押し寄せて来たそうです。
火勢が迫る午後8時、茅舎家族は蠣浜橋までくると甘酒横町は半分以上燃え上がり、多くの荷物と車で身動きが取れない状態でした。
茅舎一家は細川邸の塀を破り、庭園に出たものの火の手が回り、大橋の袂に出ました。
橋の真ん中に必死に割り込み座り込み、一昼夜を過ごしたそうです。
橋の両傍から火に攻められた人々は死に物狂いで真ん中へ押してくる、中央でさえ堪らぬほど熱い。阿鼻叫喚の様相。自分たちも死に物狂いで踏み留まる、やがて、傍らの人並みは動かなくなる。
橋の袂の人は皆焼け死んだそうです。
吹く風は熱く、橋はハンモックのように揺れ、川は濁流が轟々と流れていたそうです。」<<<
新大橋は、鉄製の床板で敷き詰められていたため、消失を免れました、当時、隅田川5橋のうち、ただひとつの鋼鉄製の橋でした。
新大橋の右岸、橋を渡る手前の左側土手下に「新大橋避難記念碑」があります。
大変大きな碑で、由来が細かく記してあります。この橋の上で多くの人が助けられ「人助け」たことと、教訓が記されています。
なお 旧新大橋の一部は
愛知県犬山市の明治村に保存されています。
記念碑を読んでいる最中に、
若い女性が、碑に向かい
深々とく手を合わせていらっしゃいました。
[滅紫]
2012年5月14日 18:36
「落語はお好きですか?」私は3年前からの新参ファン。好みの噺家も出来、少しずつ面白さがわかってきたところ。何度か聞いていると噺の中に出てくるお店や登場人物のいた場所に行ってみたくなりませんか?そんな方にぴったりの講座が、「名作落語で楽しむ江戸東京の世界」(中央区民カレッジ早大連携講座)です。第1回目は5月11日、「宿屋の富と人形町」。講師が噺の舞台となる宿屋のあった馬喰町、富くじ抽選の行われた椙森神社、富くじ興行についての説明をされたあと、志ん朝の演じる「宿屋の富」(平成6年収録)のDVD鑑賞。テンポのよい志ん朝を聞いているうち、部屋を暗くしているのとまだ抜けない時差の相乗作用で猛烈な睡魔に襲われ三分の一は夢の中!(講師、志ん朝さんごめんなさい)「宿屋の富」は落語の中でもよく知られた噺ですが、説明によると「元々上方で『高津の富』といった噺で二代目の小さんが東京に移したもの、従って場所も高津神社から椙森神社へ。志ん朝は湯島天神で演じています」とのことです。早速舞台に行ってみましょう。
椙森神社に向かう途中に幟がたくさん。例大祭の日だったのです。
神輿に出合えました。椙森神社は平安時代の創建と伝えられ江戸時代には烏森、柳森と並ぶ江戸三森のひとつに数えられ人々の信仰を集めていました。江戸時代に流行した富くじ興行の場所としても有名でよく時代小説にも登場しますね。江戸の富くじは一枚一分が相場で通常一等が100両。庶民にとっては高額(一両10万円として2万5千円です)であったため共同購入することも多かったとのことです。椙森神社には「富塚」の碑が建てられています。
続きを読む: 江戸落語の舞台を訪ねるー落語散歩は如何?-「宿屋の富」
[さとけん]
2012年5月 9日 08:30
大型連休も残り2日となった5日、思い立って銭湯に行ってきました。
子供の頃と学生時代に銭湯にいってましたが、久しぶりの銭湯行きでした。
最初に行ったところが、人形町にある「世界湯」です。
うっかりすると見落としてしまいそうな、周りの住宅に溶け込んだ雰囲気の佇まいです。
開店してすぐに行きましたが、既に15人位のお客さんが入っていました。
番台もあり、子供のころいっていた銭湯を思い出しました。
お決まりの富士山の絵や古い体重計、小さな日本風の庭があって、初めて行ったのに懐かしかったです。
お風呂は二つあって、一つはやや深くて中で座ることはできません。
温度は44度で、自分には熱かったです。やはり江戸ッ子は熱いのが好きなんですね。
これからの季節、風呂上がりに甘酒横丁で一杯して涼むのも一興ですね。
次はどこに行こうかな。