[銀造]
2016年1月 8日 09:00
日本橋の名店の紹介の浮世絵が貼りだされています。
うぶけやさんのお隣のビル(寄席 人形町 末広跡のビル)に貼りだされた
毛抜きのうぶけや「歌舞伎十八番毛抜」、 源冶店 濱田家「きられ与三」など愉快な浮世絵で楽しませてくれます。
日本橋室町の乾物・鰹節のお店(八木長本店)では、
食品総合卸 国分 1712年創業、乾物・鰹節 八木長本店 1737創業、刃物 日本橋木屋 1792年創業
和紙 小津和紙 1653年創業、百貨店 三越 1673年創業、鰹節 にんべん 1699年創業
という日本橋の名店の歴史が、日本橋魚河岸の風景とともに紹介されています。
日本橋のお散歩が楽しくなりましたね。
その他のお店の紹介の浮世絵は、健康と美容の為、是非ご自分で発見して下さい。
[銀造]
2016年1月 6日 16:00
明治座から甘酒横丁に入って、藪蕎麦の角に、「初詣 元徳稲荷神社」のご案内の幟がありました。
左折して100mほど入ったところに、元徳稲荷神社が鎮座されていました。 この辺りには、入ったことがありませんでした。大発見です。
お参りして、ご由緒書きを拝見すると、
「元徳稲荷神社と綱敷天満神社の由来記、
江戸時代上期 千五百石を領した川村徳ェ衛門が伊勢神宮の外宮、豊受大神宮より分け御霊を受け、小石川の自分の屋敷内に祀った。
後に屋敷替えとなり今の墨田区立川三丁目の三ツ目通り三ノ橋の袂に遷宮して一般市民の参拝が出来るように開放しました。
豊受大神宮は瑞穂の神として国魂の神になって居たので庶民が豊作をもたらす神として祀る場合は稲荷神社の神名で祀るようになったようです。
川村徳ェ衛門が再度屋敷替えをした跡に民家が建ち、この町を「元徳ェ衛門町」と言い、稲荷神社は元徳稲荷神社と名づけられました。
細川公という大名屋敷が今の浜町二丁目西部町会(以前は元徳町会と呼ばれていた)内にあり、細川公が懇請して元徳稲荷神社の分け御霊を受けて祀ったのが、元徳稲荷神社の由来であります。
元徳稲荷神社に、同じ町内に祀ってあった学問の神である天神様(綱敷天満神社)を合社いたしました。進学の神、産業、商売繁盛、火伏の神としてもご利益も伝えられています。
神紋は稲荷神社の抱き稲紋と天神様の梅鉢紋を組み合わせた抱き稲に梅鉢です。
天神様で合格祈願、綱敷天神 辨財天という幟がはためいています。私も、資格試験が成就するようにとお参りしました。
[銀造]
2016年1月 5日 12:00
「第31回 日本橋三越本店 日本橋七福神めぐり」に行ってきました。
協賛は日本橋七福会、後援が中央区観光協会です。
毎年、日本橋三越の社員の方々、山本海苔や日本橋七福会の方々が、角々に立って、道案内をして下さいます。
おかげさまで、道に迷うことなく、安心して七福神詣でを楽しむことができます。
沢山の善男善女の方々がご家族のご多幸とご健康をお祈りしておられます。
また、ご夫婦や友人達と日本橋を楽しく歩いていらっしゃいます。また、人形町では甘酒を召し上がったり、人形焼などをお買い求めのお客様が沢山いらっしゃいました。
この七福神めぐりは、おそらく東京都内で一番短い距離で、一番楽しいコースを歩き、おまけに山本海苔店で干支の絵皿や日本橋三越で干支の手拭いを頂けるので、本当に嬉しい企画です。
これは日本橋三越、山本海苔店を始めとする皆様の立派な社会貢献活動だと敬服しております。
今年も、小津和紙店では、松坂の深蒸し煎茶と
応募用紙に記入する場所を無料で提供して下さり、感謝・感謝です。
小津和紙店で榮太樓の飴とレンズ拭きの和紙のセットを購入し、
山本海苔店では「もみのり えびちりめんじゃこ味」の味付け海苔などを購入し、楽しく家路につきました。
頂いた干支の絵皿、手拭い、購入した物などはこちら。
詳しく知りたい方の為に記しますと、
日本橋三越本店にて、参加用紙とスタンプ押印用の紙を貰います。
日本北詰には、三越のスタッフの方が立って、小網神社への道順を教えてくれます。 以下同じように、角角に、三越や山本海苔店の方々が立って、親切に道案内をしてくれます。
小網神社(福禄寿・辨財天、福徳・金運・長寿・学芸成就にご利益あり)、茶ノ木神社(布袋尊)、松島神社(大国神)、末廣神社(毘沙門天)、笠間稲荷神社(寿老人)、水天宮(辨財天)、椙森神社[恵比寿神)、寶田恵比壽神社(恵比寿神)を巡り、
スタンプが押された参加用紙と交換で、山本海苔店で参加賞の干支の絵皿、日本橋三越の屋上にて干支の手拭いやイベントのご案内状を頂きます。
今回参加できなかった方は、次回にご参加されては如何でしょうか? ご健康と美容に良いことは間違いありません!
[小江戸板橋]
2016年1月 5日 09:00
「箱根駅伝が好きでね。毎年ここで応援しているのよ。」
「がんばれ!」と大声で応援していると、小旗を手に最前列に並んでいた
おばあさんが話しかけてきました。
90歳前後でしょうか。とても元気な笑顔です。
一緒に来ているのは、お孫さん、いえいえ、ひ孫さんでしょう。
小学校高学年くらいの坊やで、ゆかりのある大学の旗、応援タオル、帽子を
選手に合わせて替えながら応援しています。
筋金入りのファンですね。
ここは、日本橋。
選手たちが、残り1キロで最後のギアチェンジをする地点です。
高速道路の側面に掲げられた橋名板を仰ぎ見る位置です。
新春の陽射しが輝いて、ここ数年なかった暖かさ。
向う側の歩道では、縁起物の獅子舞や、
お囃子に合わせて大黒様が打ち出の小槌を振っています。
華やかな雰囲気が盛り上がります。
昨今は、携帯TVのライブ中継を見ながら、順位を確認しつつ応援です。
記録。順位。繰り上げスタート。
たすきに託したドラマ。
使い古された言葉ですが、やっぱり胸が熱くなります。
遠くから小旗の波と、拍手の音が近づきます。
先導車や白バイが接近すると、間を置かず選手が走り過ぎます。
伴走車からの檄が、ひときわ強くなります。
「あと1キロ。全部出し切れ。」
おばあさんがポツリ。
「皆ここまでやってきたんだから、もう叱咤しなくでも、
選手は分かっているんだよ。」
このおばあさん。ただ者じゃない。
「箱根に出たくても、走れない大学があるんだ。
胸を張って走れ。走り抜け!」
声を枯らしたこの伴走車の声には、
おばあさんは、うんうんとうなずいていました。
駅伝が好きなのは、沿道の声援がとても温かいこと。
また、今年も頑張ろうという思いが湧いてくること。
おばあさんご一家との別れ際、
「また来年もお会いしましょう。」
また、ハッピー指数120%を味わってみたい。
今年も良い年にしていきましょうね。
[之乎者也]
2016年1月 4日 18:00
お正月です。友人からも謹賀新年のメールとともに新年会のお誘いが入って来ます。今回は季節の話題でもある江戸時代の「新年会」~「おらんだ正月」~についてお話したいと思います。
年末に岩手県から友人が上京して、銀座で一緒に飲んでいると「もうすぐお正月だね。正月といえば『新年会』だけど、一関(いちのせき:岩手県)出身で江戸時代に活躍した蘭学者の大槻玄沢(げんたく)って歴史の授業で習ったと思うけど、彼も新年会が大好きで、毎年必ずやっていたって知ってた?それもこの銀座で。。。」と江戸時代の新年会が話題になりました。
【大槻 玄沢像(小田 海僊(かいせん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】
大槻玄沢(1757年~1827年)は一関藩出身、「ターヘル・アナトミア(解体新書)」を翻訳・出版(1774年)した杉田玄白と前野良沢に蘭学を師事し、二人から一字ずつ貰って玄沢と名乗っています。
両師匠が解体新書の翻訳、そして弟子の稲村三伯、宇田川玄随、岡田甫説が日本初の蘭和辞典である「ハルマ和解(わげ)」を完成(1796年)という偉業をそれぞれ成し遂げたものの、玄沢本人はむしろ後進教育やプロデューサー的な役割に熱心(世話焼きタイプ?)だったためか、蘭学(蘭学概論、オランダ語文法)入門書の「蘭学階(=楷)梯(かいてい:1788年創刊)」を著し、弟子を教育する場所として京橋に「芝蘭堂(しらんどう)」を開いた(1789年)ことが実績として知られています。
【蘭学階梯(出所:京都外国語大学附属図書館)】
玄沢の門下には最盛期には100名の門下生がいましたが、蘭学者の集まりでもあり談論活発。玄沢の性格や蘭学塾の雰囲気、またオランダ商館長一行の江戸出府の際、長崎屋で対談したのをきっかけに、玄沢は1794年11月11日(旧暦)に芝蘭堂で「新元会(新しい元日を祝う会)」を開きます。蘭学者同士の親睦を深めて情報交換を行う場、今風に言えば西洋学会の新年会のようなものを企画、玄沢が自ら幹事役も買って出たというところでしょうか。【芝蘭堂新元会図(部分)(市川 岳山(がくざん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】⇒岳山も玄沢の弟子のひとりであるので、おそらくこの新元会にも参加して楽しんだ一人ではなかったかと思われます。
11月11日(旧暦)がオランダ暦(すなわち現在の我々が使っている新暦)の1月1日にあたるということで、オランダの正月をお祝いするという宴会を開いたのでした。普段は難しい勉強ばかりしている蘭学者の集まりだったのかと思いますが、結構楽しそうな雰囲気です。玄沢は自宅を芝蘭堂として使っていたので、引越しの度に移転(京橋、本材木町、三十間堀町、南紺屋町、木挽町、築地小田原町など中央区内が多い)を繰り返していますが、最初の「おらんだ正月」は、京橋水谷町(現在の銀座1丁目の水谷橋公園あたり)で行われたようです。当時は、鎖国時代とはいえ、長崎出島を通じたオランダとの交易は許されており、特にこの時期、8代徳川吉宗の享保の改革の結果、実学奨励の方針が取られ、1720年以降漢訳洋書の輸入も一部解禁され、蘭学研究が盛んになった時期であったという背景もあったようです。この催しは好評だったようで、その後も毎年行われ玄沢の死後も長男の磐里(玄幹)に引継がれ44年間続いたようです。
【芝蘭堂跡(推定)】
所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目12-6(水谷橋公園)
[サム]
2016年1月 4日 16:00
2016年の幕開けは、本州付近が南から高気圧に覆われ、平年より気温が高く朝晩の冷え込みも弱い、穏やかな日々。
日本橋界隈では大勢の初売りの買い物客で賑わいました。
1月1日・2日両日10:00から、COREDO室町2 1Fエントランスに於いて、「八海山 千年こうじや」から「八海山樽酒」の、また1月2日11:00からは、YUITO 1Fエントランス内にて「若戎 純米酒 祝酒」の振る舞い。
新春にふさわしい「おもてなし」イベントです。
若戎のえびす様は常若のえびす様。
いつまでも若さを持ち続けられるという願いが込められた "福" を呼び込む酒との由です。
「年は人に とらせて いつも若戎」(芭蕉)
江戸時代、上方では、福の神「えびす様」の像が刷られた「若戎」と呼ばれるお札があり、元旦早朝より「わかえびす わかえびす」とお札売りの呼び声が響き渡り、人々は福を招き入れようと「若戎」を買い求め、家の門口に貼ったり歳徳棚にお祀りしたりして、一年の幸を祈念したと伝えられます。