国指定重要文化財である清洲橋は、関東大震災後の震災復興橋梁のひとつで、永代橋とともに隅田川に架かる美しい橋の一つとして有名です。
その清洲橋を対象に、来年秋まで2種類の工事が行われており、橋は仮設の足場などで覆われた状態となっています。
一つは、老朽化した「景観照明」を改修する工事です。照明はLEDになります。
もう一つは、鉄部分の塗膜の劣化によるさびを防ぐための塗り替え工事です。
美しい清洲橋の姿はしばらくお預けとなりますが、メンテナンスして長持ちさせることは重要ですね。
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清洲橋は工事中です
国指定重要文化財である清洲橋は、関東大震災後の震災復興橋梁のひとつで、永代橋とともに隅田川に架かる美しい橋の一つとして有名です。 「珈琲 大勝軒」(日本橋人形町)
日本橋人形町に立ち寄ったら、ぜひ訪れてほしい喫茶店があります。それが、甘酒横丁から2本北側の通りにある「珈琲 大勝軒」です。コーヒーショップとは似つかわしくない店名。大勝軒と言えば、つけ麺のお店が有名になった昨今ですが、人形町には全く別系統でありながら、それよりもず~っと歴史のある「中華料理 大勝軒」の総本山があったのです。 以前から会社の同僚とランチの後に良く立ち寄る「珈琲 大勝軒」さん。今回、あらためてお話を伺おうと思い立った理由は、ネット上にあまりにも不確かな情報があふれており、お店のご主人も困惑されていたからです。 現在の店主、渡辺祐太郎さん(大勝軒5代目)と、そのお母さんの千恵子さん(4代目)にお話を伺いました。 店内右側の壁には「大勝軒」の屋号を記した書が掛けられています。なんと、あの日露戦争の英雄・乃木大将(乃木希典)が書かれたものだといいますからビックリです。書の左には初代店主渡辺さんへ贈り物であることを示す「為渡辺氏御」、そして確かに乃木希典のサインがあります。「大勝軒」という店名は、日露戦争に大勝したのを記念して縁起の良い名前だということで命名されたようです。いきさつは定かでないようですが、乃木大将はよく柳橋辺りに遊びに来ていたらしく、その時に何かの縁で知り合ったのではないか‥‥とのお話でした。 ▲屋号(書:乃木希典)
そもそも「支那御料理 大勝軒」は、大勝軒の創業者となる渡辺半之助さん(なんと安政5年生まれ!)が、屋台で商売していた中国人・林仁軒(りん・にんけん)さんと出会ったことから始まります。林さんは明治38年、20歳のときに広東省から来日した青年で、屋台で商売をしていたそうです。当時、油問屋をやっていた半之助さんは、商売人の直感が働いたのか、林さんを料理長として雇い支那料理店を開くと決めたのでした。しかし、半之助さんは開業の志半ばで死去。養子に入っていた松蔵さんが名を2代目半之助と改め、初代の遺志を引き継ぎ、大正2年(1913年)、ついに浪花町(現・人形町)に「支那御料理 大勝軒」をオープンさせたのです。 ▲左:昭和61年本店、中:昭和8年4月浅草支店、右:昭和3年当時 大正から昭和にかけて、この界隈は、寄席の末廣、明治座、ダンスホール、映画館、水天宮、料亭などでにぎわい、大勝軒も大繁盛。昭和40年~50年代には支店3店、のれん分け17店にまで拡充していったそうです。現在も4件が現役で営業しています (日本橋本町店、日本橋横山町店、浅草橋店、新川店)。 ▲昭和50年代三越で行われたイベントの様子。 料理の注文は人形町のお店で作ったものを三越まで出前したそうです。 なぜ現在、本店である人形町店は業態を変えて珈琲店になっているのでしょうか。 お母さん(渡辺千恵子さん)はご主人を早くに亡くし30代で未亡人に。店舗と住まいを建て替えることになった時にお店を閉めることを考えました。建築には1年半くらいかかるし‥‥、仮店舗を見つけるにしても短期間の借用になる‥‥、従業員はどうしよう‥‥。諸々な問題が重なったこともあり、5代目の祐太郎さんと話し合った末、いっそ転業しようということになったということです。
▲お母さん(渡辺千恵子さん) 貴重な資料をお見せいただきながらお話を伺うことができました。
さて、現在の「珈琲 大勝軒」。接客は御年90歳になる元気なお母さん(千恵子さん)の担当です。「東京オリンピックまでは頑張りたい」と話します。いやいや、いまだに足腰も丈夫、歯は全て自前というお母さんですから、オリンピックと言わず、大阪万博だってお茶の子サイサイだと思いますよ!
中華料理店の歴史や店名ばかりが取りざたされていますが、実はこの店、もっとお伝えしたいことがあります。それは、コーヒーがとても美味しいということです。店主の祐太郎さんが、オーダーを受けてから心を込めてペーパーフィルタードリップで一杯一杯コーヒーを淹れてくれます。 メニューはブレンド、アメリカンの他、レギュラーのストレートコーヒー5種類(キリマンジャロ、マンデリン、グアテマラ、モカマタリ、コロンビア)、そしておすすめの豆(現在はエチオピア)。他にはミルク、紅茶、ココア、ジュース類など、飲み物のみ。 ▲珈琲店開店からの籐椅子(左)と 中華料理店時代からお店を見守っているステンドグラス。 大勝軒さんでは「珈琲券」も購入することができます(11枚綴り4000円)。コーヒー好きな私にとってはとてもお得なチケットなので、いつも利用させてもらっています。 ▲お得な珈琲券
今回お二人にはお店の話だけでなく、中華料理店時代に常連だった有名人の話や、昔のこの界隈の話など、お話を伺って、ますます人形町の歴史に興味がわいてきました。そしてさらに人形町が好きになりました。 それにしても、店内の落ち着いた空気とこの安らぎ感は、どこから生まれてくるのでしょう。それはおそらく、人形町という場所柄ばかりではなく、「大勝軒」という中華料理の名店の歴史を背負ってきた渡辺さん母子の覚悟の生きざまにあるのではないでしょうか。そんなことを感じさせてくれた今回の取材でした。
珈琲 大勝軒 東京都中央区日本橋人形町2-22-4 TEL:03-3668-8600 営業時間:11:00~15:00 定休日:土・日・祝 人形町甘酒横丁の定点観測など
先日、中央区内のバスに乗った際に、人形町付近で「この辺の人形焼といえば、重盛、板倉屋、亀井堂...云々」ととある方が話をされているのが聞こえました。
明治座方面に向かって右側にあった亀井堂さんは、残念ながら閉店のままでした。(人形町の人形焼といえば、重盛永信堂さん、板倉屋さん、とアップデートされていない方がいらっしゃるようでしたら、ご参考まで) 島?嶋?
「日本橋七福神」のひとつ、松島神社は、日本橋人形町にあり、大国神がまつられています。中央区ものしり百科によれば「創建当時、周辺は入江の小島で、島内に松が生い茂っていたことからこの名がついた」のだそうです。 笠間稲荷神社
写真:笠間稲荷神社(茨城県笠間市) 「日本橋七福神」は、東京メトロの水天宮前駅、人形町駅、小伝馬町駅、都営地下鉄の浜町駅の界隈にあり、頑張れば1時間で七福神を巡ることができます。その中に「笠間稲荷神社東京別社」があります。中央区観光検定の勉強をなされた方はよくご存じですね。10文字もある長い名前なので印象的です。江戸末期の1859年に笠間稲荷神社(茨城県笠間市)の分社として現在の位置につくられました。 茨城の魅力再発見!IBARAKI senseが光る場所
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