『ギフト、そして自分も楽しむ』をトレンドとして取材します、 rosemary sea です。
日本橋神茂(かんも)さん、329年の歴史はまだまだご紹介しきれません。
有限会社 神茂 井上卓(たかし)社長にインタビューさせていただきました。
宮内省出入りの門鑑(御門鑑)。
「いわゆる通行手形。昭和初期に御用商人が宮内省出入りの際に、この通行証を提示するという制度がありました。」
※ 門鑑にある「日本橋区本小田原町」とは・・・
日本橋区・・・明治11年(1878年)-昭和22年(1947年)
京橋区と合併して中央区となる
本小田原町・・・江戸期ー昭和7年(1932年)
日本橋本町1丁目と日本橋室町1丁目に分割・名称変更
「明治天皇、大正天皇、昭和天皇はそれぞれ即位の際の蒲鉾はうち(神茂さん)でした。
宮内省には新年にも出入りして納めていました。」
「明治の頃の『地代金請取帳(じだいきんうけとりちょう)』、いわゆる大福帳です。
日本橋魚市場だった頃は地所をを4番目に広く持っていまして、場所を貸していたんですね。」
「板舟権(いたぶねけん 後述)で板1枚いくら、というふうに貸していた頃の、今月いただきました、と書き込んだ帳簿です。」
(板舟権・・・日本橋魚河岸で江戸時代以降認められていた権利。
ここで魚類を販売するのに幅1尺・長さ5、6尺の平板(=板舟)を並べられる。
いわゆる営業権として売買・譲渡・賃貸できた、価値の高い権利。)
「あとは日露戦争の時の毛布とか陸軍傷病兵見舞いとか書いてあります。」
「熈代勝覧(きだいしょうらん 後述)にもそれらしきお店があるようですが、確たる証拠があるわけではありません。」
(凞代勝覧・・・文化2年【1805年】頃の日本橋から今川橋までの、現在の中央通りを俯瞰し、当時の江戸時代の町人文化を描いた絵巻物。
東京メトロ三越前駅コンコース内に約17mのレプリカがあります。)
「これは看板ですが、もともとはまな板だったのです。
蒲鉾屋のまな板っていうのは分厚くて、ここの上で包丁の背中を使って鮫の肉をたたきます。
それで真ん中だけへこんでしまうとかんなをかけて平らにして、使いにくくなると最後は普通のまな板として日本料理店などが買っていかれたそうです。
先程の地代金請取帳にも"どこどこの料理店にまな板を売った"などと書いてあります。」
「この看板は、今はこのように応接室に掛けてありますが、もとの看板としては雨ざらしでしたので"綺麗にしてください"と依頼したら、綺麗になり過ぎて新しくなってしまいました。」
「左の写真は戦前の店頭を写したものですね。
上の方に『神茂』って看板も写っていますが、真っ暗で見えなくなっていますね。」
「これは『くらしの手帖』昭和29年2月の号です。
僕のひいひいおばあちゃんにあたる井上はまさんの口述が書かれています。
半ぺんの材料、製造工程や神茂の歴史、半ぺんの食べ方などを語っています。
先程のまな板のお話も載っています。」
「幕末のペリー来航のときのメニューです。これを造ったのは百川(ももかわ)さんという浮世小路(うきよしょうじ)の福徳神社前の、今のYUITOのビルあたりにあった料亭さん。この料亭さんがペリー来航の際、料理を任されたのです。
そしておみやげに蒲鉾が出てくるんですね。ここにも大蒲鉾と書いてあります。」
「江戸時代は蒲鉾と半ぺんと白竹輪の3種類しか造っていなかったんですね。
その頃は上物師(じょうものし)と駄物師(だものし)、駄物屋さんですね。この2つに分かれていました。
駄物師は茹でたり油で揚げる、油で揚げるのは江戸の末期ですね。菜種油がたくさんとれるようになって、それで油を食品に使うようになって、ここの日本橋の魚市場の中で、余った魚をつぶしてさつま揚げみたいなものを造る駄物屋さん。
で、上物師っていうのは白いものしか造らなくて、半ぺんや蒲鉾、白竹輪。
落語の『時そば』に出てきて、竹輪が入ってるんですけど、"最近はまがいものが多くて"っていって、"あれは『麩(ふ)』なんだよな"っていうくだりがあるんですけど、それはちくわぶなんですね。ちくわぶが今でも残っているんですけど、本物の白竹輪っていうのはなくなっちゃったんです。造るところがなくて。僕の子供の頃までは造っていました。」
「昔のうちのお品書きが残っているんですけど、蒲鉾と白竹輪と半ぺんしか載っていないですね。すじはあとになって造られたんですけど、これは捨てちゃもったいないっていうんで、結構無駄にしなかったみたいですね。」
「(日本橋で生まれた)谷崎潤一郎さんの「幼少時代」という随筆の中にこの神茂のことがちょっとだけ出てきます。
"神茂のすじが八百屋のよりましだ"って。あまりほめられてないけど。」
平成24年8月放送のTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で日本橋を俳優の勝村政信さんが回ったとき、うちの母もお店とともに出ました。
勝村さんのお父さん、佃煮の鮒佐さんの職人でした。お父さんには僕も会ったことがあります。それでうちのお店の収録が終わったあとも、"勝村さんが鮒佐さんのお店を出たところで驚いたことは?"という問題で母が再登場したことが答えとなっていました。」
「宮内省御用達(ごようたし)だった関係で、皇族からもご注文がありました。
あるデパートを通して連絡が来るんですよ。
で、何々を納めてくれと。間違いがあったら困る、とも。何月何日の開店前に商品を持ってきてくれ、みたいな。
昭和天皇のお名前で蒲鉾の注文もありました。・・・
御用達っていうのは先方からの注文がないとだめ。献上とは違います。」
・・・井上社長、貴重なお話の数々、ありがとうございました。
神茂 本店
日本橋室町1-11-8
東京メトロ銀座線 三越前駅が至近
日本橋三越前 中央通りの大和屋さんとブリッジにいがたの間のむろまち小路を150m、右手前角
03-3241-3988
営業時間 平日 10:00~18:00
土曜 10:00~17:00
定休日 日曜・祝日
神茂さんのホームページはこちら ⇒ https://www.hanpen.co.jp/