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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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清洲橋は工事中です

[wienerhorn] 2018年12月17日 14:00

清洲橋IMG_6917.jpg国指定重要文化財である清洲橋は、関東大震災後の震災復興橋梁のひとつで、永代橋とともに隅田川に架かる美しい橋の一つとして有名です。
その清洲橋を対象に、来年秋まで2種類の工事が行われており、橋は仮設の足場などで覆われた状態となっています。
一つは、老朽化した「景観照明」を改修する工事です。照明はLEDになります。
もう一つは、鉄部分の塗膜の劣化によるさびを防ぐための塗り替え工事です。
美しい清洲橋の姿はしばらくお預けとなりますが、メンテナンスして長持ちさせることは重要ですね。

 

 

「珈琲 大勝軒」(日本橋人形町)

[五月雨ジョージ] 2018年12月16日 14:00

 日本橋人形町に立ち寄ったら、ぜひ訪れてほしい喫茶店があります。それが、甘酒横丁から2本北側の通りにある「珈琲 大勝軒」です。コーヒーショップとは似つかわしくない店名。大勝軒と言えば、つけ麺のお店が有名になった昨今ですが、人形町には全く別系統でありながら、それよりもず~っと歴史のある「中華料理 大勝軒」の総本山があったのです。

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 以前から会社の同僚とランチの後に良く立ち寄る「珈琲 大勝軒」さん。今回、あらためてお話を伺おうと思い立った理由は、ネット上にあまりにも不確かな情報があふれており、お店のご主人も困惑されていたからです。

 現在の店主、渡辺祐太郎さん(大勝軒5代目)と、そのお母さんの千恵子さん(4代目)にお話を伺いました。

店内右側の壁には「大勝軒」の屋号を記した書が掛けられています。なんと、あの日露戦争の英雄・乃木大将(乃木希典)が書かれたものだといいますからビックリです。書の左には初代店主渡辺さんへ贈り物であることを示す「為渡辺氏御」、そして確かに乃木希典のサインがあります。「大勝軒」という店名は、日露戦争に大勝したのを記念して縁起の良い名前だということで命名されたようです。いきさつは定かでないようですが、乃木大将はよく柳橋辺りに遊びに来ていたらしく、その時に何かの縁で知り合ったのではないか‥‥とのお話でした。

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▲屋号(書:乃木希典)

  

そもそも「支那御料理 大勝軒」は、大勝軒の創業者となる渡辺半之助さん(なんと安政5年生まれ!)が、屋台で商売していた中国人・林仁軒(りん・にんけん)さんと出会ったことから始まります。林さんは明治38年、20歳のときに広東省から来日した青年で、屋台で商売をしていたそうです。当時、油問屋をやっていた半之助さんは、商売人の直感が働いたのか、林さんを料理長として雇い支那料理店を開くと決めたのでした。しかし、半之助さんは開業の志半ばで死去。養子に入っていた松蔵さんが名を2代目半之助と改め、初代の遺志を引き継ぎ、大正2年(1913年)、ついに浪花町(現・人形町)に「支那御料理 大勝軒」をオープンさせたのです。

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▲左:昭和61年本店、中:昭和8年4月浅草支店、右:昭和3年当時

 大正から昭和にかけて、この界隈は、寄席の末廣、明治座、ダンスホール、映画館、水天宮、料亭などでにぎわい、大勝軒も大繁盛。昭和40年~50年代には支店3店のれん分け17店にまで拡充していったそうです。現在も4件が現役で営業しています (日本橋本町店、日本橋横山町店、浅草橋店、新川店)。

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▲昭和50年代三越で行われたイベントの様子。

料理の注文は人形町のお店で作ったものを三越まで出前したそうです。

なぜ現在、本店である人形町店は業態を変えて珈琲店になっているのでしょうか。

 お母さん(渡辺千恵子さん)はご主人を早くに亡くし30代で未亡人に。店舗と住まいを建て替えることになった時にお店を閉めることを考えました。建築には1年半くらいかかるし‥‥、仮店舗を見つけるにしても短期間の借用になる‥‥、従業員はどうしよう‥‥。諸々な問題が重なったこともあり、5代目の祐太郎さんと話し合った末、いっそ転業しようということになったということです。


 亡くなったご主人も祐太郎さんも、コーヒーは大好きだったそうです。母子二人でコーヒーの教室に通って勉強し、昭和63年、珈琲店に業態変更してオープン。店名は、本店を守ってきた歴代店主のために、そして、のれん分けを許されて現在まで伝統を守って営業している各店のためにも、「大勝軒」の名は残すことを決めたそうです。お母さんは言います。「平成の30年間、ずっとこの珈琲店を続けてこられたのも、代々『大勝軒』を引き継いでこられた人たちと、ごひいきにしていただいたお客様のおかげと感謝しています」。

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▲お母さん(渡辺千恵子さん)

貴重な資料をお見せいただきながらお話を伺うことができました。

   

 さて、現在の「珈琲 大勝軒」。接客は御年90歳になる元気なお母さん(千恵子さん)の担当です。「東京オリンピックまでは頑張りたい」と話します。いやいや、いまだに足腰も丈夫、歯は全て自前というお母さんですから、オリンピックと言わず、大阪万博だってお茶の子サイサイだと思いますよ!

   

中華料理店の歴史や店名ばかりが取りざたされていますが、実はこの店、もっとお伝えしたいことがあります。それは、コーヒーがとても美味しいということです。店主の祐太郎さんが、オーダーを受けてから心を込めてペーパーフィルタードリップで一杯一杯コーヒーを淹れてくれます。

 メニューはブレンド、アメリカンの他、レギュラーのストレートコーヒー5種類(キリマンジャロ、マンデリン、グアテマラ、モカマタリ、コロンビア)、そしておすすめの豆(現在はエチオピア)。他にはミルク、紅茶、ココア、ジュース類など、飲み物のみ。

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 まずは400円のブレンドをおすすめします。ブレンドを飲めばそのお店の実力がわかりますからね。コーヒーカップのデザインも素敵です。

 
 オープンされる時に最初にそろえたのは籐の椅子だったそうです。ということは30年前から使われているということです。そして、その椅子に合わせてテーブルなどを揃えていったそうです。

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▲珈琲店開店からの籐椅子(左)と

中華料理店時代からお店を見守っているステンドグラス

 大勝軒さんでは「珈琲券」も購入することができます(11枚綴り4000円)。コーヒー好きな私にとってはとてもお得なチケットなので、いつも利用させてもらっています。

c珈琲券.jpg▲お得な珈琲券

 
 人形町にお越しの際は、ぜひ「珈琲 大勝軒」にお立ち寄りください。一杯のコーヒーで心をリフレッシュしてみてはいかがでしょう。運がよければ、この界隈のお話や大勝軒の歴史が聞けるかもしれませんよ。 

  

今回お二人にはお店の話だけでなく、中華料理店時代に常連だった有名人の話や、昔のこの界隈の話など、お話を伺って、ますます人形町の歴史に興味がわいてきました。そしてさらに人形町が好きになりました。

それにしても、店内の落ち着いた空気とこの安らぎ感は、どこから生まれてくるのでしょう。それはおそらく、人形町という場所柄ばかりではなく、「大勝軒」という中華料理の名店の歴史を背負ってきた渡辺さん母子の覚悟の生きざまにあるのではないでしょうか。そんなことを感じさせてくれた今回の取材でした。

  

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珈琲 大勝軒

東京都中央区日本橋人形町2-22-4

TEL:03-3668-8600

営業時間:11:00~15:00

定休日:土・日・祝

 

 

人形町甘酒横丁の定点観測など

[にゃんボク] 2018年12月 9日 18:00

先日、中央区内のバスに乗った際に、人形町付近で「この辺の人形焼といえば、重盛、板倉屋、亀井堂...云々」ととある方が話をされているのが聞こえました。

 私は、「あれッ、亀井堂さんは閉店したはずだけど・・・亀井堂さんは「再挑戦」と掛詞になった「さいちょうせんべい(煎餅)」を売っていたぐらいだから、復活したのかな。」と思い、ひそかに確認をせねばと思っておりました。

 今は中央区など都心部ではいたるところでビル/マンションなどの工事をしており、本当に「気づいたらすっかり景観が変わっていた」ことも珍しくないと思います。

 私が持っている「あの日の日本橋(武揚堂)」等の冊子についても、当時は当たり前であったはずの日常の風景の一部を切り取ったものが、時を経て今となって見るとその時々の人々の装いや町の喧騒を雄弁に語っていることに気づき、「何気ないものこそ、新鮮で刺激的で貴重だ」と思えます。

 そんなことを思いながら、定点観測として人形町の甘酒横丁に早朝行ってまいりました。(人形町方面から、明治座のある浜町方面に向かいます)

 以前、100円ショップがあったところは建て替え中の模様。建設現場の囲いは付近の広告/案内版も兼ねていますね。
(カメラの腕の良さから見事に影が映りこんでしまいました、ご容赦下さい
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 と、ここで、英国カフェのタイニートリアティールームさんが甘酒横丁通りに移ってきていることに気づきました。こちらのお店、英国の田舎をイメージしたカフェにて、おいしい紅茶やスコーン、ケーキなどがいただけます。私もクロテッドクリームとスコーン、紅茶、シフォンケーキ、バナナケーキなどを好んでいただいておりました。ちょっとお店が小さかったのですが、移転されてさらに拡張されたようです。

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日本橋三越や伊勢丹の英国フェアにも御呼ばれされていたので、「私もおいしいと思ってたけど、三越さんに呼ばれるんだから相当だ」(/archive/2018/09/post-5598.html)(お墨付きをもらったのは、このお店であって、私ではありませんが、ちょっと嬉しい)(早朝につき開店前でした)

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明治座方面に向かって右側にあった亀井堂さんは、残念ながら閉店のままでした。(人形町の人形焼といえば、重盛永信堂さん、板倉屋さん、とアップデートされていない方がいらっしゃるようでしたら、ご参考まで)

 さて、最後は東京駅日本橋口にある、「2027年に完成予定の、あべのハルカスを超える日本一の超高層ビル(390メートル)」の建設地を上から見た写真です。
10年後、15年後はどうなっているでしょうね。すっかり装いが変わっていて、あれ、前はここは何だったっけ?と思ってしまうかもしれませんね。
zentai.jpg(建設現場のみを少し拡大 ↓)

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島?嶋?

[wienerhorn] 2018年12月 6日 12:00

松島神社と松嶋神社.jpg「日本橋七福神」のひとつ、松島神社は、日本橋人形町にあり、大国神がまつられています。中央区ものしり百科によれば「創建当時、周辺は入江の小島で、島内に松が生い茂っていたことからこの名がついた」のだそうです。
ところが、鳥居には「松嶋神社」と書かれていて、「島」「嶋」のどちらが正しいの?と思ってしまいます。
「嶋」を使っている資料がないか探したところ、見つかりました!東京都中央区教育委員会「中央区沿革図集(日本橋編)」に、1744(寛保4)年に作成された「寛保沽券図」が掲載されており、「松嶋町」の地名が記されていました。
由来からすれば「島」ですが「嶋」が使われたこともあった、くらいに理解すればよろしいでしょうか。
古地図を見るのは楽しいものですね。

 

 

笠間稲荷神社

[wienerhorn] 2018年12月 5日 14:00

笠間稲荷IMG_6883.jpg

写真:笠間稲荷神社(茨城県笠間市)

「日本橋七福神」は、東京メトロの水天宮前駅、人形町駅、小伝馬町駅、都営地下鉄の浜町駅の界隈にあり、頑張れば1時間で七福神を巡ることができます。その中に「笠間稲荷神社東京別社」があります。中央区観光検定の勉強をなされた方はよくご存じですね。10文字もある長い名前なので印象的です。江戸末期の1859年に笠間稲荷神社(茨城県笠間市)の分社として現在の位置につくられました。
先日、たまたま茨城県内をドライブしていると、カーナビに「笠間稲荷神社」が表示されたので、これはアレだ!と思い、急遽立ち寄ってきました。651年の創建で、日本三大稲荷に数えられる神社です。荘厳な雰囲気の境内、大きな社、仲見世など、とても印象的な空間でした。もうすぐ初詣を迎えますが、多くの参拝客が訪れるのでしょうね。

 

 

茨城の魅力再発見!IBARAKI senseが光る場所

[Hanes] 2018年12月 4日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
茨城県のアンテナショップIBARAKI sense(イバラキセンス)のリニューアルオープンから1ヶ月以上が経ちましたが、
皆さんはもう新しいお店に行かれましたか?
リニューアルオープン当日は、茨城県出身の女優白石美帆さん、俳優渡部豪太さんらによるテープカットが行われ、話題になりました!
私も茨城県出身ということで、オープン当日は同僚とともに立ち寄りました

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(リニューアル工事中の店舗の様子)

以前より開放感のあるワンランク上のオシャレな空間に生まれ変わり、
魅力度ランキングで一気に挽回するくらい、茨城県の印象が良くなるといいですよね

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(11月上旬の店舗の様子)
 
さて、Hanesが茨城県のアンテナショップで何を買ったかと言いますと...
 
■Saza Coffee(サザコーヒー)
答えは、IBARAKI senseに併設されているBARA cafeのSaza Coffee
「なんでコーヒー?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、
実はこちら、県内でも美味しいと評判で、県民から愛されているちょっと贅沢な自家焙煎コーヒーなんです

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1969年、映画館「勝田宝塚劇場」の運営会社が創業したこちらのコーヒー店は、
1997年に南米コロンビアのカウカに直営農園を開設
2017年には、FNC コロンビアカウカ県の品評会で初優勝を果たしました
 
コーヒー豆の産地でも評価されているので、コーヒー通は見逃せませんね!
こちらのカフェでは数種類のみお召し上がりいただけますが、
Saza Coffeeの店舗には、徳川慶喜家4代目徳川慶朝(よしとも)氏とコラボして誕生した「徳川将軍珈琲」というものがあります。
こちらは、1867年の開港交渉の際に、慶喜公がフランス料理人を雇い、
欧米公使にもてなしのコーヒーをお出しした時の文献を調査し再現した
幕末のフランス風コーヒーの現代版となっています
コーヒー好きのみならず、歴史好きもその風味が気になりませんか?
 
このように、徳川家つながりで江戸・東京とも関係の深い茨城県...
ここからは、区内の茨城県に関するスポットを時代ごとにご紹介していきます!
 
【江戸時代】
■武家屋敷
茨城県(常陸国、下総国の一部)の武家屋敷は区内に比較的多く存在していました。
上屋敷:常陸麻生藩 新庄駿河守直彪(日本橋浜町3丁目)
中屋敷:常陸笠間藩 牧野備後守貞直(明治座辺り)
    下総古河藩 土井大炊頭利則(日本橋箱崎町、IBM箱崎ビル辺り)
 
■笠間稲荷神社東京別社
日本橋浜町にある日本橋七福神の一社笠間稲荷神社東京別社(寿老人)は、
江戸時代中期に日本三大稲荷のひとつである茨城県の笠間稲荷神社から分社された神社になります。

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(総本社となる笠間稲荷神社。2017年撮影。)
 
毎年11月に菊まつりが開催され、多くの人でにぎわいます。
東京からも比較的アクセスしやすいです

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■石川島資料館
ペリーが来航した1853年。
水戸藩徳川斉昭は日本の軍事力を高めるべく、「石川島造船所」を創設しました。
ここでは日本初の洋式帆走軍艦「旭日丸」の建造に着手し、近代造船が始まりました。
今日では、佃にあるこちらの資料館にて、佃島および造船所の歴史と文化を知ることができるようになっています

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【明治時代】
■日本橋

1603年に初めて架橋され、翌年には五街道の起点として日本の中心となった日本橋。
現在私たちがわたっている石造2連アーチ橋は、1911年に完成したものです。
建築家妻木頼黄がデザインした麒麟と獅子のブロンズ彫刻が印象的ですが、
実は意外なことにこの橋にも茨城県要素があります!
なんと、舗装アーチ部分茨城県稲田(笠間市)から切り出した稲田石が4万切以上使用されているのです

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「日本で最も白い御影石」と言われる稲田石は、最高裁判所日比谷第一生命ビルでも使用されており、最近では、昨年12月に完成したJR東京駅丸の内側広場石畳に使用され、再び注目を集めています。
また、IBARAKI senseの壁としても使用されています

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(笠間市にある稲田石の採石場の一つ。2017年撮影。インスタ映えしますよね

◼️薬祖神社
福徳の森のすぐそばにあるこちらの神社をご存知でしょうか?
神社名から想像できる通り、医薬の祖神二神を祀っており、無病健康・病気平癒のご利益があるといわれています。

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一見茨城県とは関係ないように思えますが、実は日本橋本町の薬業界では、
昔からこの二神を祭神とする茨城県の大洗磯前(いそさき)神社および酒列磯前(さかつらいそさき)神社等に参詣し、崇敬の念を示してきたといいます。

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(長い階段を上った先にある大洗磯前神社。2017年撮影。)

すぐ近くの海には神磯の鳥居があります。
こちらは、IBARAKI senseリニューアル工事中、ガラスに貼られていたポスターでも紹介されていました。

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(2017年撮影。)
 
ここまで江戸時代以降の中央区に見られる茨城要素の一部をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
日本橋に代表されるように、意外と身近で、なじみのある場所に茨城要素があると初めて知った方もいらっしゃるのではないかと思います
まだまだ知られていないだけで、茨城県の魅力はたくさんあります!
中央区内でまち歩きをしながらも、ぜひIBARAKI senseの光るスポットを見つけてみてくださいね
 
■IBARAKI sense
住所:東京都中央区銀座1-2-1 紺屋ビル1F
営業時間:ショップ・カフェ 10:30~20:00
     レストラン 11:00~23:00(日・祝は21:00)
公式ウェブサイト:https://ibaraki-sense.com/
※本記事は、IBARAKI senseの店長さんより掲載許可をいただいております。
 
【参考文献】
国土交通省 関東地方整備局 東京国土事務所「日本橋の装飾」http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/panf/nihonbashi100/pdf/rekishi-03-04.pdf
児玉幸多(監修)「復元・江戸情報地図」(朝日新聞社、1994年).