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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「春を呼ぶ」お菓子―「南無観椿」―奈良まほろば館

[滅紫] 2017年3月14日 16:00

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「水取りや瀬々のぬるみも此日より」と云われる奈良東大寺二月堂の修二会(お水取り)。このお水取りの行法が過ぎると古都奈良にも春が来ると云われています。東大寺のご開山良弁僧正の高弟実忠和尚が天平勝寶四年(752)より始め、一度も絶えることなく守り続けられている行事です。日本橋の奈良まほろば館でこの期間中(旧暦2月である3月1日より15日まで)のみ販売されているこのお菓子を見つけました。期間中須弥壇の四隅を飾る椿の造花を象ったお菓子、春を呼ぶお菓子です。

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今は二十四節気の啓蟄に入ったところで、七十二候では桃始笑(ももはじめてさく)。春の訪れが目に見えて感じられるころ。このお菓子で天平の昔に思いをはせて一服されるのは如何でしょう?

奈良では菓子舗によって少しずつ違うものが販売されているようです。たまたま奈良の友人から届いた「糊こぼし」(良弁椿)もご覧ください。歌舞伎にも「二月堂良弁杉由来」がありますね。

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奈良まほろば館日本橋室町1-6-2 日本橋室町162ビル TEL 3516-3933

10;30~19:00

「南無観椿」2個入り864円 3月1日から15日の間、入荷が少ないので予約された方が安心。 

 

 

名飯 粋なファストフード

[あすなろ] 2017年3月14日 09:00

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味が染みた豆腐をご飯にのせた汁かけ飯「とうめし」。

 

いかにも江戸っ子発想な、ちゃちゃっと食べられる

ファストフードといったところでしょうか。

豆腐は、人形町 双葉から仕入れ、

この他、おでんのはんぺんやすじ(魚)などは

日本橋神茂の品。どれも秀逸な種がうれしいですね。

ランチの「とうめし定食」「おでん定食」お値打ちです。

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◆日本橋 お多幸本店
東京都中央区日本橋2-2-3 お多幸ビル

 

 

 

発句也 おかめ求めて 日本橋

[銀造] 2017年3月13日 16:00

「発句也 松尾桃青 宿の春」の句碑は、俳人松尾芭蕉が逗留した、現在の老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に建てられています。 

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ここは江戸時代小田原町と呼ばれていて、1672年(寛文12年)29歳の松尾芭蕉が、故郷である伊賀上野から江戸へとやってきて8年間住んだ場所です。

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松尾芭蕉は当時「桃青」と称していて、日本橋魚市場に近い繁華街小田原町に住み俳壇での地位を固め、1678年(延宝6年)に俳諧宗匠として独立しました。句碑にある「発句也 松尾桃青 宿の春」とは、その翌年の正月に宗匠としての迎春の心意気を詠み上げたものです。その後、松尾芭蕉の江戸での住まいは深川に移り、1689年(元禄二年)には「奥の細道」の旅に備えて千住へと転居し、この年46才の松尾芭蕉は「奥の細道」の旅に出ました。

 

 京橋の「東京スクエアガーデン』横の舗道に植えられた「おかめ桜」に見入っているご婦人に、ふと声を掛けられ、「なんていう桜なんですか?」と質問され、

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「紅色が濃い、花が下向きである」ことから、「おかめ桜です」と教えて差し上げました。

 ここで言う「おかめ」は美人、愛嬌があるという意味で命名されています。

そして翌日、日本橋は室町小路を散歩して、満開の「おかめ桜」を堪能してきました。

 

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「神茂」さん周辺の、桜は必見です。お早目にどうぞ。

 

 

 

「デビュー50周年記念 池田理代子―ベルばらとともにー」展開催中―日本橋高島屋

[滅紫] 2017年3月13日 12:00

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「ベルサイユのばら」が週刊マーガレットで連載開始となったのは1972年確か5月だった。以来毎週楽しみに発売を待っていた。勤め人になっていたのでちょっと恥ずかしく顔なじみの本屋は避けて購入場所をあちこち変えたのを懐かしく思い出した。多分私たちが「大人になっても漫画を読んでいる」最初の世代でしょう。やはりそれには「ベルばら」の影響大と感じます。会場にはその原画が展示され、それぞれの場所に舞台化された宝塚の公演写真が添えられている。漫画の吹き出しを〇十年ぶりに読みながら、いつの間にかアントワネット、オスカル、フェルゼン、アンドレなどの物語に夢中になっていた時代にタイムスリップ。会場には何と宝塚での衣裳まで展示されていて写真OK。高島屋さん有難う。

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50周年インタビューのビデオの中の池田理代子さんの巻き髪が似合う変わらぬ華やかさはどこか彼女の登場人物に似ているよう、50代目前で少女時代の夢だった音楽学校に入りオペラ歌手として舞台に立ったのもよく知られているところです。オスカルとフェルゼン様に再会してまたまた元気になりました。

「デビュー50周年記念 池田理代子ベルばらとともにー展」日本橋高島屋8階ホール

3月20日まで

10時30分から19時30分まで最終日は18時まで

大阪、京都、横浜高島屋へ巡回します。

入場料一般800円

 

 

隅田川テラスで桜が満開でした。

[kimitaku] 2017年3月 9日 18:00

三月休日の昼間 隅田川右岸を散歩。

どこからか小鳥のさえずりが聞こえてきます。

鳴き声のする場所は 隅田川テラス。永代橋のたもとです。

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満開の桜の花の蜜を吸いに小鳥がやってきていました。

小鳥はメジロ 写真に撮ろうとしますが、

活発に飛び回りスマホでは無理のようです。

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ソメイヨシノではないと思うのですが、毎年この時期に

他の桜よりも早く咲き誇り 春を呼び寄せているようにも見えました。

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神茂さんの歴史について語ります ②  ~ 神茂 ~

[rosemary sea] 2017年3月 9日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をトレンドとして取材します、 rosemary sea です。

 

日本橋神茂(かんも)さん、329年の歴史はまだまだご紹介しきれません。

有限会社 神茂 井上卓(たかし)社長にインタビューさせていただきました。

 

DSC01963a.jpg宮内省出入りの門鑑(御門鑑)。

「いわゆる通行手形。昭和初期に御用商人が宮内省出入りの際に、この通行証を提示するという制度がありました。」

※ 門鑑にある「日本橋区本小田原町」とは・・・

日本橋区・・・明治11年(1878年)-昭和22年(1947年)

京橋区と合併して中央区となる

本小田原町・・・江戸期ー昭和7年(1932年)

日本橋本町1丁目と日本橋室町1丁目に分割・名称変更

 

「明治天皇、大正天皇、昭和天皇はそれぞれ即位の際の蒲鉾はうち(神茂さん)でした。

宮内省には新年にも出入りして納めていました。」

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「明治の頃の『地代金請取帳(じだいきんうけとりちょう)』、いわゆる大福帳です。

日本橋魚市場だった頃は地所をを4番目に広く持っていまして、場所を貸していたんですね。」

「板舟権(いたぶねけん 後述)で板1枚いくら、というふうに貸していた頃の、今月いただきました、と書き込んだ帳簿です。」

(板舟権・・・日本橋魚河岸で江戸時代以降認められていた権利。

       ここで魚類を販売するのに幅1尺・長さ5、6尺の平板(=板舟)を並べられる。

       いわゆる営業権として売買・譲渡・賃貸できた、価値の高い権利。)

 

「あとは日露戦争の時の毛布とか陸軍傷病兵見舞いとか書いてあります。」

 

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熈代勝覧(きだいしょうらん 後述)にもそれらしきお店があるようですが、確たる証拠があるわけではありません。」

(凞代勝覧・・・文化2年【1805年】頃の日本橋から今川橋までの、現在の中央通りを俯瞰し、当時の江戸時代の町人文化を描いた絵巻物。

東京メトロ三越前駅コンコース内に約17mのレプリカがあります。)

 

DSC01973a.jpg「これは看板ですが、もともとはまな板だったのです。

蒲鉾屋のまな板っていうのは分厚くて、ここの上で包丁の背中を使って鮫の肉をたたきます。

それで真ん中だけへこんでしまうとかんなをかけて平らにして、使いにくくなると最後は普通のまな板として日本料理店などが買っていかれたそうです。

先程の地代金請取帳にも"どこどこの料理店にまな板を売った"などと書いてあります。」

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「この看板は、今はこのように応接室に掛けてありますが、もとの看板としては雨ざらしでしたので"綺麗にしてください"と依頼したら、綺麗になり過ぎて新しくなってしまいました。」

 

「左の写真は戦前の店頭を写したものですね。

上の方に『神茂』って看板も写っていますが、真っ暗で見えなくなっていますね。」

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「これは『くらしの手帖』昭和29年2月の号です。

僕のひいひいおばあちゃんにあたる井上はまさんの口述が書かれています。

半ぺんの材料、製造工程や神茂の歴史、半ぺんの食べ方などを語っています。

先程のまな板のお話も載っています。」

 

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幕末のペリー来航のときのメニューです。これを造ったのは百川(ももかわ)さんという浮世小路(うきよしょうじ)の福徳神社前の、今のYUITOのビルあたりにあった料亭さん。この料亭さんがペリー来航の際、料理を任されたのです。

そしておみやげに蒲鉾が出てくるんですね。ここにも大蒲鉾と書いてあります。」

 

「江戸時代は蒲鉾と半ぺんと白竹輪の3種類しか造っていなかったんですね。

その頃は上物師(じょうものし)と駄物師(だものし)、駄物屋さんですね。この2つに分かれていました。

駄物師は茹でたり油で揚げる、油で揚げるのは江戸の末期ですね。菜種油がたくさんとれるようになって、それで油を食品に使うようになって、ここの日本橋の魚市場の中で、余った魚をつぶしてさつま揚げみたいなものを造る駄物屋さん。

で、上物師っていうのは白いものしか造らなくて、半ぺんや蒲鉾、白竹輪。

落語の『時そば』に出てきて、竹輪が入ってるんですけど、"最近はまがいものが多くて"っていって、"あれは『麩(ふ)』なんだよな"っていうくだりがあるんですけど、それはちくわぶなんですね。ちくわぶが今でも残っているんですけど、本物の白竹輪っていうのはなくなっちゃったんです。造るところがなくて。僕の子供の頃までは造っていました。」

 

「昔のうちのお品書きが残っているんですけど、蒲鉾と白竹輪と半ぺんしか載っていないですね。すじはあとになって造られたんですけど、これは捨てちゃもったいないっていうんで、結構無駄にしなかったみたいですね。」

 

「(日本橋で生まれた)谷崎潤一郎さんの「幼少時代」という随筆の中にこの神茂のことがちょっとだけ出てきます。

"神茂のすじが八百屋のよりましだ"って。あまりほめられてないけど。」

 

平成24年8月放送のTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で日本橋を俳優の勝村政信さんが回ったとき、うちの母もお店とともに出ました。

勝村さんのお父さん、佃煮の鮒佐さんの職人でした。お父さんには僕も会ったことがあります。それでうちのお店の収録が終わったあとも、"勝村さんが鮒佐さんのお店を出たところで驚いたことは?"という問題で母が再登場したことが答えとなっていました。」

 

宮内省御用達(ごようたし)だった関係で、皇族からもご注文がありました。

あるデパートを通して連絡が来るんですよ。

で、何々を納めてくれと。間違いがあったら困る、とも。何月何日の開店前に商品を持ってきてくれ、みたいな。

昭和天皇のお名前で蒲鉾の注文もありました。・・・

御用達っていうのは先方からの注文がないとだめ。献上とは違います。」

 

・・・井上社長、貴重なお話の数々、ありがとうございました。

 

DSC02029a.jpg神茂 本店

日本橋室町1-11-8

東京メトロ銀座線 三越前駅が至近

日本橋三越前 中央通りの大和屋さんとブリッジにいがたの間のむろまち小路を150m、右手前角

03-3241-3988

営業時間  平日 10:00~18:00

      土曜 10:00~17:00

定休日   日曜・祝日

神茂さんのホームページはこちら ⇒ https://www.hanpen.co.jp/